第一章 不思議が不思議を呼んできた ⑤
「国見と一緒に期待してたのに」
その頃から、理央が佑真に好意を抱いていたのは知っている。というか、確かあの日に気づいたのだ。花火を見上げる佑真の横顔を、理央は横目で見ていたから。
「もったいぶらずに着てくればよかったのに」
「どうして私が梓川のために、そんな面倒なことをしなくちゃいけないわけ?」
「国見に見せるためだよ」
「……」
理央が不愉快そうな視線を向けてくる。
「どの道、私には似合わない」
「そうか?」
「そう」
「あ、浴衣って胸が大きいとダメなんだっけ?」
理央の場合、制服の上からでも、大きくふくらんでいるのがわかる。
「そういう意味で言ったんじゃない」
理央が本で胸元をそれとなくガードした。見られるのはあまり好きではなさそうだ。
「なら、どういう意味?」
「答える必要はないね」
「なんで?」
「梓川は理由を察した上で、私に言わせようとしてるから」
「地味な自分がするような格好じゃないとか思っているなら大間違い」
「……」
理央の視線が真意を聞いてくる。
「今の髪型で浴衣着たら、かなりいいと思うけどな」
アップにした髪と浴衣は大変相性が良さそうだ。
「それに、一度は着ようとしたんだろ?」
「……」
露骨に理央が警戒を示す。
「それ、どういう意味?」
「双葉の口ぶりからして、浴衣は持ってそうだし」
「何を根拠にそう思うわけ?」
その質問は肯定したのと同じだ。
「持ってなかったら、似合う似合わない以前に、『持ってない』っていう根本的な理由を答えるのが双葉なんだよ」
いつも理屈と本質で理央は話をするのだ。
「……ほんと、梓川のそういうところは小賢しいね」
「本気で嫌そうな顔するなよ」
「それは無理。本気で嫌だから」
「酷いこと言うね」
咲太の苦笑いは無視して、理央は本棚から『量子テレポーテーションの未来』と題された一冊の本を抜き取った。
「もういいね。私、行くから」
と言って、レジの方へと歩き出す。
咲太はその背中に、「相談乗ってくれて、サンキュ」と声をかけた。
3
理央と別れた咲太はシフトの時間も迫っていたので、バイト先のファミレスに向かった。
「おはようございます」
レジに立っていた店長に挨拶をしながら店内を眺める。夕方のこの時間は来客も少なく、お茶をしているお母さんのグループや、勉強をしている受験生、ノートパソコンを開いて何か作業をしているスーツを着た男性がいるくらいで、のんびりした空気が流れていた。
咲太は足を止めずに、奥の休憩スペースに引っ込んだ。着替えてタイムカードを通さなければならない。
休憩スペースには先客がいた。すでにウェイターの制服に着替えてパイプ椅子に座っていたのは、咲太にとって数少ない友人のひとりである国見佑真だ。
「よっ」
軽く手を上げてそう声をかけてくる。
「お前、さらに日焼けしてないか?」
前回会ったのは、バイトのシフトが一緒だった三日前。そのときからすでに夏の日焼け肌になっていた佑真だが、さらにこんがり小麦色になっている。
「そうか? でも、一昨日海行ったせいかも」
「彼女と?」
「そうだけど?」
「うわー、ウザいな」
「なんでだよ。咲太だって、とんでもなく美人な彼女がいるだろ」
「その麻衣さんはとんでもなく忙しくて、この一週間顔を見てない」
「俺、昨日TVで見たぞ」
「安心しろ。TVでなら、僕も毎日見てる」
すでに何本契約を取っているのか知らないが、CMに度々登場するのだ。清涼飲料水に新商品のお菓子。咲太にとって身近なものもあれば、その美貌を生かした化粧品やシャンプーの看板役と内容は多岐に渡る。
「ま、ご愁傷様」
着替えてロッカーの陰から出た咲太に、佑真が悪戯っぽく笑いかけてくる。
