一章 汝は隠れオタなりや? ⑥
「ぐっどもーにんぐ、西村ルシアン?」
「やめてくださいしんでしまいます」
俺の心が死んでしまいます。
「だから死ねっつってんだよわかれよ」
「死ねとはいわんがとりあえず不幸になれ」
「素直すぎだろお前ら」
扱いが酷い。あとクラスメートからの視線が怖い。
実はここしばらく俺のクラス内での立場が微妙なのだ。何だかんだで無害なオープンオタク扱いされていたというのに、毎日のように俺に会いにやってくるアコのせいか、
『なあ西村、彼女持ちってどんな気分よ?』
『今日は彼女来ねえのー? ルーシーアーンーくーん?』
『あー、どうせ二人の時は「お兄ちゃん♡」とか言わせてんだろ、かーっ!』
『メイド服着せて「ご主人様☆」とか言わせてんだろ、あの子似合いそうだもんなー』
とさんざんな扱いを受けているのだ。
まったく。アコにお兄ちゃんとか言わせたことねえよ。ご主人様とか呼ばれねえよ。たまに旦那様とかあなたとかは言われるけども。
というわけで俺はその不当な──本当に彼女でも何でもないので、実際不当なのだ──扱いから逃れる為に、目下奮闘中である。
そりゃ内心ちょっと優越感はあるんだけど、それは表に出さないのが処世術だ。
「マジであいつは彼女とかじゃないし、よくてただの友達だって」
「そういう『あいつなんて彼女じゃねーし』みたいな物言い、俺も一回やってみたい」
「あー、わかるー! 言ってみてー!」
くっそ聞いてねえ。
「マジでお前らが思ってるのとは違うの。ちょっとした趣味の友達なんだよ。他の女子からは扱い変わらないし──」
「……おはよ」
と、横から非常に機嫌の悪い声がかかった。
頑張って低い声を出しているのだろうが、それでも充分に可愛らしい、聞き慣れた声。
そちらを見るとちょっとわざとらしいぐらいに嫌そうな顔をした瀬川が居た。俺様戦士シュヴァインの中の人だ。
「おはよう、瀬川」
昨夜話したばかりの相棒にそう答えると、
「……チッ」
舌打ち!?
え、しかも舌打ちするだけして去ってくの!?
「い、今、なんでこいつ生きてんの? みたいな顔で舌打ちされたんだけど!?」
「俺らの西村が帰ってきた気がしたわ」
「おお、らしかったらしかった」
お前らの中の俺ってどんな奴なの?
何かしらの幸せをつかんでると既に俺じゃないの?
若干欝になっていると、ひょこっと目の前に女子の顔が出てきた。
「ごめんね、西村君。茜、さっきまでは機嫌よかったと思ったんだけど……」
「平気平気、いつものことだし」
瀬川と一緒に来たクラスメートの女子がわざわざフォローしてくれた。
えっと、前も瀬川と一緒だった……あの……えっと……Aさん。まだ名前も覚えてないけど、やっぱ良い子だな。
しかしマズった、名前ちゃんと調べときゃよかった。
「っていうかさ、西村君と茜って実は結構仲が良くない?」
「……どこを見たらそう思うので?」
動揺の余り一瞬どもった。
え、なに、そんな風に見えてる?
「だってたまに廊下の隅とかでこそこそ話してるし、昨日も購買のところで楽しそうに何か話してたし」
見られてた!
いつのまに、どこから見てたんだ!
