二章 マスター・オブ・現代通信電子遊戯部 ②
俺の襟首をつかんでぐいんぐいんと揺すってくるクラスメイト。顔は笑ってるから勿論本気じゃないだろうけど、だからこそ遠慮なくからかってくる。
やばい、なんとか誤魔化さないと──。
「あ、ちょっと、やめてください! 私のルシアンにひどいことしないで!」
「わ、私の……だってよ」
俺の首をつかんでいた手がびくりと震えてとまった。
アコの声はさっきまでと違い、怯えた小動物が威嚇するような必死さがこもっていた。聞くだけで申し訳ない気持ちになるような切実な声。
「え、えっと、君さ。こいつと一体どういう関係で?」
「あ……待て、その質問は」
その質問に俺はなぜか背筋が寒くなった。
こうまで騒ぎになった以上素直にゲーム仲間だと言うぐらいは仕方がない。
むしろここでアコが素直にそう言ってくれれば大した騒ぎにはならない筈だ。ああ、オタ仲間なのね、みたいな。
なのにすさまじく嫌な予感がする。
その予感の元はそう、顔を真っ赤にして、しかし強い視線でクラスメイトを睨むアコ。
「それは……ルシアンは、私の大事な旦那様だから」
「にしむらああああああ」
「うわあああああああ」
きゃーっ! 旦那だって! と叫ぶ女子の声が聞こえた。
爆発したようにクラス全員が騒ぎ出した。
だめだこいつだめだ本当にだめだ!
もう収拾がつかない!
この地獄がチャイムまで続くことを覚悟した俺の前に、
「ちょっと、玉置さん!」
「せ、瀬川!」
ツインテールの救世主が現れた。
「ったく、朝から騒がしいのよ。ルシアンだか旦那設定だか知らないけど、オタク臭い話なら外で二人でやりなさいよ。皆を巻き込まないでよね」
「……お、おおお」
なんということだろう。騒がしいクラスが一瞬にして静まりかえった。
不機嫌な顔で言う瀬川がこの時ばかりは天使にすら見えた。
瀬川の言葉はいくつもの意味で俺を助けようとしてくれていた。
ルシアン呼びと旦那話をいつものオタクっぽい話の枠に収めてしまうことで俺と玉置さんの関係を怪しまれる方向からずらし、今日は不機嫌だという空気を定着させた自分の存在を使って俺とアコを教室から追い出そうとしてくれている。
「…………ふん」
俺にだけ見えるよう、瀬川は軽くウインクして見せた。
できる、コイツはできるヤツだ!
完璧だ瀬川──いや、今のこいつは瀬川じゃない。シューだ。シュヴァイン、俺と幾つもの死線をくぐりぬけた友よ!
「ほら、言われたしさ、話なら外で聞くから」
しかし。アコにそんな気遣いは全く通じなかった。
「あ、おはようございます、シューちゃん」
「っ!?」
ふっと表情を緩めたアコの口から放たれたのは、色々なものを一発で台無しにする一言。
「あれ、シューちゃんもルシアンと同じクラスだったんですか? いいなあ、二人一緒……」
「ちょっ、あんた……」
「……シューちゃん?」
「ひぐっ!」
クラスのどこからか聞こえた声にびくりと瀬川の体が震える。
だらだらと流れる冷や汗をそれとなく拭うと、瀬川はぽんぽんとアコの肩を叩いた。話を聞け、わかるな、口答えするな。そんな気持ちが目線から伝わってくる。
「な、何を言ってるのかわからないけど、とりあえず外に出なさい外に。いい、教室の外に出るの。出ろって言ってるのよ私は。わかるわね?」
「え、あれ? シューちゃん、怒ってますか?」
「い、いいから、アコ、ほら外に……」
ぐいっとアコの腕を引こうとした瀬川の手が空を切る。
アコが大げさな動作でぽんと手を叩いたのだ。
「あ、わかりました。ちゃんと呼ばないから怒ってるんですね。おはようございます、シュヴァインさん。今日は俺様! とか、だぜ! とか言わないんですね。あ、もしかして昨日言ってた、隠された暗黒面がシュヴァインの時にでてくる、みたいな状態で……」
