第一章 不思議が不思議を呼んできた ④
翔子が帰ったあと、彼女のことを相談しようと思い、同級生である双葉理央に連絡したところ、
「今、家電量販店の上の本屋にいるから出てきたら」
と言われたのだ。
その理央の姿はどこにも見当たらない。てっきり、物理学の本が並んだコーナーにいると思っていたのだが、その前にいたのは、髪を結った峰ヶ原高校の制服を着た別の女子生徒だった。
仕方がなくフロアをぐるりと一周する。やはり、理央は見つからなかった。
「こういうとき、ケータイあると便利だよな」
メールにしろ、電話にしろ、無料通話アプリのメッセージにしろ、リアルタイムで居場所を確認できる。
もう一周しようかと物理学の本棚の脇を通り抜けると、
「梓川」
と、後ろから声をかけられた。
立ち止まって振り返る。
「素通りして、なんかの嫌がらせ?」
不機嫌そうな顔で咲太を見ていたのは、先ほど見かけた峰ヶ原高校の夏服を着た女子生徒。よく見れば彼女が理央だった。
「双葉?」
「夏の太陽で頭がいかれたらしいね」
呆れた様子で理央がため息を吐く。見慣れた制服。さすがに学校外なので白衣は着ていない。だが、二度も視界に収めながらも、咲太が素通りしてしまった理由は服装以外にある。
髪型がいつもと違っているのだ。普段は無造作に下ろしている髪を、今は後ろでまとめている。首筋からうなじまでの日焼けとは無縁の白い肌が惜しげもなく晒されていた。理央は常に露出が控えめなので、たったそれだけでもなんだか色気を感じた。
「下ろしてると暑いんだよ」
咲太の視線に気づいた理央は、質問するより先に理由を教えてくれた。理由も実に理央らしい合理的なもの。
だが、咲太の疑問はそれひとつではない。次に気になったのは理央の目元だ。
「眼鏡をしてないのは、今日はコンタクトだから」
今度も聞く前に答えが返ってきた。髪型が違って、眼鏡もしていないと、理央の印象はかなり違う。ただ、淡々と疑問に答えてくれた態度や口調は、咲太のよく知る理央そのものだった。
「なんで制服?」
最後の疑問だけは、口に出せた。理央に限って言えば、女子高生を売り物にするために休日も着用しているわけではないだろう。
「このあと学校」
「国見なら、僕と一緒にバイトだからいないぞ」
「部員ひとりの科学部は活動実績を残しておかないと即廃部になるんだよ」
恨みがましい目で理央が睨んでくる。
「で、梓川の用事っていうのは?」
「ん、ああ。それなんだが……」
「また例の厄介ごと?」
興味などなさそうに本棚から一冊の本を取り出すと、理央はぱらぱらとめくった。咲太には縁遠い量子力学の本だ。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「煮え切らないね」
「牧之原翔子に会った」
単刀直入に用件をさらっと口にする。
「……」
その名前を聞いて、理央は本を開いたまま咲太に視線を向けてきた。瞳に驚きを宿している。前に、牧之原翔子についての話は理央に伝えてある。咲太にとっては初恋の人物。彼女を追いかけて峰ヶ原高校を受験したこと。でも、彼女は学校にはいなくて、卒業した痕跡はおろか、在籍していた記録も残っていなかったこと。そんなわけのわからない状態のまま、咲太は結果的に失恋をしたこと。その全部を理央は知っているのだ。
「彼女、実在したんだ」
だからこそ、理央がそう感想を零した気持ちもわかる。咲太自身も、もう二度と会うことはないと思っていた。彼女が出てくる夢だって、もう一年近くも見ていなかったのだ。
「しかも、驚いたことに、中学一年生になってた」
「は?」
理央が素っ頓狂な声を上げる。持っていた本を落としそうになっていた。
「二年前に会ったときは、高二だったのに、一学期の最終日に再会したら、中一になってた」
