一章 ラブソードウ ⑦

 ただ座ってるだけなのに体感としては死ぬ寸前だなってぐらいには。

 は、はははは……と乾いた笑いを浮かべる俺の視界に、ふっと黒いものが映った。

 俺の正面に立つ瀬川の背後に、飲み込むように広がる黒い影。


「……ルシアン、シューちゃん、何してるんですか」


 あ、アコっ!? このタイミングでアコっ!?

 おどろおどろしい声に、びくぅっと瀬川の体が跳ねる。


「ち、ちが、ちがうのよ? 勘違いしないでね?」

「お、おはようアコ。と、とと特に何もしてないぞ?」


 慌てて手を離す俺達に、アコが白い目を向ける。


「今日に限っては私が正しい気がするんですが……」


 今日に限ってって、普段はちょっと言いがかりだって自覚があったのかお前!


「何もない、何もないから」

「本当ですか? 私しゅーちゃんのお腹を裂いた後でルシアンの頭を抱えて船に乗らなくて大丈夫ですか?」

「かーなーしーみのー」

「しっかりしろ瀬川!」


 告白しようとしてた相手にナイスボートされるー! やめてマジやめて!


 ぐるぐる目のアコを何とか落ち着かせ、何をやったかもわからないホームルームの時間が終わり、ついに放課後がやってきた。

 現代通信電子遊戯部、夏休みを前にした、今学期で最後の部活。

 ミーティングがあるので必ず出席するようにとマスターから連絡が回っている。学校には来てたんだし、アコも絶対に来るだろう。


「……あんた、普段そんなに歩くの遅かったっけ」

「昔はこんなに歩くのが遅くはなかったが、膝に矢を受けてしまってな……」

「アコに治してもらいなさいよ」


 いーやーだー。

 重くなる足。痛いぐらいに強まる鼓動。

 どれだけのろのろと歩いても部室はしっかり近づいてくる。

 ゆっくりと部室のドアを開けると、マスターが一人ホワイトボードに書き物をしていた。


「来たかルシアン。……ふむ、思ったより落ち着いているな」


 マスターは俺の顔を見て満足そうにそう言った。

 このガッチガチになった俺のどの辺がそう見えるんだ、おい。


「さっきまで唇が真っ青だったからちょっとリップ塗ってあげたんだけど」

「ギリギリだなルシアン」


 それは顔が青ざめるぐらいに緊張してるからか、瀬川に顔をいじられるという羞恥を受け入れるぐらいに余裕がないという意味か。


「俺、この部活が終わったら、アコに告白するんだ……」

「落ち着きなさい落ち着きなさい」

「実はもう花束も買ってあったりして……」

「やめろルシアン、台詞に死相が出ているぞ!」


 ああ、自爆するのがこんなに気持ちが良いなんて。

 流石に花束は嘘だけどな。


「こんな部室にいられるか……俺は自分の家に帰るぞ……」

「追い詰められてるわね、あんた……」


 限界ギリギリアウトなんだよ。


「ともあれ二人で作戦は考えておいた。告白する前にこの紙を見ると良い」

「お、おお……本当に考えてくれたのか」


 マスターから二つ折りになった小さなメモを渡される。

 表の部分には、瀬川が書いたらしき丸文字で、頑張れ! とメッセージが。


「がんばんなさいよー」

「ありがとう、二人とも」


 まだ結果が出てないのに、すでに涙がこぼれそうだよ。


「頑張ろう、リア充になろう……」

「死亡フラグたてるのはやめなさいってば」

「アコはまだ来ていない。少し落ち着いてはどうだ」

「そうだな、深呼吸でもするか」


 すー、はー、と息を整えると、ちょっと心臓の鼓動が収まってきた。


「すー、はー、すー」

「こんにちはー! あ、ルシアン! 聞いてくださいっ!」

「がっふげっふごっふ!」

「だ、大丈夫、西村!?」


 吸った瞬間に、吸った瞬間に来るから!

