一章 マイホームランド ①
普段の生活から何か一つ欠けただけで、世界というのは大きく色あせてしまうものらしい。
いつも使っているアイテムを一種類忘れただけでやたらと狩りに苦戦するように。
使わないと思って貸してしまった装備が後から必要になるように。
当然のように身近にある物ほど、その大切さに気がつかない。
崩れてしまった世界を見てやっと失ったものの大きさに気づくんだ。
人間というのはかくも愚かなものなんだ。
日常、当たり前、普通──そんな言葉に甘えて思考を停止してしまう。
俺はようやくそのことに気づいたよ。
しかし気づいた時にはもう遅いんだ。だって失ってしまった後なんだから。
「あー、メシメシ、ヒルメシーっと」
「今日ヤバかった。マジ腹減った」
「朝一の体育がなー、あれがボディーブローみたいに効いてくるよな」
昼休み、適当に男子同士で集まって机を固めて昼飯を広げる。
そんな代わり映えのしない時間に、俺は新しい真理に目覚めていたのです。
自分の机に目をやると、他の生徒と違って何も置かれてない。
そんな悲しい現実ですら愛しく思えるような、思えないような。うん、やっぱ思えない。
「ああ、世界はこんなにも美しい」
「何言ってんのお前」
「ついに西村が狂ったか」
「普段からこんなもんだろ」
「お前ら酷くない?」
真理に目覚めているのでクラスメイトの冷めた視線も気にならない。
ならないったらならないのだ。
「……んで西村、昼飯は?」
何ものってない机を見ながら聞いてきた高崎に、俺ははっきりと答える。
「ない」
「……ないの?」
「ないんだよ」
「……そ、そか」
俺の昼飯はないの。何もないの。
平気な顔をしてるけど、内心かなり泣きそう。
まさか昼飯がないだけでこんなに辛いなんて。昼飯があって当然の日常に慣れ過ぎてた。
満腹度がゼロになってもHPがゼロになるまでは平気だろーってのは甘えた考えだったかも。
「でも西村、最近は購買だったろ。なんで昼飯ねえの?」
「金忘れたなら先生が貸してくれるぜ」
「そういうわけじゃないんだけどさ」
三回に一回ぐらいの割合でドロップするアコの弁当があるので、今の俺は購買組だ。
ちょっと多めにもらってる昼飯代から最低限を手元に残して、後はアコに弁当予算として渡してある。
……給料を預かる奥さんみたいな顔で受け取るアコがちょっと嫌だったけど。
それはともかく、本来なら昼飯に飢えるってことはない。
「もしかして弁当持って来る嫁さんと喧嘩? 喧嘩?」
「なんで嬉しそうに聞いてくんだよ。違うって」
アコと喧嘩なんて怖いことするわけないだろ。
嫌われるのが怖いというより、包丁を持ったアコが家の前で待ってそうなのが怖い。
とてもじゃないけど本気の喧嘩なんてしたくないです。
「ルーシーアーン」
と、噂をすれば。
がらりと教室の扉が開き、聞き慣れた声が響いた。
ドアの陰から長い黒髪がのぞき、その隙間から丸い瞳がこちらを見つめている。
長い前髪の隙間からも、ちょっと驚くぐらいに可愛いなってのはわかるんだけど──それはこいつが俺の嫁だからって贔屓目もあるかもしんない。
「ああ、アコか……」
「……お弁当、持って来ました」
無駄に元気な嫁テンションじゃなく、暗い表情で言うアコ。
その手には大きなアルミの弁当箱がある。
「なんだ、嫁さん来るんじゃん」
「なにが昼飯はない! だよ」
「……そう言っていられるのも今だけだぞ?」
「……?」
疑問符を浮かべるクラスメイトをスルーして、アコから弁当箱を受け取る。
大きさの割にやたらと軽い。ああ、予想通りだよ。
「開けるぞ?」
「……はい」
お互いに悲しさの溢れた視線を交わし、弁当箱を開ける。
大きな弁当箱の中に、中ぐらいの弁当箱が入っていた。
