一章 汝は隠れオタなりや? ⑦

 ははは、とわざとらしく笑うそいつを上目使いに見ると、アコは小さな、しかしはっきりと耳に届く声で言った。


「できれば、話しかけないでください」

「はぐっ!?」


 あ、死んだ。


「高崎ー!」

「高崎、重傷だ! 衛生兵を呼べ!」

「高崎、しっかりしろ、高崎ー!」


 気絶したように倒れこむ高崎──アコに声かけたやつ──を周りの男子が救護にかかる。

 しかし問答無用の一刀両断だったからな。重傷どころか即死だ。

 自分があんなこと言われたらと思うと背筋が冷える。想像するだけでぞっとする。でもなんだかちょっと、ほんのちょっとだけ、すっきりしたような気がした。


「な、なあアコ。いきなり名前で呼ばれて気に入らないのはわかるけど、もう少し言い方というか、断り方ってのがあるだろ」

「え、でも、ルシアン」


 アコは俺の頬に手を伸ばしてきた。温かい手の感触が肌に触れる。

 頬骨の少し下を確かめるように撫でた後、アコはちょっと照れた様子で微笑んだ。


「ルシアン、ちょっと嬉しそうでしたよ?」

「そんなことはありません」

「なんで敬語なんですか?」

「なんでもありません」

「なーんでですかー」


 なんでもないったらないの!


「…………キモ」


 そんな会話をする俺達をちょっと離れたところから苦りきった顔で瀬川が見ていた。

 そして、その隣の秋山さんも、何だか凄く楽しそうな顔でこちらを、そして瀬川を見ていた。

 多分錯覚だろうとは思うんだけれども、彼女から飛んできたターゲットサークルが見事に俺をとらえたような、そんな気がした。

 え、えっと、気のせい、だよな。



「うーし、今日も部活がんばるぞ、なあ瀬川」

「うるさいニンニク臭い気持ち悪いこっち来んな」


 何を言うか!

 男は臭いって言われたら思った以上に傷つくんだぞ!


「文句はアコに言えよ。あいつマジで作って来たんだぞ」


 頂いた弁当の中身は本当にニンニクだらけだった。それもおかずだけじゃなく飯にまでニンニクが入ってた。何あのガーリックライスとかいう食べ物? 香ばしい香りに胡椒がきいてて超美味かったんだけど?


「これでも夢は主婦なので!」


 自分だけニンニクを拒否したアコは胸を張って言った。


「その方面で努力はしてんのね、あんた」

「楽をするための努力なら頑張れるタイプですから、料理スキルはちょっと高いです!」

「何なの、その努力の方向音痴は……」


 いやいや瀬川、あるんだよ。

 ネトゲプレイヤーにはよくあるんだ、それは。

 俺は心底から同意するよ。


「効率よくレベルをあげる為にこの装備が必要で、それを手に入れる為にはこの狩り場に行く必要があって、その為にはこのスキルがないと駄目で、そのスキルを使う為にはこの職業を育てる必要があって、その為にサブキャラクターを育成する、みたいなのがな、あるんだよ」

「んなことしてる間に素直にお金貯めなさいよ」

「そう言うとお金を貯める為のキャラクターを作り出すのがネトゲプレイヤーだ」

「業が深いわね……」


 業が深くないネトゲプレイヤーなど居ない。それが俺の持論である。


「さて。皆にちょっと報告がある」


 ぽんぽんと手を叩いて注目を集めると、マスターは言った。


「斉藤顧問より、昨日の会議について話があった。我らが現代通信電子遊戯部についても意見があったらしい」

「やっぱあったんだ」

「そりゃこの学校で一番の懸案事項でしょうよ」


 そう言われたら確かに。この平和な学校で、優等生だったはずの生徒会長が唐突にネトゲ部なんて始めやがった、以外の事件なんてそうそうない。


「しかし斉藤顧問もちゃんと我々の味方でな。しっかりと反論してくれたそうだぞ。曰く──現代通信電子遊戯部の創部により入学から不定期登校状態にあった一年生女子が一名、安定して登校するようになった。教師のケアが難しい部分で立派に成果を上げている──と」

「お、おお……」


 不定期登校状態だった一年生女子。

 アコだった。完全にアコだった。


「アコのことね……」

「アコだな……」


 瀬川と憂鬱に目を合わせる。

 扱いが完璧に問題児だ。

 大問題を起こした生徒会長の部活に所属する問題児。そこに所属する俺達は大丈夫なんだろうか。結構不安だ。


「アコ君の担任からも、件の生徒がしっかり登校するようになり、それなりにクラスに溶け込もうとしていると話があったらしい。アコの功績であることは間違いないな」

「私のおかげですね!」

「なんでお前ちょっと自慢げなの?」


 どうして、皆の役に立ったよ! みたいなドヤ顔してんの?


「ちなみにもう一つ非常に大きな要因があった」


 マスターは、これもアコなのだが、と前置きして、


「件の生徒の母親から『入部してから娘が楽しそうに学校に行くようになった、感謝している』とお礼の電話があったとのことだ。そう言われると先生方も大っぴらに文句はつけられなかったらしい」

「お母さん、どうしてそんな余計なことをーっ!」


 アコのドヤ顔が一瞬で絶望に歪んだ。

 そんなにがっかりしなくても、お母さんだって喜んでくれてるんだろ?


「良いお母さんじゃん。心配してくれてたんだろ」

「そんなわけないじゃないですかーっ!」

「……え、仲悪いの?」


 本気で言っているらしいアコ。

 これは悪いことを聞いたかと思ったが、俺の問いに彼女はふるふると首を振った。


「いえいえ仲は良いです。そういう意味ではなくて、学校にお礼の電話をするほど心配はしていなかったと言うんでしょうか」


 うーん、と悩みながら、アコは記憶を探るように言う。


「学校に行きたいなら行った方が良いけど、嫌なら行かなくて良いんじゃない? がお母さんの基本スタンスでしたから。あんまり馴染めないなら適当に転校でもすれば良いし、みたいな。転入試験に合格する気がしなかったのでそれは断りましたけど」


 なんという適当なお母さんだ。そんな親が居るのかよ。


「マジでそんな感じだったのか……?」

「だって私のお母さんですよ」

「説得力が凄え」


 アコの母親ってだけで納得できる気がした。ちょっと大きくなったアコが「学校なんて行かなくていいんです!」って熱弁してるところがリアルに想像できるし。


「だから何かしら事情を察して電話してきた気がするんですよねー。もう、余計なことを」

「結果から見たら助かったんじゃないの?」

「それはたまたま正解だったってだけです!」


 不思議そうに聞いた瀬川に、アコは力強く言う。


「仮に何の問題も起きてなくて、先生から生温かい表情で『お母さんからお礼の電話があったぞ』って言われるような私への即死攻撃が飛んできたとしても、きっとお母さんはケラケラ笑うだけですよ!」

「いや、そんなことないでしょ、流石に」

「だって私のお母さんですよ」

「なんか納得しちゃうからやめてよ、その台詞」


 アコがやりそうよね……と小さく呟く瀬川。お前もか、お前もそう思ったか。


「まあアコを矯正するという目的が職員室でも認められたということだ。我々も胸を張って活動できる」

「アコちゃん大勝利ですね! 褒めて良いんですよ!」


 それは勝利なのか。お前の勝利基準はおかしくはないか。世間一般で見て負け組に入ってはいないか。疑問は尽きないよ。


「でもアコ、一応クラスでも溶け込もうとはしてるのね?」


 瀬川がそんなことを言った。そういやさっき聞いたな、頑張ってるって。

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