二章 初心者育成伝 ①

 その夜。


◆シュヴァイン:やるぞお前達。俺様にはもうこの世界しかない。この世界で天下を取るぞ


 普段よりさらに力強く大剣を振り回し、シュヴァインが燃え上がっていた。もうリアルを捨ててLAの世界に希望を見いだしているらしい。

 大丈夫だって、広まったりしてないって。秋山さんはきっとそんな人じゃないって。全然仲良くないからまったくわかんないけど。


◆アプリコット:私はシュヴァインがやる気になってくれて嬉しいぞ

◆ルシアン:そりゃやるなら付き合うけどなあ


 しかしそうは言っても普通のネットゲーマーのシューだ。全員が本気になった場合は俺とマスターに付いてこられるかが問題じゃないか。


◆アコ:この世界しかないのは同意ですけど、天下は取らなくて良いんじゃないかなーって思うんですが──あれ?


 ふとアコが視線を店の外に向ける。そこにはふらふらとおぼつかない動きで歩きまわるプレイヤーの姿があった。

 へえ、珍しいな。

 町の喫茶店の一つを勝手に占拠して使っている俺達アレイキャッツだけど、色んな人が利用する便利なお店に居座ったりはしてない。この店には回復力が微妙でクエストにも使わないという謎の飲み物が売っているだけで、店や人が集まるメインロードからも離れている。わざわざ近寄る人が少ない場所なのだ。

 そんな所にやって来た珍しいプレイヤーだが、なんだか見覚えのある外見だった。

 可愛らしいが特徴のないデフォルトに近い顔。黒髪にポニーテールの地味な髪型。服装は布の服に茶色のズボン、腰にはナイフ一本というやたらと平凡な姿。


◆アコ:あれ初心者さんですかね?

◆アプリコット:初期装備だな、懐かしい


 そう、要するに初期装備だ。髪型も外見も課金していない、適当に作ったキャラクターならこんな感じになるだろうなーって見た目で、このゲームの経験者なら誰だって既視感があると思う。動きもふらふらと動いては止まり、動いては止まり、なんとも初心者っぽい。


◆アコ:なんだか昔の私みたいですね

◆ルシアン:確かに会った頃のアコってあんな感じだったよなー。よたよた歩きまわってキョロキョロしててさ

◆シュヴァイン:そういや俺様と初めて狩りに行った時もお前達は二人セットだったな。どんな風に会ったんだ?


 そう尋ねるシューに、アコは遠い目をして祈るように両手を握った。


◆アコ:それは今でも昨日のように思い出せます。あれは運命の出会いでした。モンスターに襲われた私を、ルシアンがまるで王子様のように──

◆ルシアン:こら、勝手に思い出を美化すんな


 嘘を吐くな嘘を。そんな良い話なもんか。面白いことなんて何もない。町でふらふらしてたからちょっと声をかけただけだ。今でも思い出せる、あの危なっかしく、こいつは放っておくとやべえって直感で思うぐらいのアコの初心者っぷり。

 おい、大丈夫か? って声をかけたらしばらく動かなくなって、ようやく喋ったと思ったら、言った台詞は『これどうやったら終われますか?』だった。思い出しても酷い話だ。


◆ルシアン:ログアウトの仕方を教えたら礼も言わずに消えてって、次の日になんか画面の端をちらちら何かがついて来るなーと思ったらアコだったんだよ

◆アプリコット:要するにストーカーか

◆アコ:つまり愛です!

◆ルシアン:ストーカー行為を愛の一言で肯定すんな!


 何をすれば良いかわからないから一度助けられた俺を探して、でも声がかけられなくて後をつけ回してただけだろうが。


◆アコ:うう、夫が妻の愛を疑います

◆ルシアン:どちらかと言えばもう少し疑う余地が欲しい。愛が重すぎて息苦しいから

◆アプリコット:お前達はそれで良いコンビだ。アコ、ルシアン


 妙に嬉しそうに言うマスター。そんなもんかねえ、と思っていると、こちらに寄って来ていた初心者っぽいプレイヤーがぴたりと止まった。何となくカーソルをあわせてみると、表示された名前は『セッテ』。覚えがない。俺の知り合いじゃないな。

 しかし近くに居るとちょっと気になる。ちらちらと様子をうかがっていると、セッテさんの上に吹き出しが表示された。何かしらチャットを打ったのだ。その内容は、


◆セッテ:るしあん

◆ルシアン:お?


