一章 汝は隠れオタなりや? ②

 マスターまでひょっこりやって来ていた。現代通信電子遊戯部──ないしは、ギルドアレイキャッツ、こんな所で大集合だ。


「あたし達はたまたまタイミングが一緒だっただけよ。マスター…………ええと、会長こそ、二年の教室ってちょっと遠いでしょ。わざわざ休み時間に購買まで来たの?」


 茜の言葉に、マスターは重々しく頷く。


「ああ。やむにやまれぬ事情があってな」


 その流麗な顔で渋い表情をされると深刻な事情がありそうに見えるんだけども、これまでの経験からろくでもない予感しかしない。正直聞きたくないけど聞かないわけにもいかないので一応尋ねてみる。


「で、その事情ってのは?」

「よくぞ聞いてくれた。まず第一に、学校において『飲み物』といえば基本的には各自が自宅から持ち込んだ飲料、もしくは水道の蛇口や運動部用の冷水器から出る水といった無料の物になる。いいか、基本的には無料、即ち『基本無料』だ。──ここまではいいか?」

「そうですね」


 こくこくと頷くアコ。

 いや待って、ちょっと待って、よくないって。単語選びが明らかにおかしいって。


「ねえ、既にちょっと嫌な予感がしてるんだけど」

「……正直、俺も」


 やっぱ瀬川も同じ感想になるよな。

 マスターが『基本無料』がどうとか言ってる時点で嫌な予感がするに決まってる。


「まあ聞け。そして『基本無料』の水道水に対して、購買や自販機で買う場合、その飲み物は有料だ。通常ならば無料の水を飲む所、わざわざ追加で金を払ってもっと上の飲み物を買う──つまりこれは『課金』なのだ。間違いないだろう?」


 やっぱりそういう話かよ!


「なるほど、その発想はなかったです!」

「むしろその発想はいらなかった」


 この異次元論法に、どうして俺の嫁は目を輝かせているんだろうか。どの辺りが心の琴線に触れたんだろうか。相変わらずさっぱりわからない。


「さて、ここまではわかってもらえたと思う」


 わかってねえよ、という俺達の視線をさらりと受け流すマスター。


「それを前提とした上で、一時間目の授業中のことだ。真面目に授業を受けていた私は、ふと喉の渇きを覚えた。自販機で売っているレモンティーが飲みたいと思った。一度そう考えてしまえばあの味が飲みたくてたまらなくなる。もはや口の中がレモンティー専用になってしまう。そうだろう?」

「とりあえず、そういうことがないとは言わないわ」

「だろう!」


 げんなりと言う瀬川に我が意を得たりと頷き、マスターは勢いよく言う。


「思い出して欲しい。どのゲームであっても、課金アイテムというのはいつでも買えるようなシステム構成になっているのが当然だ。買おうと思えばいつでも買える。別に買いたくない時でもさあ買えと言わんばかりの場所に購入ボタンがある。そういうものだ」


 そりゃ向こうは金を払ってもらうわけだから、ネットゲームの追加課金システム周りは不必要なぐらい使いやすく整備するのが普通だけども。


「だから私はその場で課金をしようと思った。何せレモンティーは、この学校で言う『課金アイテム』だ。いつでも買えるに違いない、そう思った。──それが、聞いて驚け。なんとこの学校では授業中には課金ができないのだ。課金アイテムが買えないのだ。これはおかしいだろう。課金したい時に課金ができないのだ。果たしてこんな不便があっていいのだろうか。私は全くもって不愉快だった。かつてないほどに不快だった。だが、私も大人さ。そんな怒りの全てを胸に納めて、不便を不便のままに享受し、こうしてわざわざ購買まで脚を運んだ訳だ」


