二章 マスター・オブ・現代通信電子遊戯部 ①
普段通りの一日を過ごそう、そう決めていた朝一番。
「……お、おは、おはよう、西村」
「…………」
もう一発目から全くいつも通りじゃなかった。
席に座った俺に明らかに上ずった声で挨拶をしてきたのは、シュー……いや、瀬川。
お前、そんなにも上手くやれないんなら俺なんか無視しておけばいいだろうに。変なプライドか何かだろうか。
しょうがないなあ、とできるだけ普段通りに挨拶を返す。
「おう、おはよう瀬川」
うん、凄く普通。
我ながら会心の無難な返しをしたのだが、
「は? 何いきなり話しかけて来てるわけ?」
瀬川はあからさまにいやそうな顔で吐き捨てた。
「ちょっお前それ理不尽すぎねえ!?」
挨拶してきたのお前だろ!? それ普段のお前から見ても相当な無茶振りだぞ!
「な、ちょっ……そうやって絡むのはやめてって言ったじゃん!」
「今のはお前が悪いだろ! 明らかに会話の流れがおかしいって!」
「細かいことをぐちぐちと、ほんっと最低」
「お、今のは多少普段の瀬川っぽい。八十点やろう」
「だからそういう……」
そんな会話をする俺達の横に、名前も覚えていない女生徒Aがやってきた。
「ふふ。西村君と茜ちゃん、今日も仲いいねー」
そう言うお前は誰だよ、という思いを押し込める方法も随分となれている。
名前も知らないことは胸の中に秘め、俺は素知らぬ顔で返した。
「まあ、俺と瀬川の仲だからな」
普段の俺達を見るに明らかな冗談で返した。
しかし瀬川はそうは受け取らなかったらしい。
「なっ……こんな気持ち悪い奴、仲なんて良い訳ないわよ! 馬鹿なんじゃないの!?」
「お、おおっ!?」
「あ、茜ちゃん?」
瀬川はそれはもうとんでもない大声で叫んだのだ。
クラス全員、教室そのものが静まりかえるぐらいの大声で。
「あ、その……」
無言でこちらを見つめる周囲の視線に固まる瀬川、俺、そして女生徒A。
圧迫感すらある無数の瞳に、俺は慌てて頭を下げた。
「ご、ごめん、瀬川。悪かったよ」
衆人環視の中で真面目に謝る。
「わたしも、ごめんね茜」
「え、いや……」
本当に予想外なんだろう展開に戸惑う瀬川。
彼女に向けて周囲から寄せられるのは『あーあ、西村のヤツ可哀想。瀬川も酷えなぁ』的な視線だった。
何も知らないクラスメイトからするとそりゃ俺が可哀想なんだと思う。しかしこれはそういうんじゃないんだ。割と気の知れた間柄でちょっと言い合っただけで
しかしそれを説明もできない。何せ自動的にLAの話をする羽目になっちゃうし。
「────っ、ほんとっ、うっざい!」
そう言い放つと、瀬川は荒々しく自分の席に荷物をたたきつけた。
ああ、こええ。そして申し訳ねえ。
でも俺が悪いのかっていうとそれもまた違うような気もするんだけど。
「ごめんね西村君、私が余計なこと言ったから……」
「いや、慣れてるし。ははは……」
ぺこりと頭を下げる女生徒Aはこう見ると結構可愛い子だった。名前も覚えてないけど。
「ははは、お前も前田と同じく玉砕組か?」
「なんだよそれ。そんな話じゃないって」
「おい言ってやるなよ、こいつには嫁が居るから平気なんだよ」
「厚みねえじゃんその嫁」
「西村にとっては厚みがないからこそいいんだろ」
ツンツンなクラスメイトに怒鳴られた俺を慰めにか、男達が俺の方に寄ってくる。
ああ、良い友人達だ。言いたい放題に言っていなければ、だけど。
「ったく、お前ら好き勝手に言って……あのな、俺の嫁は意外と可愛くてしかも一途でだな」
「うんうん、そうだな」
「わかるわかる」
「聞けよ! 優しい視線で見るのやめろよ!」
「いた、ルシアン!」
俺達の会話を裂いて、鈴のなるような声が教室内に響いた。
聞き慣れない、しかし聞き覚えのある声。
声の出所は教室の入り口。視線を向けるとそこに居たのは、目元まで隠れそうな黒髪の、小柄な女子生徒──え、あれ、アコ?
