三章 猫姫ハンターフロンティア ⑨

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 夜が明けて、朝になって、日が高くなって、それでも俺は胸のムカつきを抱えたままだった。

 ベッドに寝転んで天井を見上げる。

 もやもやする、とんでもなくもやもやする。

 目を瞑っても、他のことを考えようとしても、頭に浮かぶのはアコのことばかり。

 ルシアン、ルシアン──そう俺に懐いてくるアコの笑顔が意識に貼り付いて離れない。

 時間はもう夕方だ。その男とはとっくに会ってるんだろうな。

 俺の前でしか見せないと思ったあの笑顔を、別の男の前で浮かべているのかな。

 その光景を想像しただけでわけのわからない感情が溢れてくる。自分の中にこんなにも無駄な力があったのか、というぐらいに強く拳を握りしめる。それでもなお足らず、ぎりっと歯を噛みしめた。


「ぐ……」


 口の中に微かに血の味が広がる。

 その鉄臭い味が、酷く嫌な想像を掻き立てる。

 アコのやつ、危ないことになっていたりしてないか。辛い目にあったりしていないか。

 想像するだけで体がうずうずとして、どうにもじっとしていられない。

 いっそ走り出せたらずっと楽なんだろうと思う。そうするべきなんだと思う。でも俺はいつまでも部屋を出られないままだった。

 最後にアコが言った言葉が今でも頭を離れない。


『ルシアン、ゲームとリアルって何が違うんですか』


 そう言ったアコに、俺は今でも返す言葉が何もない。


「ああもう、くそっ」


 俺は起き上がると、部屋にあるパソコンを起動した。

 無意識にLAを動かす。

 アコが居ればいいなと思ったが、当たり前だがそこには居ない。

 その代わりにマスターとシューの二人が座っていた。ちょうど良い、と声をかけようとしたところで、先に二人の頭上にチャットが表示された。


◆アプリコット:来たか、ルシアン

◆シュヴァイン:ちょっ、あんた何やってんの!?


 シュヴァインのロールプレイも放っぽり出して、瀬川がすぐに詰め寄ってくる。

 なんだよ、どうしたっていうんだ。


◆ルシアン:いきなりご挨拶だなー、どうしたんだよ

◆シュヴァイン:どうしたもこうしたも、あの子は今──

◆アプリコット:まあ落ち着けシュー


 ぽんぽんとシューの肩を叩き、マスターが言う


◆アプリコット:昨日シューが苦労して聞き出したんだがな、アコのオフ会の時間は夕方の六時だそうだ


 夕方? 六時?

 なんだそれ、夜に女子高生引っ張り出してどうしようってんだその男!


◆ルシアン:夕方って思いっきり直結臭いじゃねえか

◆アプリコット:ああ。それも向こうが前ヶ崎にまで来るそうだ。それがアコの条件だったらしいからな

◆ルシアン:そこまでしてアコに会いたいってのか。くそ、どう考えてもヤバイだろ。あの馬鹿、なんでわかんねえんだよ


 時計を見ると、ちょうどもうすぐ六時、という時間だった。

 思わず電話しようか携帯を握る。

 でもボタンが押せない。たった数回ボタンを押せばアコにつながるってのに、そのボタンが本当に重い。

 だってさ、アコが電話に出てくれなかったらどうする?

 電話に出てくれても、迷惑そうな声を出したらどうする?

 電話の向こうで知らない男の声が聞こえたらどうする?

 そしてもしも俺からの電話を喜んでくれたとしても──伝えられる言葉が何かあるのか?


◆シュヴァイン:なんで行かないのよ

◆ルシアン:……え?


 画面の中でシューがぶんぶんと剣を振り回していた。


◆シュヴァイン:あんたの家、駅からそんな遠くないでしょ、まだ間に合うわよ

◆ルシアン:行く……って言ったって


 言われて部屋の時計を見る。確かに時間は六時少し前、今すぐ家を出て自転車をこげば間に合うかもしれない。


◆ルシアン:でも……俺にそんな権利ねーし

◆シュヴァイン:権利って何!? 友達が危ない目に遭いそうなのに止める権利がないっての!?