 ふふん、と胸を張り、マスターは言った。

 俺の記憶ではこの人は凄く成績が良かったと思うんだけど、うん、間違いない。

 こいつ馬鹿だ。

 絶対に馬鹿だ。


「──という冗談は良いとして、今日も時間通り部活だ。各々真面目に授業を受けてから部室に来るように。いいな?」

「本当に冗談だって言うならいいけども」

「当然だろう。こんな馬鹿なこと、一瞬考えただけに決まっている」


 やっぱちょっとは考えたんだ。

 呆れた視線を送る俺に微笑み、マスターはレモンティーを揺らして優雅に戻っていった。


「そうだルシアン、マスターにお金借りれば良かったじゃないですかっ!」

「あ、言われてみれば、確かに」


 そりゃこんな馬鹿な事情を話せるのはギルドメンバーぐらいだ。

 でも当のマスターは行っちゃったし、仕方ない。


「諦めて水で我慢しようぜ」

「そうですね……クラスメートを誤魔化すためのペットボトルはありますし」


 悲しいこと言うなっつうの。


「だからあんた達は何しに来たのよ?」

「…………」

「…………」


 不思議そうな瀬川の視線から、俺達夫婦はそろって目を逸らした。



「悪化してるんじゃないかしら」


 その日の部活の時間。現代通信電子遊戯部室で朝の顛末を聞いた斉藤先生は憂鬱そうに首を振った。


「玉置さんだけじゃなくあなた達の全員がよ。ゲーム脳なんて言葉を使いたくはないけれど、こういうことがあると心配になるわ」

「それは杞憂というものですよ、斉藤顧問」

「自信満々なのがむしろ不安なのよ……そうね、みんなに質問だけど、人間は死ぬとどうなると思う?」


 ああ、あれか。最近の学生は『死んでも生き返る』って答えたとか言われる馬鹿馬鹿しい質問な。いくら俺達でもそんなの間違えるわけないだろ。

 失礼にもちょっと不安げにしている先生に、俺達は自信をもって答えた。


「死ぬとセーブ地点に戻されます」

「そして経験値がなくなる」

「装備の耐久度も減るわね」

「ルシアンがちょっと怒ります」


 俺、マスター、瀬川、アコの順だ。

 間違いなくパーフェクトな回答──いやアコ、それはお前が操作をミスって俺を殺した時の話だろ。いつでも怒るわけじゃないぞ?


「はー……」


 輝く瞳で見つめる俺達に深くため息を吐く先生。


「あなた達、真面目に答えてくれる?」

「聞き返す時点で本気にしているわけではないでしょう」

「そりゃそうだけど、今日みたいなことがいざって時に起きると困るでしょう。本当に命が危ない時に一瞬でも『まあいいや』って思ってしまったら取り返しがつかないのよ」


 うぐっ。そう言われると絶対にないとは言い切れない。

 命を落とす瞬間に、ああ、俺って死ぬんだ……セーブ地点ってどこだっけ……と思っている自分がリアルに想像できた。

 ちなみにその想像での死因はアコによる刺殺だった。


『ルシアンを殺して私も死にます!』とか言って襲い掛かってくるの。

 ちょっと怖いぐらいにリアリティがあったんだけど、まさかな。アコが俺を刺すわけないよな。ははは、ははははは。


「アコ、俺を殺したりしないよな?」

「え……まさかルシアン、浮気するつもりなんですか!?」


 俺って浮気したら刺されんの!?

 しないけど! そもそもそういう関係じゃないけど!


「いっそ廃部にして全員オンラインゲームをやめた方がいいんじゃないかと思うわね。インターネットから離れて皆で健全な学生生活を──」


 真面目な表情で言う先生に、マスターがにっこりと言う。


「それはとても困りますにゃ?」

「──じゃあ今日もしっかり部活動に励むようにね。先生は会議があるからもう行くわ」


 真面目な表情を欠片も崩すことなく言うと、先生は部室を出て行った。その背中が普段よりさらに小さく見えたのは気のせいかな。

 会議で俺達について嫌味を言われたりしないと良いんだけど。斉藤先生の辛い立場を思うと涙を禁じ得ない。帰ったら猫姫さんを慰めておこう。


「猫姫先生も苦労してるわね」

「原因は全部俺達だけどな」

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