一章 汝は隠れオタなりや? ①
「やっべ、やらかした」
授業の合間に設けられた短い休み時間。
人気のない購買部の隣に据えられた自動販売機の前で、俺は衝撃の事実に震えていた。
「財布、持ってきてないじゃん」
わざわざ自動販売機の前まで来たってのに、財布を持ってきてなかった。
制服のズボンの右ポケットを調べても、左ポケットを調べても、財布は入ってない。
というかよく考えると財布は家に置いたままだった気がする。
そしてよくよく思い出すと、家を出る時に財布がないことに気付いていたと思う。
「なのに俺、何も心配してなかったよな。何か理由があってどうにかできるからそのまま学校に行ったんだよ。えっと、なんだっけ……」
財布がないのにそのまま学校に来たのは、確かえーと…………あ、そうそう、家を出る時にこう考えたからだ。
『あー、学校まで結構遠いから、途中で出てきた敵を適当に倒せば昼飯代ぐらいにはなるだろ』
「ならねえよぉぉぉぉ!」
その時の自分に全力で突っ込みを入れるが後の祭りだった。
ゲームの中じゃないんだからそんな無茶苦茶が通るわけないのに、マジでそう考えて学校まで来たのか、俺は。
買えないよ、ジュース買えないよ。
だってモンスターとか出ないし。出たら俺死ぬし。
「……帰るか」
こんな馬鹿な事情を話して金を借りるわけにいかない、諦めるしかない。
うん、今日は水道水で我慢しよう。昼飯は……アコ、作って来てくれてないかな。
そう考えながらくるりと振り返ると──あれ、こっちに誰か歩いてきてる。
あの俯いて自信なさげに歩いてる、前髪で顔の隠れた、ちょっと見慣れた人影は。
「おーい、アコー?」
「……? あ、ルシアン!」
俺の声にぱっと顔を上げる。こちらを向いたのは見慣れたアコだった。
足下しか見ていなかった三秒前は何処へやら、アコはこちらに駆け寄ると、ふにゃりと表情を緩めた。
「こんな所で会えるなんて、これも運命ですよね!」
「自販機の前で出会う運命とか何も嬉しくない。あと、ルシアン言うな」
もうちょっとロマンのある場所で出会うような、素敵な運命が欲しいと思う。
「んでどうした、こんな時間に飲み物か?」
「そうなんですけど、それだけじゃなくて」
「それだけじゃなくて?」
「教室に居づらいもので、ちょっと飲み物買いに行ってた、を言い訳に脱出してました」
「……そ、そっか。頑張れ」
重い、理由が重いよアコ。
友達作れよ、とか偉そうに言うのも何だし、曖昧に頷くしかない。
「っていうかですね、この人生オフラインってゲームがクソゲーなんですよ。初期ステータスが完全にランダムだし好きなスキル使えないしステ振りに自由度ないし、なによりプレイヤーが全員ガチ勢なんですよ!? 私みたいなエンジョイ勢じゃ手も足も出ないと思いません!?」
「ま、まあオフラインだし、多少の不便は」
「私だけちょっとラグってるんですよ。だから上手くいかないんです」
「人生がラグってるとか生まれて初めて聞いた」
全く評価する気になれないけど、アコが何をやっても鈍いって意味ではあってる気がした。
「その辺はいいとして。買うなら買ってけ」
「はい。とりあえずペットボトルがあれば一人でいても手持ちぶさたじゃない雰囲気を出せるので、それを」
だから事情が重いと言うに。
そこには触れないように自販機の前を譲ると、アコはスカートのポケットを漁り、小さな財布を取り出してぱかっと開くと──。
「……あ」
ぴたりとその動きを止めた。
「どうした?」
「そうでした。私、お財布にお金が入ってないんでした」
その事実に自分でびっくりした様子で、アコは目を丸くしていた。
むしろこっちの方がびっくりなんだけど。
「なんで自分の財布の中身を覚えてないんだよ」
