二章 スカッと夏合宿 海や ⑩
疲れ切った俺達を尻目に瀬川は機嫌よく炭を眺めた。
「おー、バーベって感じねー」
略すな、なんかウザイから。
「もう準備万端なの? 後は食べるだけ?」
「うむ。食材は山ほど購入済みだ。肉や野菜はもちろん、エビやイカなど魚介も揃えている。派手なびーびーきゅーになるぞ」
あー、俺も腹減ってきた。
マスターと先生が汗を流したらバーベキューか。早く食いてえ。
「あのー」
と、アコがほんのりと不安そうな顔で手を挙げた。
「その材料ってどういう状態なんですか?」
「状態?」
いつもなら理路整然と答えるマスターが、不思議そうにオウム返しをした。
俺ですらなんかヤバそうだなと思うような雰囲気に不安の度合いが増したらしい。
アコはひきつった笑みで聞き直す。
「お肉とか、野菜とか、エビとか、もう切って処理してあるんですか?」
「…………」
「マスター?」
アコの笑顔がさらにくもる。
マスターは酷く言いにくそうに漏らした。
「冷蔵庫に入っているが……その、買ったまま」
「…………」
アコは全てを諦めたようにふんわりと笑った。
「マスター、食べ物って、買ったままじゃ食べられないんですよ?」
「…………」
「そもそもご飯は炊いてあるんですか?」
「……………………」
「炊けるまでどれぐらいかかるか知ってます?」
冷や汗がたらりと流れるのが見えた。
マスターはしばらく硬直した後でくるりと俺達に背を向けた。
「じゃ、じゃあ私はシャワーを頂いてくる」
「じ、時間もないし、先生も一緒に行こうかなー」
に、逃げたー! 二人とも逃げたー!
「どうしようか……」
「とりあえず見てみます……」
アコはがっくりと肩を落として台所へ向かった。
「ほ、本当にそのまんまですー!」
そして数秒後、アコの悲鳴が響いた。
「な、なんとかなりそうか?」
「なりますけど、ちょっと時間だけは……包丁ある、まな板ある、ピーラーない……ラップもないし……」
アコがごそごそ台所を漁ってる。
なんだろうこれ、アコがしっかりしてる。まともな理由でアコが頼れてる。
「とりあえず急いでやるのでちょっと待ってて下さい」
「あの、アコ、あたしも手伝うことある?」
瀬川が恐る恐る台所を覗き込むと、アコは振り返りもせずに言う。
「すいません、そういう時間はないので」
「アコにあしらわれたーっ! 遠回しにあんたが居ると邪魔だって言われたー!」
「だってできないんじゃしょうがないだろ……」
がっくりとバルコニーに戻った瀬川は、湯上りの体で膝を抱えた。
「普段と逆なんだもん……クエスト中に大事なアイテムを忘れたアコに『いーからお前はそこで待ってろ』って言う時の、そういうテンションだった……」
「こういう所で本当の女子力がわかるんですよー」
遠くから聞こえてくるちょっと得意げなアコの声に瀬川の肩がさらに落ちる。
「髪を石鹸で洗ってた子に女子力で負けてる……あたしって何なの……」
結構ショックがでかいらしい。
おっと、時間がかかるならこっちも炭を追加して火を維持しないと。
ああもう面倒くさい。もう電子レンジでチンとやれるものでいいじゃねえかよ。
インドア派しかいない俺達のアウトドアは、始める前からてんやわんやだった。
††† ††† †††
大騒ぎの末、BBQは多分成功した……と、思う。
美味しかったし。盛り上がったし。
しかし。
「疲れましたー」
「だなあ……」
夜の浜辺に並んで座って、俺とアコは揃って大きく息を吐いた。
朝の早くから集まって、一日中騒いで楽しんで、夜までずっと元気に過ごすとか、俺にはとても無理。もう限界を突破してた。
「リア充ってどうしてあんな体力あるんだろ、さっぱりわからん」
