二章 マスター・オブ・現代通信電子遊戯部 ③
(ど、どうしよう?)
(あんたの嫁でしょ、なんとかしなさいよ)
(それはちょっと難易度高えよ。と、とにかく慰めるか)
(おk)
視線だけで会話して、すぐにアコに向き合う。
「ただの知り合いだとか、同級生でしかないとか、そんなことは絶対にないわよ?」
「ああ、ずっと一緒に遊んでたんだから当然だろ」
「う、嘘です! やめてください! これから私に酷いこと言う気でしょう? あの同人みたいに! あの同人みたいに!」
ぎゅっと両手を胸元に抱え、抑え切れない思いを吐露するように、アコは叫んだ。
お前学校で何を口走ってんの!?
「しないわよ! あんたも友達だし、大事なギルドの仲間よ。当たり前でしょうが!」
「俺にとってもそうだよ。ゲームの中では大事な嫁だし!」
言っといて何だけど、うっわ、超恥ずかしい。
生身の相手に嫁宣言とか一生やる機会なんてないと思ってたよ。
「じゃあ二人ともどうして怒ったの? 私のせいですか?」
ちょっと冷静になったのか、アコは上目遣いに言った
「だからゲームの名前をリアルで呼ばれるのは嫌なのよ。あたしはゲーム……それもネトゲなんて絶対しないようなキャラで通ってんの。横文字の名前で呼ばれたりすると困るのよ」
「豚だしな」
「るさいわね」
瀬川に余計なこと言うな、と睨まれる。
廊下の片隅、人気はないが、遠くに同級生が居るのが見える。気を抜ける場所でもない。
「じゃあ私、どうすれば」
「別に難しく考えなくていいって。あたしのことは普通に名前で呼んで。瀬川でも茜でもいいから」
「せ……瀬川、さん」
「ええ、玉置さん」
アコは何故か恐る恐る瀬川の名前を呼び、瀬川もようやく微笑んで答えた。
「お友達、ですか?」
「当たり前でしょうが、何言ってんのよ」
「……よかった」
アコも、ぱあぁぁ、っと花が咲くように笑みを浮かべた。が、瀬川は逆にはぁぁと大きく溜息をついた。相当に疲れたんだろう。ま、わかってくれて俺も助かった。
「俺のことも普通に西村って呼んでくれていいから」
「に、西村くん」
「おう、アコ……じゃない、玉置さん」
「アコでいいですよ?」
「それは色々問題あるし」
「アコって呼んで欲しいです」
「それはほら、もう少し親しくなってからさ」
女子を名前呼びとか、流石に他の男子の前でできることじゃない。
「じゃあずっとルシアンって呼び続けますね!」
「すいませんでしたアコさん!」
それは流石に恥ずかしすぎます!
ぐわっと頭を下げた俺をよしよしと撫で、アコは嬉しそうに漏らした。
「だからルシアンは大好きです」
「西村だっつの」
頭を上げるとにこにこと微笑むアコが居た。その顔を見ているとなんでも許せる気がしてくるのは、俺が嫁に甘いってだけなのか。
「よっわ……」
「うっせ」
向こうから呼べって言われたのに嫌がるのも、無駄に意識してるみたいじゃん。それもそれでゲームとリアルをごっちゃにしてるだろ、と自己弁護。
「ほら、予鈴鳴るし、さっさと帰るわよ」
「はい! これでいつでもシューちゃん……瀬川さんに話かけていいんですよね!」
跳ねるように瀬川に駆け寄り、その手を取って言うアコ。
「そりゃいいけど、学校でネトゲの話とかネットの話とか振るのはやめてよ」
「え、ええ!?」
直後、その手がビシリと固まった。
「そ、それは無理です!」
「なんでよ」
「だって他に話題なんて何もなくて……」
本気で落ち込んだ様子でアコが言う。
「あ、あんたね……」
「アコ……悲しすぎだろそれ」
流石の俺も肩を落とした。瀬川も頭を抱えている。
長めの前髪に隠れてアコの表情は見えないが、酷く落ち込んでいることは声のトーンだけで充分にわかる。アコ、それで普段はどうやってクラスで過ごしてるんだよ──。
あ、そうだ。それで思い出した!
