三章 猫姫ハンターフロンティア ③

 夕日に照らされて紅く染まる町と、それに染まる自分の顔が言い訳になることを願って、ぽつりぽつりと本音を漏らす。


「実際アコは可愛いし、気も合うし、一緒に居て楽しい。昔のトラウマが未だ消えない俺じゃなければすぐに諦めて楽になってたんじゃないかと思う。その点で言えばちょっとアコには悪いかなって思わなくもないよ」

「え、えええっ!?」


 そう言った俺に、アコは目を丸くした。


「西村君がデレました! これはまさか夢ですか!? 早く起きないと部活に遅れちゃう! 西村君、ちょっと私のほっぺをつねって下さいたたたた痛い痛い痛いです!」


 こいつほっぺた柔らかいなー。

 折角わざわざ本音を言ってやったのになー。

 あー、殺したいなー。恥ずかしいこと言った俺を殺してしまいたいなー。

 そのままぐいぐいと頬をいじっていると、何やら段々とアコの表情が緩んでくる。


「ふわあ、西村君が……ルシアンが、私の顔をさわってる……」

「なんで喜んでんの、お前」

「だって! だってルシアンがデレた上に自分からのスキンシップですよ!」


 やれって言ったのお前だろうが。

 なんだかなあ、とアコの頬を離すと、彼女はゆらりと俺の体に顔を寄せてきた。


「ふへへ、ルシアン……ああ、凄いルシアンの匂い……」

「え、俺の服、臭い?」

「そうじゃなくてほら、あれですよ、その……ああもう! 辛抱たまりません!」

「何がっ!?」


 据わった目つきで言うと、アコはぐわっと俺の首元に顔を寄せた。

 そのままぐりぐりと顔を押しつけ、聞こえるぐらいにスーハースーハーと深呼吸をする。


「ルシアンくんかくんか! はすはす! くんかくんか!」

「な、のっ、ちょっ、やめろやめろ! かかってる! 鼻息がかかりまくってるから!」


 もの凄い吸ってる! なんか俺が吸われてる!

 そして俺の顔の辺りにアコの頭が来てて、そこからすっごい良い匂いがする!


「匂うだけじゃ足りません! これはもう直接味わうしか!」

「味っ!?」

「ペロペロ! ルシアンペロペロ!」

「ちょっ──」


 直後、ぬるりとした感触が首筋に走った。

 思考が空白に埋まった隙にもう一度、二度としめった柔らかい何かが肌の上を往復する。

 肌に感じる荒い吐息が俺の口までのぼってきてアコと吐息を交換しているような気分だ。

 普通なら鳥肌の立つような不気味な感触が、少しだけ気持ち良いと思え──って、されるがままになってる場合か!


「う、うわああああああっ! 何舐めてんだお前っ!」


 全力でアコを引きはがすと、彼女は必死に俺に手を伸ばし、口から赤い舌をのぞかせた。


「ああっ! もうちょっと! もうちょっとペロペロさせてください!」

「ここ通学路だぞ!」

「ルシアンの体ならどこでもいいから! どこでもいいからペロペロさせてください!」

「俺の理性にダイレクトアタックすんのやめろ! 無理だから! 俺のライフポイントはもうとっくにゼロだよ!」

「はーい」


 やるだけやって満足したのか、アコはそこそこ満ち足りた様子だったが、俺の方はもう息も絶え絶えだ。


「ったく……なんでアコは俺の所に来たんだろうな。もっと別の男の所ならこうはならなかっただろうに。これも一種の物欲センサーか」

「こ、怖いこと言わないでください。物欲センサーがちゃんとお仕事したら私の所に西村君がドロップしないじゃないですか」

「俺をドロップアイテムみたいに言うなよ!」

「凄いレアですね、一個でたら一財産の超級品ですよ」


 どこがレアだよ。俺なんか一山幾らの店売り品だ。

 どう考えてもアコの方が希少品だろうが。


「むしろ超レアなのはお前の方だっての」

「いーえー、西村君の方ですー」


 ぷいっと顔を背けて言うアコにイラっとした。

 何を理由にそんなことを言うか。


「お前の方が貴重だって」

「違いますー、西村君の方が価値が高いですー」

「アコの方が絶対貴重だっつの」

「私にとっては西村君以上の物はないんです」

「俺にだって──って何だよこの会話!」


 あっぶねえ、会話の流れに乗せられてろくでもないことを言いかけた!