「イベントは一週間ぐらいにわけてやって欲しいですよね」
ネトゲのイベントじゃないんだから。
しかし疲れ切った俺達とは裏腹にまだ瀬川達には余裕があるらしい。砂浜で元気に花火を楽しんでる。
「お、瀬川が花火をまとめて一気に火を点けたぞ」
「俺様のバーンエッジを喰らえー!」
なんか偉そうな、ちょっと痛いこと叫んでる。
「大剣のスキル気取りか」
「振り回してますねー」
色が複雑に混ざり合って綺麗は綺麗だけど、ありゃ危なくないか。
「こらああああああ」
「あ、猫姫さんに捕まった」
「足をつかまれましたね」
奪い取った花火をバケツに突っ込み、砂浜に倒した瀬川の足をつかむ猫姫さん。
「そおおおっりゃああああ」
「ぐるんぐるん回されてますよ」
「ジャイアントスイングだ……」
小さくて軽いからよく回るよく回る。
綺麗に回った末、瀬川は華麗に宙を舞った。
「いやああああへぶっ!」
「指導完了!」
勢いよく砂に突っ込んだ瀬川がKOされ、何故かガッツポーズをする猫姫さん。
あれでいいのか、顧問教師。
「私は休んでるんで、ルシアンも行ってきていいんですよ?」
「俺もここでいいよ」
アコの隣が良いよ。
少し冷えた夜の空気にアコの温かさがしみ込むように伝わってくる。
見上げれば満点の夜空。微かに聞こえる波の音。
「ちょっと触ったら落ちてきそうな星空だな」
「マスターのスキルで、ですか?」
「メテオストライクはやめてくれ」
情緒も何もあったもんじゃない。クレーターができてダメージが発生するぞ。
「流れ星はちょっと見たいですけど、ゲームと違って課金アイテム使えば落ちてくるってわけじゃないんですよねー」
「金払えば見られる流れ星に情緒なんてないよ」
人間にはどうにもならないから感動するんだよ。
自分にはどうにもならないことだからこそ嬉しいんだよ。
「準備ができたー! 見ていろ、私の花火キット!」
と、そんな声が聞こえた。マスターがいじっていた打ち上げ型の花火に灯が灯っていく。
端から順番に、ドンと炎が上がった。
普通の打ち上げ花火よりもずっと低い空に炎の花が広がる。
派手さは足りないけど距離が近い分だけくっきりと目に映った。
「市販のも意外とやるなー」
「ふわあ……」
アコは打ち上げ花火に目を輝かせた後、ぽつりと言った。
「飛距離何M、とか表示されないんですね」
「ゲームじゃないから」
そういう花火上げイベントあったけども。
どーん、どーんと連続で花火が上がる。
落ちてくる火に照らされてアコの顔がさまざまな色に輝く。
どこか遠い目で空を見上げる彼女の表情に、花火以上に惹きつけられた。
「…………」
「…………?」
吸い寄せられるようにじっと見つめていると、すっと一筋、アコの瞳から頬へと水滴が流れていった。
……アコ、泣いてる?
「ちょっ、どうしたアコ!?」
「え、あれっ?」
言われて初めて気づいたのか、アコは酷く驚いた様子で涙をぬぐった。
自分でもよくわかっていないらしく随分と混乱していた。
「なんか、あの、多分、嬉しくて?」
「なんで疑問系だよ」
「その……こんな風に過ごす日、私にはずっと来ないと思ってたんです。だから嘘みたいで、嬉しくて、でもなんだか悲しい気もして」
「アコ……」
その言葉通り、アコの声には喜びと悲しみが混じりあっているように聞こえた。
「ごめんなさい、泣くつもりはなかったんですけど」
ぐしぐしと目を拭うアコにハンカチを渡そうとポケットを探ったけど、こんな時に限ってそんなものも持ってない。ああもう、いっつもこんなだよ、俺。
「あの……ありがとうございます」
「何の礼だよ」
「だって」
アコはぎゅっと俺の腕を握った。