アコをどっかで見たことあるんだよなーと思ってたら、全校集会で会ったんだ。
俺にぶつかって滅茶苦茶怯えてたあの子、あれがアコじゃん! オフ会で会った時はちゃんと顔を合わせてくれるからわかんなかったんだ!
「ど、どうしよう……」
泣きそうな顔で言うアコは、なるほどあの日の彼女だった。
ってことはアコって普段はあんな感じで過ごしてんの?
そ、そりゃ友達は居ないかもしれないなぁ。
「んじゃ別に無理しなくてもいいでしょうが。LAの中なら幾らでも話せるんだし」
「そんな……」
そんな俺の納得を余所に、アコにとってはキツイだろうことをあっさりと言う瀬川。
彼女は落ち込むアコの顔をぐっとつかんで俺の方を向かせると、
「その分はほら、あんたの旦那に付き合ってもらいなさい」
「な、なんでっ!?」
「あんたはネトゲの話振られても平気でしょうが」
「そりゃそうだけど」
「本当、ルシアン? ルシアンは大丈夫なの?」
いいえ、俺は西村です。
それは後で矯正するとして、だ。
「確かに俺は平気だよ。ルシアン呼びは控えて欲しいし、旦那ってのも困るけど、それ以外なら何でも」
今はあんまり友達が居ないってんでも、こうしてころころと表情を変える俺達の前のアコを見せていれば友達なんて幾らでもできるだろ。
あと、ぶっちゃけ俺もそんなに友達が多いって訳では……その……ないし……。
「る、ルシアンー!」
「俺の話を聞いてたかお前!」
「良かった。ルシアンはやっぱり私の味方なんだよね。ルシアンは、ルシアンは!」
「まずはそっから改めろ!」
ぎゅっと口元に両手を引き寄せ、感動に打ち震えるアコ。
そんな彼女に俺の方は不安に包まれた。大丈夫かなあ、こいつ。
「西村くん、瀬川さん? そんな所で何をやってるのー? ホームルーム始めるわよー」
と、廊下の遠くから斉藤先生が呼んだ。
「はーい、すぐ戻りますー!」
「そうして頂戴ー」
そうだったそうだった、もう時間がない。あの騒ぎの後予鈴まで戻ってこないとなればさらなる大騒ぎを呼ぶだろう。
「そうね、話も付いたし戻りましょう。ったく、朝から偉い疲れたわよ。クラスの皆も西村のせいにしてごまかさないといけないし」
「俺のせいにすんのかよ……いいけどさ。アコ、大丈夫か? 戻れるか?」
「はい」
ちゃんと返事は返ってきた。
よし、と歩き出す。
「……あ、ルシアン」
その直後、俺の服の袖を引いて、アコ。
「お昼休み、教室で待っててくれますか?」
「いいけど、どした?」
「お昼作ってきたから、よかったら一緒に」
…………はい?
自分の体が不自然な姿勢で固まったのがわかった。
そして先に立って歩き始めていた瀬川もぴたりと止まった。
「あ、アコ、何言ってるんだ?」
「ルシアンの分のお昼、作ってきたんです。あんまり自信はないんですけど……」
俺を見上げ、ほんのりと頬を染めて、アコはそんなことを言った。
廊下を吹き抜けた風でふわりと前髪が流れる。さっきの涙が残っているのか、明らかに濡れた瞳がまっすぐに俺を見つめていた。
「なんで、そんなことを?」
知らぬ間にごくりと唾を飲み込んで聞いた俺に、アコは少しだけ瞳を揺らして答えた。
「だってルシアンは私の旦那様だから」
「…………だからそれはゲームの中のことだよな?」
「? だから、結婚しました、よね?」
あれ? と本当に心底不思議そうに言う。
「……ねえ西村、あたし思ったんだけどさ」
「ああ、俺も今似たようなことを思った」
呆れ顔で振り向いた瀬川に、俺も力なく返した。
やばい、こいつ──俺と真逆だ。
人間関係を、ゲームとリアルで、欠片も区別してねえ。
「……どうすんのよ」