「あ……玉置さん、か」
あこ、と言い掛けて踏みとどまる。危ない。実際には何の関係もないのに名前で呼んでるなんて、クラスメイトにわかったら面倒なことになる。
ここは何も知らない振りをして乗り切ろう。
「うちのクラスの子じゃないよな」
「あれ、結構可愛いじゃん、知らねえの?」
「いや、マジノーマーク。あんま学校で見ないのかも」
「……で、るしあん? って誰?」
その一言にびくっと体が震える。
「さ、さあな。何なんだろ?」
キャ、キャラ名が呼ばれた。それもクラスメイト全員の前で。
やっべえ恥ずかしい。自己紹介したときに並ぶぐらい超恥ずかしい。
進行形で誰にも見せたくない黒歴史をあばかれてる気分。
ってか、何しに来たんだよアコは。用なら後でいくらでも聞くから、今の所は帰ってくれ、頼む!
「……! ……!!」
戻れ、戻れと視線にこめてアコと目を合わせる。
するとアコはにっこりと微笑んで
「おはよう、ルシアン!」
とことこと真っ直ぐに俺の机に寄ってきた。
何でだ、マスターとシューは目と目で通じ合えたのに! どうして嫁のアコの方が理解してくれないんだよ!
「……え、西村、知り合い?」
「いや、俺は何も……」
言い訳を終える前に、俺の前までアコがやってきた。
にこにこと機嫌の良い笑みを浮かべて、のぞきこむようにして俺と顔を合わせる。
「ルシアン二組だったんですね。ルシアンのクラスがどこか聞いてなかったから探しちゃって、ほとんどのクラスをまわりましたよー」
下を向いてしらん振りを続ける俺にアコはぺらぺらと話し続ける。
あああやばい、教室がどんどん静かになっていってる。
俺に凄い視線が集まってるのを感じる。
やめて死ぬ! 恥ずかしさで死ぬ!
あああクラス中から『なに、西村ってルシアンとか名乗ってんの? やべえオタクここに極まれりじゃんwww』みたいな視線来てる! それは無理なの! オープンオタクな俺にも耐えられるものと耐えられないものがあるの!
そしてついに隣の友人が口を開いた。
「るしあんって……お前?」
「うわあああああ違う違う、なんつうかその愛称っつうかなんつうかな、そういうのでさ!」
やめて!
俺を、俺を見ないで!
ルシアンになってしまった俺を見ないでくれ!
「う、うわあ……」
ちらりと視線を送ると、瀬川は青ざめた表情で呆然とアコを見ていた。
そりゃそうだよ、そうなるよ、こんな交通事故みたいな目に遭うと思わないって、普通。
「愛称って……へえ、その子と仲良いんだな。何処のクラス?」
「違うんだよ、そういうんじゃなくてさ」
「ルシアン、私の話も聞いてください。どうしたんですかルシアン、なんで下を向くんですか? もしかしてルシアン調子悪いんですか? 大丈夫、ルシアン? ルシアーン?」
「ルシアンルシアン呼びすぎだお前!」
「きゃんっ」
俺はがばっと顔を上げて怒鳴った。クラスメイトの前で大声でキャラ名を呼ばれる続ける地獄を前に知らない振りなんてできるか!
「っつか何の用だよ!」
「だ、だって……」
睨む俺に照れたような笑顔を向けて、アコは続けた。
「昨日の夜はあんまり遅くまで一緒にいられなかったから、早くルシアンに会いたくて……」
「っ!?」
ざわりと。
静まりかえっていた教室がにわかにわいた。
「西村てめええええええ! 裏切ってやがったなこの野郎!」
「ああああああ、アコお前何言ってんの!? 違うんだってそういうんじゃねえってマジで!」
「なにが違うんだ思いっきり名前で呼んでんじゃねえか!」