「ソレハベツニナンデモナイデス」
「西村君も素直な方だよねえ」
Aさんはクスクスと笑った。笑った顔は確かに可愛いんだけど、俺からするとちょっと怖い。あー、リア充してるんだろうなー、みたいなちょっとギャルっぽい雰囲気がどうしても馴染めないのだ。これもこれでプレイスタイルが違う、って感じなんだろうな。
「ねえ、茜と何かあるの? 西村君は彼女いるっぽいのに、もしかして浮気?」
「とりあえずその発言を聞いた瀬川が本気でキレるぐらいには仲が悪い。これはマジで」
「ふーん、ふーん?」
何そのちょっと察したみたいな笑み。
やめてくれよ、その同年代とは思えない何かしらの経験が積まれた目で見られると落ち着かないんだよ。
「奈々子、何やってんの。西村なんかにかまってんじゃないわよ」
「あ、はいはい。西村君、茜のことで何か困ったらちゃんと助けてね?」
「あいあい、俺にできることなら」
下の名前が判明。そこがわかっても仕方ないんだって。
いや俺も女子の名前覚えてないのはマズイと思ってるんだよ。だって先生に「西村ー、このプリント皆に返しといてくれー」とか言われてプリント返す時とか滅茶苦茶困るもん。名前と顔が全然一致しないのな。
前にもこの秋山さんってのは誰だよ知らねえよ! ってなった結果、近くの女子に「なあなあ秋山さんの席ってどこ?」と聞いて机の上に置くって手を使う羽目になったし。マジでちゃんと確認しておかないとなぁ。
頭を悩ませていると、男子の一人が瀬川たちの方を見ていった。
「んー、うちのクラスだと割と良いよな、秋山さん」
あの子がその秋山さんかよ! プリント直接渡せなくてごめん!
しかし……良い、かねえ。俺、ああいう子の前だとやたらと緊張して疲れそうなんだよな。むしろアコみたいに自然体で居られる方が──いや、そういう話じゃないけど。
「そいや西村って秋山さんともたまに話してるよな」
「っつか秋山さんが言ってたけど瀬川とも良い感じなんだろ?」
「お? 三股? 三股か? くっそうぜえ」
「あー嫁さんに伝えないとなあ。旦那さんが三股かけてますよーって」
ニヤニヤ笑って言う男子共。人をネタにしやがって。
もちろん本気で言っているわけではないのはわかるよ。瀬川にガチ舌打ちされたのは記憶に新しいだろうし。でもやっぱイラっとするのは事実。
「あのなあ、俺がそんなに──」
と言いかけた時、ふっと皆の表情が引きつった。
そして背後からは地獄から響くような──というにはちょっと甘ったるい、しかし明確に冷たい殺意のこもった声がする。
「ルシアン……浮気……したんですか……?」
「お、おうアコ、おはよう」
ゆっくりと振り返りながら言った俺に、アコはふわりと微笑んで言う。
「困りました、今日は準備してきてないんですけど」
「準備って何の」
「こうして、こうして、こうする準備です」
アコは架空の何かを握り、その架空の何かを見えない標的に突き刺し、ぐいっとひねった後で引き抜く動作を、妙になれた手際で演じた。
「やっぱ俺刺されんの!?」
「ああいえ、刺すのはその秋山さんです」
「それもだめ!」
もっと駄目! 他人に迷惑かけんな!
「さっきの話は冗談だから。俺がそんなに女性関係恵まれてるわけないだろ。なあ?」
友人連中に話を向けると、全員が無言でこくこくと頷いた。
「そうですか、良かったです。私も望まぬ罪を犯さずに済みました」
やめてくれ、怖いから。
そんな怯えた視線に気付いたか、アコはちょっと困ったように笑って首を振った。
「冗談です。殺さずに済んだことより、ルシアンが浮気してなかったことがずっと嬉しいです」
そこを訂正して欲しかったわけじゃねえよ。
それからあえて言わないけど、女性関係恵まれてないってのはアコを含めてのことだからな。お前含めても恵まれてはいないからな。
「あー、ねえ、亜子さん?」
「……え?」
と、さっきまで話していた男連中の一人が、なんとアコに話しかけた。
話しかけるのはいいけど、なんで名前で呼んでんだ。偉そうに。
あー、なんだこれ。なんかイラっとする。凄くもやもやする。
「あ、あの、何か……」
明らかに嫌がる空気を見せるアコに、ヤツはちょっと照れたように笑って見せた。
「ああいや、苗字知らないからさ。名前じゃまずかった?」
「いえ、その、できれば……」



