第一章 不思議が不思議を呼んできた ⑥
警戒心剝き出しの朋絵が上目遣いで咲太を見てくる。
「ナンパには気をつけろよ」
「え? あ、うん……ありがと」
「古賀はかわいいんだから」
「かわいいって言うな」
頰を膨らませて、拗ねた顔をしている。
「んじゃ、すげえかわいいから気をつけるんだぞ」
「みんなも一緒だから平気。約束、遅れるから!」
今度こそ朋絵は休憩スペースから出て行った。
再び、咲太と佑真だけの男ふたりになってしまう。
「なあ、咲太?」
「ん?」
「ばりむかーってなんだ?」
「さあ?」
立ち上がった佑真に続いて咲太もタイムカードを通した。
「古賀さん、時々、聞き慣れない言葉使うよな」
「あれが、イマドキ女子高生なんだろ」
朋絵は福岡の出身であることを秘密にしているので、咲太は一応そうフォローしておいた。
この日の客足は普段よりも少なくて、店内は落ち着いていた。近所に住んでいる人は茅ヶ崎の花火大会に出かけているのかもしれない。
八時を過ぎた頃、浴衣姿の家族連れが入ってきた。見るからに花火大会の帰りだ。特撮ヒーロー柄の浴衣を着た四、五歳の男の子は、はしゃぎ疲れたのか、半分くらい目が閉じていた。その家族連れ以外にも、ちらほら浴衣姿の来客があった。
彼らのオーダーを受けたあとで、咲太はドリンクバーのストローを補充するために、バックヤードに入った。棚の上からストローの箱を取る。それを持ってバックヤードから出ると、
「お、咲太、発見」
と、笑顔の佑真と目が合った。
「五番テーブルからご指名だぞ」
「は?」
「行けばわかる」
にやついた佑真の表情からして、悪い話ではないのだろうと想像はつく。テーブルを指定しているのだから、恐らく咲太目的の来客だ。けれど、店に咲太を訪ねてくるような人物は特に思い当たらない。咲太を取材対象だと思っている女子アナの南条文香くらいだ。この二、三ヵ月は顔を出していないが……。
あと、可能性があるのは麻衣だが、撮影で行っている京都から帰ってくるのは明日だと聞いている。
「誰だろうな」
そう思いながら咲太はフロアに出た。
店の奥側にあるボックス席が五番テーブルだ。近づいていくと、後ろ姿のシルエットが見えた。脇にはサイズの小さなキャリーバッグが置いてある。昔の映画に出てきそうな懐かしい感じのデザイン。
咲太がテーブルの横に立つと、メニューを見ていた人物は顔を上げた。気の強そうな凜とした目が、咲太を捉えた瞬間にわずかに微笑む。
「なんで麻衣さんがいるの?」
そう、五番テーブルに座っていたのは、咲太がお付き合いをしているひとつ上の先輩……桜島麻衣だった。
今は少し大人っぽい印象の私服姿で、薄っすらとメイクもしている。本人は抑えているつもりなのかもしれないが、華やかな芸能人オーラががんがん出ている。
当然のように、近くの席にいた他の客がちらちらと麻衣を見ていた。「本物だよね?」とか、「顔、ちっさ」とか、「ファミレス、来るんだな」とか、素朴な感想が飛び交っていた。
「帰ってくるの明日でしたよね?」
「ベテランの役者が多い現場だったし、私もNG出さないから早く終わったのよ」
「なるほど。で、一日でも早く僕に会いたくて帰ってきたんですね」
「そうよ」
咲太の軽い挑発を、麻衣は悪戯っぽく笑って受け止めてしまう。
「ホテルは取ってたから、もう一泊して明日ゆっくり帰ってきてもよかったんだけどね。マネージャーに無理言って、新幹線のチケット用意してもらったの。うれしい?」
「うれしいなあ」
棒読みで感想を口にする。
「……なによ、それ」
咲太の反応が気に入らなかったのか、麻衣は不機嫌な目を向けてくる。それに気づいてないふりをして、咲太はオーダー用の端末を開いた。