「梓川、正気?」
「残念ながら」
「だとしたら、計算が合わないね」
二年前に高校二年生だったのだから、ストレートに進学していたら今は大学一年生でないとおかしい。それが、中学一年生に逆戻りしているのだ。
「梓川のことは?」
「覚えてない……ってか、前に会ったことなんか知らない感じ」
実際、出会った直後に、「はじめまして」と挨拶を交わしている。
「……」
理央は難しい顔で考え込んでいる。
「梓川」
しばらくして、視線だけこちらによこした。
「ん?」
「よく似た同姓同名の他人なんじゃないの?」
「それが一番可能性高いよな、そりゃあ」
咲太も一度は考えたことだ。考えはしたが、こんな偶然があるだろうか。
「世界には同じ顔をした人間が三人いるらしいよ」
「んなのよくある都市伝説だろ」
「そうだね。よくある都市伝説」
理央がふと視線を逸らした。何気ない仕草。別に気にするほどのことではないが、咲太はなぜだか気になった。今の話に、理央の感情が動く理由があったとは思えなかったからだ。いつもなら、素っ気無く笑い飛ばす場面のような気がした。
「双葉?」
「あと可能性があるとすれば、その子は牧之原翔子の妹で、わけあって姉の名前を名乗っているとか?」
なんでもないように理央が話を続ける。だから、この場で言及するのは諦めた。
「どんなわけだよ」
設定が複雑すぎる。
「それは梓川が本人に聞けばいい」
「あんまり変な質問をしてると、変なやつだと思われる」
「私に害はないからいいんじゃない?」
「僕がよくないと言ってるんだ」
「桜島先輩以外にもいい顔をしたいとは意外だね」
「言っておくが、中学一年の女の子に欲情したりはしないからな」
「それは、どっちでもいいけど。もうひとつ可能性をあげるとすれば、実は二年前に出会った牧之原翔子は、梓川がその時点から未来を見ていたものだった……というパターンかな」
「あの現象の原因は僕じゃない」
未来のシミュレーション現象は、古賀朋絵が起こした思春期症候群だ。同じ学校に通うひとつ下の後輩。桃尻のかわいい後輩だ。
「一緒に体験した梓川が発生源という説も完全には否定できていないと思うけどね」
「だとしても、それだと今度は僕の年齢が合わないだろ」
「だね。でもさ……今のところ実害はないんでしょ?」
「まあ、ないな」
麻衣や朋絵のときとは根本的にそこが違う。これが思春期症候群なのかどうかもわからないが、現段階では何もまずいことにはなっていない。
理央は本を閉じて元の位置に戻すと、また別の本を取った。その脇を浴衣姿の女子二人組が通り過ぎていった。
レポートがどうのと話していたので大学生だろうか。参考になる資料を捜しに来たのかもしれない。
その後ろ姿を目で追っていると、
「梓川、見すぎ」
と、理央に鋭く指摘された。
「ああいうのは、誰かに見てもらうために着るもんだろ」
「少なくとも、その相手は梓川じゃないだろうけどね」
「今日、どっかで花火やるんだな」
「茅ヶ崎が今日」
「よく知ってるな」
「そこに書いてある」
目で理央が示したのは脇の壁。藤沢駅からは東海道線で二駅隣……相模湾に面した茅ヶ崎の海岸で行われる花火大会のポスターが貼られていた。開催日は八月二日。確かに今日だ。
「そういや、去年、行ったよな。花火大会」
八月の二十日前後に行われる江の島の納涼花火大会。
その日、バイトが夕方上がりだった咲太と佑真は、帰りがけに店長から花火大会のことを聞かされたのだ。男ふたりで行くのも寂しいという話の流れで理央に声をかけた。当時は、まだ佑真も上里沙希とは付き合っていなかった。
「そうだね」
理央は離れていく浴衣女子の背中を無感動に見ていた。
「あのときの双葉、私服だったよな」
「梓川もね」