文句のひとつも言ってやろうかと思っていると、
「おはようございます」
と、聞き覚えのある声が通路の方から聞こえた。けれど、近づいてくる足音は耳なじみの薄いものだ。からんからんという風情のある音。
少し遅れて休憩スペースに入ってきたのは古賀朋絵だった。男ふたりのむさ苦しい空間が急にぱっと華やかになる。それというのも、朋絵は明るい色の浴衣を着ていた。足元は鼻緒のかわいい草履。手には金魚の絵柄が入った巾着をぶら下げている。
「げっ、先輩!」
朋絵は、咲太を見るなり嫌そうな反応を示した。
「かわいい浴衣姿を自慢しに来たのか?」
出勤表に朋絵の名前はなかったので、今日はバイトではないはずだ。
「来週の予定出してないから出しに来ただけだし」
テーブルの上に置かれたプラスチックの書類ケースから、朋絵は未記入のスケジュール表を取り出す。浴衣が崩れないように気を付けながら丸椅子に座ると、ボールペンで名前と二週間分の予定を書き込んでいた。バイトの予定はこうして二週間ごとに、スケジュールを提出して、シフトが組まれる仕組みなのだ。全部スマホとかで処理されているところもあるらしいので、こういうアナログな仕組みは、ケータイを持っていない咲太にとっては非常にありがたい。
「古賀さん、浴衣かわいいね」
何も言わない咲太に代わって、佑真は自然な調子でそう告げた。
「え? あ、ありがとうございます」
少し慌てた感じで顔を真っ赤にする朋絵。ちらりと咲太に視線を向けてきた。
「古賀って浴衣似合うのな」
「先輩、それセクハラ」
せっかく褒めたのに、朋絵はむっとして唇を尖らせている。
「なんでだよ……」
佑真の言葉は素直に受け取ったくせに納得がいかない。
「だって、今、胸見て言ったじゃん」
巾着を持った手で胸元をガードしている。
「失敬だな。腰とお尻のバランスも含めた上での発言だ」
「余計悪いし! どうせ、帯にどっかり乗っかるような立派な胸はないですよー。ずん胴ですよー」
なにやら、完全に拗ねている。
そんなふたりのやり取りを見ていた佑真がぷっと吹き出す。
「ふたりっていつの間にそんな仲良くなったわけ?」
「な、仲良くありません!」
ぶすっと朋絵が答える。
「なんかあった?」
それを尻目に佑真は横目で咲太にそう聞いてくる。
「僕が古賀を大人にしてやったの」
「ちょ、ちょっと先輩! なんば言うとっとね!?」
「そっか、古賀さん、もう大人なんだ」
笑いながら佑真までそんなことを言い出す。
「国見先輩まで……」
裏切られたという顔をする朋絵。
「あたし、約束の時間だからもう行くね。国見先輩も失礼します」
ぷりぷりしながらも、きちんとぺこりとお辞儀をして朋絵は休憩スペースを出て行こうとする。その背中を咲太は呼び止めた。
「古賀」
「ん? なに?」
素直に立ち止まる朋絵。
「浴衣姿の女子が振り向くのっていいよな」
「それで呼び止めるとか、先輩、本気で気持ち悪い」
目を細めて朋絵がかわいらしく嫌悪感をぶつけてくる。
「今のは冗談だ」
「なら、なに?」
「パンツの線が見えないから、ノーパンなのかと思って」
「線が出ないようなやつはいてるの!」
「つまりTか。古賀朋絵だけに」
「そ、そんなのはくわけないじゃん! あー、想像しないでよぉ!?」
朋絵は両手を後ろに回してお尻を隠そうとする。
「とっくに想像はしたから諦めてくれ」
「言っておくけど、もっとすっぽりはくやつだからね。ステテコみたいな」
「うわー、夢がねえ。聞くんじゃなかった」
「もー、恥ずかしいこと聞いておいて、勝手にがっかりしないでよぉ。ばりむかー! あたし、行くね!」
「あ、待った」
「先輩、しつこい。まじウザい」



