一章 汝は隠れオタなりや? ③
口振りとは裏腹に全く同情していない様子で言う瀬川。
ってかその猫姫先生はやめてやれって。教室で言ったら先生が灰になるぞ。ついでにお前のネトゲ趣味もバラされて二人まとめて燃え尽きるぞ。
「しかし、アコがゲームと現実を混同しないようにするための我が部だというのに、むしろ状況が悪くなっていたとは。ああ、これではまだまだ我が部の存在意義がなくなりそうにないな」
「なんでそんなに嬉しそうなんだマスター」
マスターは、これからもっと色々やってやるぜ、みたいな良い笑顔を浮かべていた。まったく残念そうには見えない。
「そんなことないですよ、私も進歩してます。最近はルシアンをルシアンって呼んで怒られる回数も減ってきましたし」
「その一言の中にすでに矛盾があるんだが」
呼んでんじゃん。それ俺のことをゲーム内の名前で呼ばなくなったんじゃなくて、俺がアコを怒らなくなったってだけじゃん。
「アコが進歩してるんじゃなくて西村の調教が進んでるのよね?」
「調教とか言うな。慣れたとか馴染んだとか、マシな言い方があるだろ」
「意味一緒じゃない」
一緒じゃない。断じて一緒じゃない。俺の心理的な意味で。俺がアコを矯正するはずなのに実は俺がアコに調教されていたなんて冗談にもならない。絶対そんなことはない。
「な、そうだよなアコ」
「なんですか、ルシアン?」
アコはきょとんと俺を見つめて言った。
その台詞に違和感はなにもないが、それじゃダメなんだ。
「ルシアンじゃなくて西村君って言ってみ」
「なんですか、西村君?」
俺を見つめたまま少しだけ首を傾げて言った。
あ、あれ? なんかさっきと感じが違う。なんだろう、この感覚。違和感じゃない。仲の良い女友達が急に違う呼び方をしてきて緊張する、みたいな感じ。正直ちょっとだけドキドキする──じゃ、ねえよ! こっちの方が正しいんだって!
「落ち着け俺、冷静になれ……ゲームとリアルは別、ゲームとリアルは別」
「ルシアン? どうしました?」
「袖を引くな袖を」
可愛いからそういうことするな。
そんな戯れる俺達を置いてマスターと瀬川はもう席についていた。
「話はともかく部活を始めるぞ? 何せ今日はアップデートで課金アイテムが増えたからな。私は非常に楽しみだ」
「課金アイテムしか増えてないアプデで楽しめるのはマスターぐらいよ……」
渋い顔をする瀬川に、マスターは不思議そうに問い返す。
「何を言う。今日のアプデは新しいガチャの実装だぞ。誰だって楽しみだろう?」
「ガチャって、現実のお金を入れるとゲームの中のアイテムが出てくるアレよね? もしかしてアレ回す気?」
「当たり前だろう。他の何をやるというんだ」
ガチャというのは瀬川の言う通り、リアルマネーを注ぎ込んでランダムでゲーム内のアイテムを買う、という行為全般を指す言葉だ。基本無料ゲームにおける主要収入源だったり、月額課金制でありながらアイテム課金もしている、いわゆるハイブリッド課金型のゲームにおける副収入源であったりする。
ちなみに俺は余りやらない。だって金ないし、もったいないし。
「いやー、ガチャとかねーだろ」
「私もがちゃっていうの、したことないです」
お金がもったいないので、とアコも困ったように言う。
「何を馬鹿なことを! 良いか、ガチャというのは少しのお金で夢に挑むことができる、全ネトゲプレイヤーの希望なんだぞ!」
マスターは熱く言うけど……いや、基本的に絶望しかないんじゃないかと。
「あたしもガチャはやらないわね、馬鹿馬鹿しいし」
「お、愚かな……見ろ、今日のガチャを。今から二十四時間限定で、お前達も欲しがっていたあのアイテムが、超絶、超絶、超絶! 出現率アップだぞ!」
何その超絶×3。超うさんくせえ。
「それアレだろ、欲しいアイテムじゃなくて同じように確率が上がってる他のアイテムばっかりが出るタイプだろ」
「何を言うか! 運営の采配に間違いなどない! フェスを馬鹿にする奴は許さん!」
その無駄な気迫ちょっと怖いんだけど。
「あの、あの!」
と、はいはい、とアコが手を上げて言う。
「マスター、私お金ないですけど、ガチャはやってみたいです!」
「おお、流石アコは見所がある! よし、私がアコのアカウントで課金してやろう」
マジで!? ならやりたい! 俺も一回ガチャってみたい!