 慌てて口をつぐんだ俺に、アコはあからさまに舌打ちをする。


「くう、もう一声だったのに……」

「俺の言質とったからって何も変わんねえからな!」


 なんだかなぁ。

 ただ、そうだな、やっぱ部活なくなるの残念かな。

 こうしてリアルのアコと馬鹿な話ができなくなるのは寂しいって、そう思うのは間違いない事実だった。


「あ、西村君、今日はあんまん買っていきましょう、あんまん!」

「俺の口はにくまんの気分なんだけど」

「あんまん!」

「にくまん!」

「…………じゃーんけーん」

「ぽん!」


 気分はにくまんだったけど、あんまんも、まあ悪くはなかった。

 もちろん、じゃんけんは俺が勝ったんだけどな。



「なんとかなんねえかなぁ……」


 翌朝、ホームルーム前の教室で、俺は一人呟いた。

 結局一晩中、部活廃止をどうにか止められねーかなーと考えていた。

 別にいいじゃん、嫁だからどうとかじゃなくて、友達のアコが残念がってるから力になってやりたいなって思ってるだけだし。もうちょっと友達のアコと話す時間があってもいいなって思ってるだけだし。

 そんなの普通普通、普通だよ!

 もう必死の自己弁護だった。残念ながら自覚は有る。

 大体さ、そんなに大きな問題じゃないんだ、要するに顧問さえいれば良いんだ。適当な先生を捕まえて現代通信電子遊戯部の顧問になってくれませんか、って聞けば良いんだ──いや、絶対やってくれねえけど。


「どうすっかなー。あー、どうすっかなー」

「どーしましょうかねー」


 目を閉じたまま漏らした俺の独り言に当たり前の様に言葉が返ってきた。

 そっと目を開くと、地面に膝をついて視線を合わせたアコがにこにこと笑顔で俺を見つめていた。


「なんで居るの、お前」

「それはもちろん旦那様に朝のご挨拶を」


 雑談にふける周囲のクラスメイトの声が一瞬静まり、また戻る。しかし視線がちらちらと向けられ、ひそひそと噂されているのがあからさまにわかる。

 もうさ、男の視線が物理的に痛いレベルなんだけど、これって肉体的に悪い影響とかでてないかな、大丈夫か?


「あー、玉置さん。それはゲームの話で、リアルは違うんです。いい加減にやめなさい」


 クラスメイトの手前、冷静に説教するように言う。


「えー」

「えーじゃねえよ」


 そこで嫌そうにするから誤解が消えないんだよ。

 っつか不満そうにしてるその顔が既に可愛いんだよ、反則じゃねえかそんなの。

 よし、ちょっとアプローチを変えて説得してみよう。


「それにな、さっきの旦那様って言い方じゃ嫁ってよりメイドみたいだったぞ。それは違うんだろ?」

「むむ、そうですか。じゃ、じゃあ──」


 アコはゴクリと唾を飲むと、上目遣いに俺を見つめて、珍しく本当に照れた様子で言う。


「もう朝ですよ……あ、な、た♪」


 蕩けたような声、柔らかい笑み、優しい言葉。

 俺を見つめる瞳に籠もった確かな愛情と、それを証明するように幸せ一杯の表情。

 それは目を覚ました瞬間に彼女がいたのなら、この一日を幸せに過ごせると確信できるような光景だった。


「お、アコ、もうすぐ予鈴鳴るぞ。そろそろ戻れよ」

「ええええっ!?」


 そして俺はその全てを思いっきり放り投げた。


「渾身! 渾身でしたよ今の! 我ながら結構ぐっとくる感じだったと思いますよ! ここでスルーなんですか!?」


 流石のアコもさっきの発言は恥ずかしかったらしい、かなり本気で傷ついた様子で言った。

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