「いやああああああああああ」
瀬川が絶望の叫びを上げた。
それはもう、これがゲームの中ならスクリーンショットを撮って永久にデータを残したいと思うぐらいの見事な絶望の表情だった。
「お、落ち着けシュー! 叫ぶのはだめだ!」
「あんたも余計なこと言うんじゃないわよ!」
「え、何、三人知り合い……?」
呆気にとられた様子で言う女生徒A。
「知り合いでもなんでもない! ほら、とにかくこっちこい! こいっつってんのよこらああああああ!」
女生徒Aに怒鳴るように言うと、俺とアコの首をひっつかみ、瀬川はすさまじい力で歩き出した。自分の人生が終わる瀬戸際の火事場のバカ力だろうか、二人ともぐんぐんひっぱられる。
「シューちゃん? ど、どうしたんですか?」
「シューちゃん言うなあああああ!」
しかしその顔はひどい絶望に染まっていた。
「アコ、あんた一体全体どういうつもりよ」
ぜーはーと肩で息をして、瀬川。
しかし言われたアコの方は
「どうって……えっと、私が何か変でしたか?」
訳がわからない様子でおろおろと言うだけだった。
「むしろ変じゃないところをあげてみろってんのよ!」
「お、落ち着けシュー!」
「シューっていうな!」
「シュヴァインさん!」
「そういう意味じゃない!」
瀬川はもはや涙目だった。
俺はあわてて瀬川の肩をつかむと、ぽんぽんと叩いて言った。
「お、おーけー瀬川。まずは落ち着こう。騒ぐのはやめるんだ。後、なんつうか、盛大な自爆に巻きこんですまん」
「本当よ! 変な仏心なんて出すんじゃなかった!」
頭を抱える瀬川。と、それを困った顔で見つめるアコ。
「る、るしあん、シューちゃんなんで怒ってるんですか? 私に話しかけられて迷惑だった、とか……」
怯えた様子で聞いてくる。
身を縮めてビクビクとしたそのリアクションは、まさかお前天然なのか。
「違うだろ。シューとかシュヴァインとか呼ぶからだよ」
「え……駄目なんですか?」
「当たり前でしょうが!」
ばんばんと廊下の壁を叩く瀬川。
壁を殴るのは代行さんに任せよう、な? ほら、手が痛むぞ。
「じゃあなんて呼べば……」
「瀬川さんとか茜ちゃんとか、普通に呼べばいいんじゃねえの?」
「ええっ!?」
アコは更にびっくりしたように言う。
「でも私にとってシューちゃんはシューちゃんなのに!」
「あたしは瀬川茜よ!」
「おちつけ瀬川。あのなアコ、ルシアンとかシュヴァインってのはあくまでゲーム内の名前で、リアルではちゃんと本名があるだろ。時と場合っつうか、TPOというか、そういうやつでさ。ちゃんと名前で呼んでくれよ」
「でも私と友達なのはルシアンとシューちゃんだから……」
「ここはゲームじゃないんだからアコにとってどうとかいう問題じゃないわよ」
「ゲームとリアルは別だろ、アコ」
溜息を吐いて言う俺達に、アコは目を丸くした。
「え、どうしてですか?」
「え?」
「え?」
なにそれこわい。
三人で顔を見合わせて疑問符を向けあう。
「あ、あこ?」
「あんた、何言ってるの?」
「え、私がおかしいんですか!?」
アコは目を丸くして言うと、ふらりと一歩、俺たちから距離をとった。
「ゲームとは違うって……じゃあ私とシューちゃんってただの同級生なんですか? 友達でもなんでもない? ずっと一緒に遊んでたのに、毎日あんなにお話ししてたのに」
「いえ、それは……」
言いよどむ瀬川から俺に視線を移し、アコは涙まで浮かべて言う。
「ルシアンと私って何の関係もない他人なんですか? 大好きだったのに、ルシアンも大好きって言ってくれたのに。私と結婚してくれたのに!」
「だからな、アコ……」
瀬川と顔を見合わせる。