「お決まりでしたら、ご注文をどうぞ」
「……」
「ご注文をどうぞ」
明らかにむっとした様子の麻衣に、咲太はあえて接客用のスマイルで繰り返し促した。
「なに、拗ねてるのよ」
「拗ねてません」
「拗ねてるじゃない」
「誰のせいだと思いますか?」
「それは……その……」
「その?」
「……ごめん」
少し間を空けてから、麻衣はしおらしく謝ってきた。
「仕事に夢中で付き合って間もない彼氏をほったらかしにしている酷い彼女だってことは、私も自覚してる」
「そこまでは思ってないけど」
「けど?」
不安を含んだ上目遣い。TVではなかなか見られない麻衣の貴重な表情だ。それが今は咲太だけに向けられている。
「お詫びには期待してます」
「わかった。それなりのことはしてあげるから」
「エロいことでも?」
「少しくらいならね」
「じゃあ、許してあげます」
「調子に乗るな」
テーブルの下で思い切り足を踏まれた。そのくせ、麻衣は涼しい顔で、「これと、これをください」と、丁寧にオーダーを入れてくる。咲太はそれを端末に打ち込んだあとで、麻衣にだけ聞こえるように、
「早く帰ってきてくれてすげえうれしいです」
と、呟いた。
「ばーか、それを先に言いなさい」
口調は怒っていたが、表情は楽しげに笑っていた。
「バイト、何時まで?」
「あと三十分だから、麻衣さんを送って帰りたいなあ」
今は八時半で、上がるのは九時だ。
「仕方がないから食べ終わっても待っててあげる」
「じゃあ、帰りに声かけます」
「だったら、サボってないで、早く仕事に戻りなさい」
「呼び出したの麻衣さんじゃん」
文句を言ったあとで、咲太は中断していた作業を片付けるために、バックヤードに戻ったのだった。
残りの三十分は、せっせと仕事に勤しんだ。おかげで、タイムカードは九時ジャストに通すことができた。
「お先に失礼します」
急いで着替えて咲太がフロアに出ると、麻衣はレジで会計を済ませたところだった。あと少し遅れていたら、麻衣はひとりで帰ってしまっていたことだろう。
一緒に店を出る。
「麻衣さん、それ」
外に出たところで、咲太は麻衣のキャリーバッグに手を伸ばした。
「ありがと」
受け取ったキャリーバッグを引きながら、麻衣と並んで歩き出す。
「彼女、毎日来てるの?」
すぐに、麻衣がそう聞いてきた。何気ない口調。天気の話をする程度の気軽な感じ。
「ん?」
「牧之原翔子さん」
「来てますよ」
「わかってるくせに、聞き返さない」
ほっぺたを軽くつねられた。
「気になります?」
「二年前に咲太が出会ったときは高校二年生だったのに、今は中学一年生なんだから、普通気になるわよ」
横目で咲太を見上げた麻衣の表情は、「中学一年生の女の子相手に、嫉妬なんてするわけないでしょ」と呆れていた。
「妬いてほしいなあ」
「なにを?」
「もちろん、もちを」
「私という彼女がいながら、咲太は中学一年生の女の子に欲情するわけ?」
「デートなしの生活を強いられている僕に、麻衣さんが素敵なご褒美をくれないと、ロリコン道に目覚めるかも」
「荷物、持たせてあげてるじゃない」
後ろに引いたキャリーバッグを振り返る。
「下着も入ってるわよ」
「開けていい?」
「言っておくけど、洗濯はしてあるから」
「僕、使用済みの下着の方が好みだって言ったっけ?」
「違うの?」
心外なことに、麻衣は意外そうな顔をしている。
「僕が見たいのは、下着そのものじゃなくて、僕に下着を見られて恥ずかしがってる麻衣さんだからね?」
「咲太に下着を見られたくらいで、私は恥ずかしがったりしない」
「じゃあ、見てもいい?」
「そういうのもういいから話を戻しなさい」
「僕はもっと麻衣さんとイチャイチャしてたいなあ。せっかく、久しぶりに会えたのに」