 え、俺? 俺の名前? 俺を呼んでんの?

 今さっき知り合いじゃないなーって思った所なんだけど。


◆アプリコット:なんだルシアン、知り合いか?

◆ルシアン:いやわかんないけど……えーと、誰かのサブか?


 んなわけないよなあ、と思いながら聞いてみる。

 だって誰かがサブで使っているキャラクターなら初期装備なんてしないで武器か防具をそれなりの物に変える。序盤のレベルアップ速度が大分違うし。


◆セッテ:?


 返事は疑問符一つだった。

 あー、初心者っぽい。あと、言っちゃ何だけどこういうの面倒くせえ。

 しかし放って置くわけにもいかない。俺を探してやって来た以上はどっかで絡んでるんだろうし、そうでなくても新規プレイヤーを放置するほどこのゲームに絶望してない。


◆ルシアン:おけおけ、わかるように話す。とりあえず俺のこと知ってるのか? どっかで会ったっけ?

◆セッテ:こまったら


 その子、セッテはそこで言葉を止めると、また少し間を置いて


◆セッテ:助けてくれるって言った


 おお、漢字使ったな。

 でも誰かにそんなこと言ったっけ?


◆ルシアン:んなこと言ったかなあ

◆アコ:凄く言いそうですよ、ルシアン

◆アプリコット:言いそうだな

◆シュヴァイン:それも無駄に格好付けてなw

◆ルシアン:信用ねえな俺……いや、信用あるのか?


 どちらにせよ周りからそう言われると自信がなくなってくる。

 どっかで会ってちょっと話したって可能性は捨てきれない。その時余計なことを言ったの、かな?


◆ルシアン:んで、セッテさん? このゲームは始めたばっかり?

◆セッテ:うん


 ガチ新規勢か……だよなあ。

 どうするかな。折角だから面倒見ても良いけど、そうすると今日の狩りは俺抜きになる。

 タンク一人、火力前衛一人、火力後衛一人にヒーラー一人って構成の俺達は、誰が抜けてもきちんと機能しなくなるんだよな。

 ちらりと皆の方に視線を向けてみると、シューが軽く笑って言う。


◆シュヴァイン:まあ良いだろう。折角だ、この俺様が世話をしてやる


 どや、と言わんばかりの表情で言う。よくもまあそんな顔が作れるな。

 と、セッテさんが、


◆セッテ:んふっ

◆シュヴァイン:あん?


 何故か妙な言葉を吐いた。


◆セッテ:ごめん、チャット、なれてなくて

◆アプリコット:気にするな、誰もが最初はそうだ。始めたばかりのころは会話もままならないというのに、気がつけばWASDの配置を覚え、CTRLキー、SHIFTキー、ALTキーの配置を覚え、一年も経てばキーボードを見る必要もなくなる。練習なしでタイピング検定合格など珍しくもない。ああ、なんと将来の役に立つのだネットゲーム


 それもまた随分と恣意的な言い方だけど、確かにパソコンの扱いには慣れるな。ゲームの為に覚えたことが山ほどあるよ。


◆アコ:え、私、今もキーボード見て打ってますけど

◆シュヴァイン:練習が足りないなw 俺様はずいぶん前からタッチタイピングをマスターしているぞ

◆セッテ:ぶふっは

◆シュヴァイン:おいどうした


 何が起きているのか、またしても変なことを言うセッテさん。

 彼女はしばらくビクンビクンと動いた後、誤魔化すように言った。


◆セッテ:ちょっと、キーボードに、コーヒーを吹き出して

◆ルシアン:それ大変だろ、大丈夫か

◆セッテ:平気


 本当かよ。ちゃんと乾かせよ。

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