「いえいえ違います。財布の中身がからっぽなのは覚えてたんです」
じゃあなんで自販機まで来たんだ、という突っ込みを入れるまでもなく、アコは空っぽの財布をぽんぽんと叩き、
「ただその、学校でインベントリの要らないアイテムを売ればジュース代ぐらいは出るよねって思って、とりあえず購買まで来たんですけど……」
「……うん」
「よく考えると、購買じゃアイテムとか買い取ってくれないですよね────と考えて、いや私はアイテムとか持ってないよ、って更に気付きました。ここゲームじゃないですもんね」
「……そだな」
どこかで聞いたような話だった。
あれですか、一緒に居ると夫婦は似てくる、みたいな話なんですか。
「ど、どうしましょう」
おろおろと俺を見るアコ。
うん、ジュースぐらいなら買ってやりたい所なんだけど。
「ごめんな、俺も財布持って来てないんだ」
「え? じゃあルシアンはどうして購買に?」
「……学校に来る途中でちょっとモンスターを狩れば金も貯まるだろって思って」
「…………えへへへへ」
「こら、やめろ! 単にお互い馬鹿なだけだろ! 嬉しそうにすり寄ってくんな!」
考えることが一緒だー、みたいな変な喜び方はやめろ!
体をぐいぐい押しつけてくるアコをそのまま抱きしめたら気持ち良いんだろうなーと思わなくもないんだけど、そこは必死に我慢する。ゲームとリアルは別。出会ってまだ数日の女の子にそんな真似はできません。
「あんたら、何やってんの」
「お?」
と、呆れた声に振り返ると、少し疲れた表情の瀬川が居た。
「あ、シューちゃんも来たんですね」
「シューちゃんはやめろって言ってるでしょ」
隠れオタをやっている瀬川はゲームのキャラ名呼びに顔をしかめた。
しかし短い休み時間なので自販機に来る生徒は少ない。周囲に人気がないのでそれほど怒りもせず、瀬川は自販機の前に立った。
「遅刻ギリギリで走ってきてそのまま授業を受けたから喉が渇いちゃって。あーもう、この私としたことが、失敗したわ」
「そういやお前、先生の直後ぐらいに教室来たよな」
「そうなのよ。だから担任が猫姫じゃなかったら危なかったかもにゃ? ってやつ?」
「絶対にそれを斉藤先生の前で言うなよ、ラリアットされるぞ」
だいじょーぶだいじょーぶ、と気軽に言うと、瀬川はぐびぐびとペットボトルのお茶を飲み干した。男らしい飲みっぷりだな、おい。
「ぷはー、生き返ったー!」
「シューちゃんシューちゃん、その要らないペットボトルだけもらえません?」
「……何に使うのよ」
いぶかしげに言う瀬川。それはな、休み時間は飲み物を買いに行ってました、というアピールのために使うんだよ。聞かないでやってくれ。
「そ、そういや遅刻とか珍しいけど、何かあったのか? 昨日そんなに遅くまで狩ってたっけ」
「ちょっと欲しい武器があって一人で狩ってたのよ。それで寝坊したんだけど──それがねえ、馬鹿みたいな話なんだけど」
からっぽのペットボトルをアコに手渡し、瀬川は苦笑して言う。
「起きてすぐに時間がヤバイのはわかったんだけど、『あー、この時間なら駅までテレポジェムで行けば間に合うな。流石は俺様、遅刻などありえん』とかわけのわからないこと考えちゃって、ゆっくり準備したのよ。そんなことしたら当たり前だけど間に合わないわよね」
「…………」
「…………」
馬鹿なことしたわー、と笑う瀬川に、俺達は無言だった。
「……なんで黙んの?」
「いや……」
「その……」
すいません、同類なんです。
っていうか手元にちゃんと金がある分だけあなたの方がマシです。
と、見つめ合う俺達の背後から四人目の声がかかった。
「なんだお前達、全員揃って」
「あれ、マスター」



