第一章 不思議が不思議を呼んできた ⑦

「あとで好きなだけしてあげるから」


 はあ、と麻衣がため息を吐く。


「えー、今がいいなあ」

「はいはい、手を繫いであげる」

「初々しい中坊のカップルじゃあるまいし、その程度で僕が満足するとでも?」

「あ、そ。なら、いいんだ」


 麻衣があっさりと手を引っ込めてしまう。その手を追いかけて、咲太は返事の代わりに麻衣を捕まえた。

 すぐに麻衣が指と指を絡めるように握り直してくる。恋人繫ぎ。


「こっちの方がいいでしょ?」

「……」

「なによ、急に黙って」

「麻衣さん、すげえかわいいと思って」

「知ってるわよ、そんなこと」


 素っ気無く言いながらも、麻衣は少し恥ずかしかったのか、咲太から視線を逸らした。


「それで?」


 前を向いたまま、話題を元に戻すように促してくる。

 もちろん、最近の翔子の様子について聞いているのだ。


「毎日、猫の世話をしに来てますよ」

「何か変わったことは?」

「ないですね」

「何かわかったことは?」

「今日、双葉に相談してみたんですけど、なんにも。同姓同名の別人じゃないかってきっぱり切り捨てられました」

「当然よね。私もそう思うし……そもそも、二年前に会った彼女と、そんなに似てるの?」

「記憶より若いんで絶対とは言い切れませんけど、ま、このまま成長するとそうなるかなあって感じです。性格はだいぶ違う気がするけど」


 まだ慣れていないせいか、今の翔子からはどことなく遠慮を感じる。それは、二年前に会った女子高生の翔子からは全く感じなかったものだ。彼女は距離の詰め方が早かった。


「ふ~ん」


 わかったような、わかっていないような、麻衣の曖昧な反応。麻衣は二年前に咲太が出会った翔子を知らないので、話を聞いただけではぴんと来ないのだろう。


「これ、双葉が言ってたんですけど、麻衣さんのときみたいに実害がないなら、今は気にしなくてもいいんじゃないかな」

「咲太がいいなら、いいけどね」


 やっぱり、麻衣はいまいち納得していない。

 その麻衣が、「あ」と口を開けて、突然立ち止まった。


「麻衣さん?」

「あれ、双葉さんじゃない?」


 麻衣が視線で示した方向にあったのはコンビニ。レジ袋を提げて出てきた高校生くらいの女子は、確かに理央だった。昼間会ったときは制服だったのに、今はTシャツにズボンというラフな私服姿。髪もアップにするのをやめて、いつも通り無造作に下ろしている。眼鏡もかけていた。


「なにしてんだ、あいつ……」


 よく見れば、ぶら下げたコンビニ袋は底が平らなやつ。お弁当用の袋だ。それに気づくと、咲太の中で急速に違和感が膨れ上がった。普段、夜遊びなんてしないはずの理央が、夜の九時を回った時間帯に繁華街の方へ歩いていくのは妙だ。それに、ここから小田急江の島線で一駅隣の本鵠沼に住んでいる理央が藤沢駅のコンビニでお弁当を購入するのも引っかかった。

 何より、周囲を気にする理央の態度が気になった。人目を避けようとして、逆に目立ってしまっている。


「麻衣さん、ちょっと寄り道していい?」

「つける気?」


 咎めるような口調ながらも、麻衣の方が先に歩き出していた。


 理央を追って駅の方へ引き返した咲太と麻衣は、七、八階建てのテナントビルの前に立ち止まっていた。理央がこの中に入っていくのを見たからだ。

 ビルを見上げると、銀行や居酒屋と一緒にネットカフェの看板が並んでいた。そのうち、銀行は閉まっているし、居酒屋は店員に止められるだろう。となると、理央の行き先もおのずと絞られてくる。