「……お、おお?」
「なんだそれ?」
きょとんとする男子連中。
何も答えずにさらに中身の弁当箱を開ける。
すると中にはさらに小さな弁当箱が。
「マトリョーシカかよ」
「なにそれ」
「なんかあんだよ、ロシアに」
弁当箱の中に弁当箱。手品師のように箱を開けていく。
そして小さな弁当箱を開けると、中には小さな小さなおにぎりが一つだけ入っていた。
「ごめんなさい、炊飯器にあった残りで、なんとかおにぎり一つだけは作れたんですけど……それ以外は何も……」
「良い。良いんだアコ。ありがとう」
涙をこぼすアコの手を握る。
「一つのおにぎりを二人で半分こして食べよう」
「うう…このおにぎり、クエスト受注破棄を繰り返せば無限に増やせたりしないですかね」
「やめろ、BANされるぞ」
あれは手動でやっても余裕でBANされたから考えちゃ駄目だ。
「そうですよね……ごめんなさいルシアン、お昼も用意できなくて……」
「こっちこそ申し訳ない。俺の甲斐性がないせいで」
「そんな! 病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、って夫婦の誓いをしたじゃないですか」
「それはしてない」
「えええっ!?」
したのはゲームの中だけだから。リアルではやってないから。
「……お前ら何なの?」
「極貧夫婦プレイ?」
「プレイってなんだ人聞きの悪い」
俺達は誰をはばかることもない、本物の極貧夫婦だよ。リアルでは夫婦じゃないけど。
「まあ、俺達にも色々あるわけだよ」
あいまいに誤魔化して視線を逸らす。
すると女子の方でも似たような話題が展開されてた。
「茜ー、お昼はー?」
「これよ」
「こ、これって言っても」
目の前に置いた水入りペットボトルを突き出し、真顔で言い放つ瀬川。
周囲の女子が凄く微妙な視線を向けてる。
我らがシュヴァイン様はこんな時でも勇ましかった。
「どしたの茜、お昼ご飯なし?」
「そ。ダイエットでね」
「ダイエットって……どこを瘦せるの?」
十分すぎるほど細い──というより小さい瀬川に、ほんのりと困った顔を見せる秋山さん。
しかし瀬川はどこまでも本気の表情で言う。
「こう見えてお腹とかぷにっぷにだから。もうちょっと瘦せないと」
「……茜ってそういうの気にするタイプだっけ」
ほらほら、と細い二の腕を出すけど、これでぷにぷになら他の子はどうなるんだよってレベルの太さだと思う。
大体瀬川はモテるモテないに大して興味を見せないし、可愛さアピールをする方じゃない。
当然いぶかしげな視線が注がれるけど、瀬川は、
「あたしにも色々あるのよ」
俺と同じようにかなり適当にまとめた。同類かよ。
「……ふーん」
秋山さんは何か悟ったようにふむふむと頷き、何故かこっちを見る。
何ですか、怖いんで見ないでください。あまつさえにこっと笑わないでください。
ともかく瀬川も頑張ってるんだ。俺も頑張らないと。
今日の部活は重要な作戦会議なんだ。それまで体力を温存しておきたい。
見上げた壁掛け時計に示された時間は、まだ昼過ぎ。
放課後まで、長いなあ。
††† ††† †††
腹が減りすぎてむしろ満腹感を覚え始めた頃、ようやく授業が終わった。
ホームルームのイライラタイムを抜ければようやく部活の時間だ。
このために学校に来たと言っても過言じゃない。今日に関しては俺もアコを笑えないな。
「お、瀬川とアコはもう来てたか」
「当然でしょ、今回だけは外せないわ」
「さくせんかいぎ、ですから!」
俺が部室に来た時には、瀬川もアコもしっかり席についていた。
そして開いているはずの席には、
「やっふー! 奈々子ちゃんだよー!」
「うざ……」
「アコ、抑えて、抑えて」