 思いっきりむせる俺に、アコがにこにこと笑顔で寄ってくる。いつも通りのアコなのに凄く緊張する。うっわ、なんだこれ。


「ルシアン? 大丈夫ですか?」

「へ、平気……。遅かったな、アコ」

「すぐ来ようと思ったんですけど、途中で何度も先生に捕まっちゃって」

「補習とか言われたのか?」

「夏休みの宿題が増えました……」


 残念ながら無罪放免とはいかなかったらしい。


「それぐらいで済んで良かったではないか。もとより自習に励むのが夏休みの正しい過ごし方だぞ」


 正しい、かなあ。青少年としてそれでいいのかなあ。


「私はルシアンと退廃的な夏を過ごしたいんですけども」

「俺だって過ごしたいっつの……」

「はい? なんですか?」


 なんでもありませんー。

 大声で言えるわけもないので、誤魔化すように目を逸らす。


「はいお待たせー。みんなそろってるわね?」


 顧問の斉藤先生もやってきた。これで部活開始だ。

 いつも使ってるパソコンデスクに座ると、こちらもいつものようにアコが隣にやってくる。何もおかしくはないのにびくりと体が震える。


「ルシアン?」

「いや、別に」


 アコから明らかに不審そうな目で見られてるって。どうすんだよ俺。今日は大事な日だってのに。


「では部活を始めるぞ。ルシアン、パソコンは起動しなくていい。今日はただのミーティングだからな」

「あ、悪い」


 横にアコが座ったのに動揺して思わずやっちゃった。一つだけカリカリと音を立てる俺のPCが恥ずかしい。

 そんな俺に微かに苦笑して、


「ではあらためて」


 マスターは咳払いをすると、俺達を見回した。


「皆、定期試験はよく頑張った。一人の脱落者もなく無事に夏休みを迎えられるのは大変喜ばしいことだ。しかし油断はするな。各々が誇りある現代通信電子遊戯部員である自覚を持ち、向上心を忘れずに有意義な夏休みを過ごして欲しい」

「生徒会長みたいなこと言うわね」

「あの、マスター生徒会長ですよ」

「……そだな」


 瀬川のボケに真面目に対応する余裕もない。


「夏休み中の部活動だが、顧問の斉藤教諭の強い要望もあり、基本的にはなしということになった」

「みんな、ゆっくりしていってね?」


 斉藤先生がにっこりと言う。


「来なくて良いって言うなら来ないけど……顧問が部活すんなって言う? 普通」

「普通のクラブは先生を脅迫したりしないのよ?」


 先生の言葉には若干の悲壮感すら漂っている気がした。


「なお先日話した合宿は予定通りに行う。夏休み最初の週末は開けておくように。詳しい日程については追って連絡する」


 さて、と言葉を切る。


「とりあえずは以上だが、質問は?」


 ヤバい、ミーティングが終わる。あっさり終わる。

 どうしよう、まだ全然落ち着いてないのに。


「はい!」


 と、アコが手を上げた。

 何を聞くんだこいつは、と思ったら。


「夏休み中のギルド活動はどうしますか!」


 ゲーム内の予定を聞き出した!


「それ、こっちで聞く?」


 相変わらずゲームとリアルを気にしないアコだ。

 だがマスターの方は特に気にした様子もなく答える。


「ギルドアレイキャッツについては平常運行を予定している。私は親の付き合いや勉強もある。昼間から入り浸りというわけにはいかんな」

「あたしはどーかなー、あんまりゲームばっかりしてると怒られるだろうし、友達と出かけたりもするし」

「夏休みは、友達と、遊びに出かける……ですって……」


 瀬川の言葉にアコが絶句した。


「なんてリア充な。まさか身内に敵がいるとは思いませんでした。夏休みなんてネトゲしてネトゲしてネトゲして宿題しないで終わるものでしょう!」


 宿題はしろよ。また二学期苦労する羽目になるぞ。

 そんなアコに、瀬川はやたらと冷たい視線を向け、


「……彼氏と出かける方がよっぽどよね」

「……はい?」

「べっつにー」


 ふーん、と顔を背ける。

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