二章 スカッと夏合宿 海や ②
「んあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛!゛」
喉から変な声が漏れた。マスターが携帯のマイクをミュートに入れる。
「うわ、うっわ、本気だったのね」
「これは……まさか……」
「もう……だめぽ……」
死にたい、消えてしまいたい……。
「だ、大丈夫、アコが居なくてもあたし達が居るし!」
俺はアコに居て欲しかったんだよぉ……。
「これは怒らないでマジレスをして欲しいのだが……なぜだアコ? ルシアンの何が不満だったのだ?」
若干テンパった様子で聞き返すマスター。
もう聞きたくない。これ以上やられたら本当に俺のライフはゼロになってしまう。
俺が耳をふさごうとする前に、
『え、だって』
携帯から漏れ聞こえて来た、
『夫婦から恋人になるって、離婚するってことじゃないですか』
アコの声が、
『そんなの、絶対に嫌ですよ』
聞こえてしまった。
「いい加減にしろよお前ええええっ!」
「に、西村、落ちついてっ」
これが落ち着けるか!
何なんだよ!
俺が必死な思いでした告白は一体何だったんだよ!
『あれ、ルシアン? 居るんですか?』
流石に俺の声が届いてしまったらしく、アコが反応する。
「すまないな、少し誤爆した」
『誤爆? いえあの、今ルシアンが居たような』
「誤爆しただけだ」
『……は、はい』
マスターの言い訳になってない言い訳に、アコがゴリ押された。
『えっと、さっきの話ですけど、ルシアンも最後は笑ってたので冗談だと思います。ちょっとびっくりしました』
「びっくりしたのはこっちだ……」
「西村の笑い声、滅茶苦茶乾いてたんでしょうね……」
疲れた声で瀬川が言った。
はは……ははは……みたいな感じだった。喉がつぶれそうな笑い方だったよ。
「そ、そうか。よくわかった。変なことを聞いて悪かったな」
『はーい』
「ではな」
ぴっと通話を切ったマスター。
渋い顔をしたままゆっくりと俺達の方を向いた。
「今更の話なんだが」
酷く真剣な声で言う。
「アコ君はちょっとヤバイのではないか」
「だから前からそう言ってんだろ!」
俺が机を叩くと、水の入ったグラスがガシャンと音を立てた。
「ああもう……これどうなってんだよ。俺は振られたの? 振られてないの? どっちなんだ?」
「告白不成立……かしらねえ」
「そもそも理解されていなかったわけだからな」
想定外の事態に、俺達は三人揃って頭を抱えていた。
あいつマジ未来に生きてんな。こうなるとは流石に思ってなかった。
「フォローするなら、アコらしい勘違いと言えなくもないけど」
「でもさ、最近のアコは大分まともになってきてたと思ったんだよ」
そうよねえ、と瀬川も不思議そうに言う。
「ちょっと前に、ルシアンを親に会わせたー、婚約だー、なんて言ってたし。リアルで夫婦なわけじゃないっていうのはわかってるのかと思ってたわ」
「俺もそう思ってたから踏み切ったんだけど」
結果はごらんの有様だよ。ごらんの有様なんだよ。
「問題はそこなのだ、二人とも」
うつむいていたマスターはゆっくりと顔を上げると、重々しく言った。
「さまざまな観点から検討を重ねた結果気づいたのだが……我々はアコ君を侮っていたのかもしれない」
「侮る……っていうと?」
「我々の目的はゲームとリアルは違うとアコに理解させることだった。なかなか理解してくれないアコ君を矯正しているつもりだった。しかし彼女からすると、頑固な我々の言うことに仕方なく合わせていただけなのではないだろうか?」
「仕方なく合わせる、って……」
瀬川がごくりと唾を飲む音が聞こえる。
自然に俺の緊張も高まる。
「つまり、これまでの我々が行ってきたアコ君への説得、その全てを完璧に聞き流していたのではないか」
マスターは恐れおののくように言った。
「お前が言うならそうなんだろうな、お前の中ではな──と」
「はいはいワロスワロスって感じで……?」
「右から左かよ……」
ないとはとても言い切れない可能性だった。
「それだけならまだマシだ。厄介なのはここからだ」
マスターが声をひそめる
「アコ君とて現実的にはルシアンと婚姻関係ではないと理解しているはずだ。法的には勿論、年齢的にもまだ不可能だ。さらに我々はゲームとリアルは別だと迫ってくる。その結果、彼女は酷く現実的で、賢明な選択をしたと思われる」
現実的で、賢明と来たか。
「この世で最もアコらしくない言葉なんだけど」
「俺もそう思うけど……どんな選択だよ」
「アコを無理矢理矯正しようとした我々とは違い、彼女は基本的にルシアンの意見を尊重する。ルシアンの考えと対立せず、その上で自分の希望を通す道を考えたのだろう。その結果、彼女は決めたのだ────リアルでも結婚しよう、と」
ええと……え? どういうこと?
「要するに、リアルでルシアンと結婚すればそれで全部解決だ、ということだな。アコ君から見るとルシアンとの婚姻関係が維持できればそれで良いのだ。ルシアンが何と言おうとリアルでもゲームでも夫婦であればそれで何も問題はない」
「わーお……確かに現実的で賢いわね」
「しかも俺、アコの思い通りに流されてなかったかな……」
お母さんと挨拶して、なんかアコを頼むみたいな流れになってたし。色々とこう、責任取らなきゃいけないな、みたいな気持ちになってたし。それこそこっちから告白しようかってぐらいに。
「困ったことに文句をつける余地がないのだ。クラスにも溶け込もうと頑張っているようだし、授業にも真面目に出ている。それがルシアンと結婚する為だというだけであって、やっていることは我々の希望に添う」
「どうすんのよ、これ」
「どうすんのって……どうしよう」
みんなで顔を見合わせる。
何でこんなわけわかんないことで悩まないといけないの? おかしくない?
「もう潔く結婚すれば?」
「流石にアコの人生を丸ごと背負い込む自信はねーよ!」
そういうの重いんだって!
普通の恋人ぐらいから始めたいんだよ、俺は!
大体リアルでちゃんとプロポーズもしてないのに結婚だとか、俺は絶対に認めないからな!
「しかしその覚悟を決めてしまえば、婚約者という立ち位置でアコ君も納得すると思うが」
「無理だって本当に無理だって、リアルで結婚とかまだ考えられないから!」
うわあああ、と頭を抱える。
「ゲームとリアルは違うんだよ。リアルで結婚しようって言うならちゃんと段階を踏まないと俺は納得しないぞ。まずは普通の恋人として付き合う所からだ」
「私達に言ってどうする。説得するならばアコだろう」
「むーりーだー!」
「……諦めて墓場に行きなさいよ」
「いーやーだー!」
告白の正否の前に理解してもらう所でつまずくっておかしいだろー!
「さらに問題を言うならば、ルシアンが懸念していたことは一切解決していない」
「……と言うと?」
「ゲーム内はともかく、リアルで両思いなのかは未だに不明だ」
あー、確かにそうだな。はは、ははははは。
「……やっぱ死ぬかー」
「やめなさいってば」
「しかし良いではないか。悩めルシアン」
マスターはむしろ機嫌良く笑った。
「アコがルシアンにプロポーズをしたのはゲーム内のことだ。しかしアコ君としては、今のルシアンが思い悩んだ全てを乗り越えた上での言葉だったのだろう。彼女はとうの昔に覚悟ができている。ルシアンも頑張ると良い」
「そうね、あの子も何回断られても頑張ってたんだし、あんたもがんばんなさい」