 ただ、ネットカフェの利用も、高校生の場合は夜十時の制限があったはず。今からでは時間も限られている。弁当を持参していたので、もしかしたら泊まる気なのだろうか。


「麻衣さん、ここで待っててくれる?」


 芸能人を店内に連れていくのは、余計な混乱を生むかもしれない。


「私、ネットカフェって入ったことないの」


 どうやら、一緒に行く気満々らしい。こうなっては説得は不可能。

 仕方がないので、麻衣をつれて咲太はエレベーターに乗り込んだ。


 エレベーターで七階まで上がる。自動ドアが開くのを待って、咲太はネットカフェの店内に足を踏み入れた。照明を抑え気味にしたシックで落ち着いた雰囲気の内装。


「いらっしゃいませ」


 二十代半ばくらいの女性店員の声のトーンも雰囲気に合っている。その女性店員は、咲太の背後で店内を物珍しそうに観察している麻衣を気にしながらも、


「お時間はどうされますか?」


 と、カウンターの前に立った咲太に応対してくれた。カウンターの上に、料金表が提示される。三時間や五時間、朝まで利用できる長時間のパック料金がずらりと並んでいた。

 咲太はその一番上の基本料金を指差した。


「これでお願いします」


 最初の三十分が二百円。あとは利用時間に応じて追加料金が発生するオーソドックスなプランだ。理央を捜すだけなので、三十分もあれば十分なはず。

 支払いを済ませ、麻衣の分も合わせて伝票を二枚受け取る。

 麻衣はというと、フリーのドリンクコーナーにいて、ソフトクリームを作れる機械を眺めていた。


「双葉を見つけたら、やってもいいですよ」

「お金は?」

「基本料金さえ払えば、ここにあるドリンクもアイスも無料です」


 正しくは、その御代も基本料金に含まれていると言うべきだろうが。炭酸飲料、ウーロン茶、オレンジジュースに加え、コーヒーメーカーやエスプレッソの機械も並んでいる。ファミレスのドリンクバーと遜色のないラインナップ。ソフトクリームなんかもあるので、こちらの方がむしろ充実しているかもしれない。

 ひとまず、咲太は席に移動するふりをして、店の奥にふらふらと足を進めた。フロアの中央は背の高い本棚に埋め尽くされ、ずらりと漫画が並べられている。そこを囲むような感じで、番号の書かれた個室の扉が続いていた。

 理央どころか、他の客の姿もない。みんな個室にこもっているようだ。時折、キーボードを叩く音が聞こえてくるだけ。これでは、理央がどこにいるのかわからない。

 店員に聞こうかとも思ったが、さすがに他の客については教えてくれないだろう。


「番号、覚えてるんなら電話したら?」


 後ろから、麻衣が「はい」とウサギ耳のカバーを装着したスマホを差し出してくる。スマホを受け取りながらも、咲太の視線は麻衣のもう一方の手に集中していた。

 麻衣が持っているのは背の低い紙コップ。その中は、綺麗なとぐろを描いたソフトクリームで満たされていた。「双葉を見つけたら」と言っておいたのに、全然話を聞いていない。さすが、麻衣だ。

 麻衣はソフトクリームをプラスチックのスプーンですくうと、咲太の口の前に持ってきた。


「はい、あーん」

「あー」


 促されるまま口を開ける。罠かと思ったが、麻衣は本当に食べさせてくれた。


「おいしい?」

「はい」


 すると、麻衣は満足げに微笑み、再びスプーンにソフトクリームを載せて、咲太に食べさせようとしてくる。


「麻衣さんが食べたいから作ったんじゃないの?」

「さっきご飯食べたからお腹は空いてないわよ」

「左様ですか」

「なに? 嫌なら自分で食べる?」


 麻衣の中では、咲太が完食するのは決定事項のようだ。だったら、麻衣に食べさせてもらった方がいいに決まってる。

 無言で、口を開けると麻衣は残ったソフトクリームを無理やりスプーンに載せて放り込んできた。

 カキ氷を食べたときのように頭がキーンとなる。それを見ていた麻衣は、「しょうがないわね」とか言いながら、ドリンクコーナーに戻ってエスプレッソを淹れてきてくれた。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ほっと一息。

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