「待て待て待て、それなら俺のでも!」
「あんたらプライドとかないわけ!?」
何を失礼な。別にマスターにたかろうっていうんじゃないぞ。
興味ないと言ってはいたものの、やっぱり一回はやってみたいってだけだ。
「大丈夫大丈夫、出たアイテムはちゃんとマスターに渡すからさ」
「それならまあ……」
「えっ?」
「……え?」
アコが、信じられないことを聞いた、みたいな顔で振り返った。
「ちょっと、あんたの嫁は奢られる気みたいよ」
「こらアコ、そんな恥知らずな嫁を持った覚えはないぞ」
「いえいえ私だってそんなつもりはなかったデスヨ?」
目をそらしたその態度と片言の台詞が欠片も信じられねえ。
そしてこの間に課金を済ませたらしく、マスターはひゃっはーとマウスを持った手を掲げた。
「よーし回すぞお前達! 今日はネトゲ部恒例の百連ガチャだ!」
「おお、いくぜー!」
「マスター格好良いですー!」
「ちょっと、わけわかんないものを恒例に──あんた達も煽るなー!」
「どうして私の所にはレアが何も来なかったんでしょうか。再抽選を要求します」
「リアルラックとしか言いようがない……」
帰宅途中、落ち込んだアコを慰める。
ガチャの結果、超絶、超絶、超絶! レアが出やすいはずのガチャで、アコは何一つとして有用なアイテムを引くことができなかった。普通に考えたらありえない確率で、最初は笑っていた俺達も途中からちょっと青ざめたぐらいだ。
『次は出るわよ、次は! 大丈夫だから、ね? もうちょっとやってみなさい?』
ガチャに否定的だったシューが必死にフォローしてガチャを引かせる光景はちょっと面白かったけどな。
「これ私の人生と一緒なんですよね。あれもこれも引きが悪すぎるんですよ。思うんですけど、きっと私の人生だけ独自仕様が入ってるんです。日本ローカライズした結果、何故か本国とはくらべものにならないぐらいマゾくなる海外産ネトゲみたいな感じで」
「大丈夫、誰の人生も平等にマゾいから」
「クソゲーです……引退したい……」
「もうちょっと続けような」
人生オフラインのクソゲーっぷりはよくわかってるのであえて言うまでもないけどさ。
要するに現代通信電子遊戯部は今日も通常営業で、アコも特には変わらない。
つまりあんまり進歩してなかった。
アコが先生を刺そうとした『ルシアンどいてそいつ殺せない』事件から数日。
俺が受けた大きな衝撃とは裏腹に、実際に何が変わったかというと、日々の生活が『学校から帰ったらネトゲ』から『学校でネトゲして帰ったらネトゲ』になっただけだった。
後はこうやって、女の子と並んで家に帰るっていう、ちょっと嬉しいイベントが追加されたぐらいだ。
「運のステータスさえあれば……運さえあれば人生やっていけるはずなんです」
その相手のアコはとても普通の女の子ではなかったけれども。
ネトゲのディープな話についてくる女子高生とかそんなにいないだろうなー。
「しかしネトゲで運のステって大体は余ったポイントを振る以外に意味がないんだよな」
「レアの出現率が上がる場合もあるみたいじゃないですか」