◆ルシアン:アコが自分で、二人で会いたいって言ってんだぞ。そこに割り込むのかよ。そんな権利ないって……アイツが言ったんだぞ


 良い所で友達、悪ければただの同級生だ。

 アコが求めてくれなければ俺にそんな権利なんてない。だから俺はこんなに悩んでるってのに、なんでわからないんだよ。


◆シュヴァイン:なにそれ、だっさい! 格好悪い! あんたがそんなクソみたいな男だと思わなかったわよ!


「っさいな……」


 瀬川がシューになってから腹の立たなくなっていた言葉が今は酷く腹立たしい。

 ただでさえイラついているってのに、その上お前までこれかよ。

 この鬱陶しい画面を叩き割ってやろうかと本気で思う。


◆シュヴァイン:こんな情けない奴、そりゃアコも愛想つかすわよ。むしろなんで一度は惚れたのかもさっぱりわかんないわ。そうね、いいんじゃないの、あんたみたいな旦那捨てて別の男の所に行った方が幸せよ!


「っ!」


 アコが俺じゃない男の隣で寄り添う姿が脳裏をよぎった。

 ただの想像なのに、何故か本気で胸が痛む。


◆ルシアン:なんでお前にそこまで言われなくちゃなんねえんだよ!

◆シュヴァイン:あの子はあんたの嫁でしょ!? そのあんたが何もしないからよ!

◆ルシアン:何が嫁だよ、そんなのゲーム内だけの話だろ!


 なんでこんなことばっかり言うんだ、コイツは。

 さっきから人の気持ちを逆なでするようなことばかり言いやがって。


◆シュヴァイン:そんなの関係ないわよ! その気さえあれば何だってできるでしょうが!

◆ルシアン:わかんねえ奴だな! 何もできないからこそ俺はこんなにイライラして、こんなにも不安で、こんなにもアコのことが頭から離れないんだろ!

◆シュヴァイン:……あんたね


 八つ当たりだと思いながらも、イライラした気持ちをシューにぶつけた。

 しかし何故かシューは怒った様子もなく、やれやれと首を振っただけだった。


◆シュヴァイン:あのさ、あんたアコのこと好きなんでしょ。ならそれでいいじゃない、さっさと行きなさいよ


 その代わりとでも言うように、わけのわからないことを言いやがった。

 何言ってんだコイツは。


◆ルシアン:あのなあ、んなわけねえだろ

◆シュヴァイン:そんなわけあるってば! そうとしか見えないんだって! ちょっと直前のチャットログを見てみなさいよあんた!

◆ルシアン:今そんな気分じゃねーんだよ、ちょっとは空気考えてくれよ……

◆シュヴァイン:ええええっ!?


 アコのことが気がかりでしょうがないってのに、シューが五月蝿くて仕方ない。こいつもしっかりしてくれよ、今はもっと考えるべきことがあるだろうが。


◆アプリコット:私は思うんだがな、ルシアン……いや、西村英騎君


 と、静かに俺達を見ていたマスターが言った。


◆アプリコット:わかっていたとは思うが、私もどちらかと言えばアコ寄りだ。そんなにゲームとリアルを別にしたい、なんて思ってはいない


 知ってる。放っておくとアコに影響されるから瀬川を引っ張りこんだぐらいだし、最初からあんまりリアルとゲームを分けたがってもいなかったし。


◆アプリコット:その私から見るとだな、アコもゲームとリアルを混同し過ぎではあるが、君もリアルとゲームを別にし過ぎているように思うのだ

◆ルシアン:別にし過ぎてるって、じゃあ俺がこいつの旦那ですってアコと男の間に割り込んで行けと? そりゃ、それができたらどんなに良いかとは思うけどさ

◆シュヴァイン:いや、だからねルシアン、その言葉が既に結論をね

◆アプリコット:そこまでは言わないがな


 シューが何か言ってるのを視界の隅には見ながらも、後で読もうと決めてチャットを続ける。

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