一章 マイホームランド ③

「幸いお祭りの空気だったから笑い話で済んだけど、普段ならヤバかったぞ」

「相手があんたじゃなくても大変なことになってたわよ。反省してるわ」


 競技の後で、凄く申し訳なさそうにお茶を差し入れに来た瀬川に免じて、飛び蹴りは許すことにした。あいつ軽いから思ったほど痛くはなかったし。


「それで、ちょうどその後に始まったのが私の競技でした」

「あー、アコちゃんの競技は見てたよ、1500m走だよね」


 びくっとアコの肩が震えた。

 なんとこいつは地獄の1500m走に出場していたのだ。


「そうです、そうですよ。じゃんけんという大事な時に限って必ず負けるクソゲーを行った結果、私が1500mも走る羽目になったんですよ!」


 それもじゃんけんで五連敗したらしい。

 こういう場面で運が悪いのがなんともアコっぽい。


「1500m走は全員一斉にスタートするので、みんなで並んでたんですけど……その時、同じクラスから出た人が言ったんです。『玉置さん、一緒にゴールしようね』って……」

「そ、それで?」


 黒いオーラの渦巻くアコに恐る恐る尋ねる秋山さん。

 アコはかっと目を見開くと、全身から怒りを迸らせた。


「走り始めてほんの十秒で、その人は遥か先に行っちゃいましたよ! その人だけじゃないです、みんな私を置いてどんどん走って行っちゃうんです!」


 普通の高校生よりずっと運動不足のアコだ。

 短距離走はもちろん、長距離走なんてとんでもない。

 俺も見てたけど、見る見る内に集団から離されて、見ているこっちが辛いぐらいだった。


「一人になっても私は走りました。必死に走りました。どうせ誰も見てないし、最下位なのはクラスのみんなもわかってるし、どんなに遅くてもゴールすれば文句は言われないって思って。でも違ったんです。私が余りに遅かったから、運動場のトラックが使えなくて、競技が止まっちゃって──みんなが、みんなが見てたんです。私が一人で走ってるのを!」

「あれは酷かった。もはや拷問だったな」

「一人だけでふらふら走ってるアコを全校生徒がじーっと見てて、放送部も『玉置さん頑張れ、玉置さん頑張れ』ってマイクでずっと言ってて……」

「うん、だから私も見てたんだけどね……」


 そして地獄はそれだけでは終わらない。最後の最後に悪夢が待っていたんだ。


「そしてゴールの瞬間です。お願いだから見ないでって、終わったら何事もなかったように進行してくださいって、そう願ってた私に──」


 アコは両手で頭を抱え、バンとキーボードに頭を叩きつけて言う。



「──全校生徒から、拍手が飛んできたんです!」



 アコのゴールは、何故か全校生徒の拍手で祝福されたのだ。


「すっごく優しく迎えられたわよね」

「全員が応援してたからな」

「私にとっては、控えめに言ってもいじめでしたよ!」


 絶対に学校に来い、と言い切れなかったのは、あの光景が原因だ。

 本当に来てくれて良かった。登校拒否に戻っても驚かなかった。


「クラスの人は優しく迎えてくれたので、まだなんとか……」

「あの光景を見たらねえ」

「学校の半分を占める運動苦手系生徒全員がお前の味方だったよ」


 自分がその立場になったらと思うと、とてもじゃないけどアコを笑えない。

 ただただ胸が痛いだけだった。


「体育祭って楽しいと思うんだけど、なんか大変なんだね」

「応援合戦の真ん中で踊ってた奈々子にはわかんないわよ……」

「あれもあれで恥ずかしかったんだよ?」


 秋山さんのポジションも俺達には十分地獄だけどね。


「すまない、待たせたな」


 と、ちょうどその時、マスターがドアを開けて入ってきた。


「……生徒会の仕事とか言って競技に出なかった裏切り者が来たぞ」

「ズルイです、羨ましいです」

「教職員用テントで座ってただけのくせに……」

「なんだ、どうしたのだお前達」


 いきなりの敵対的視線に動揺しながらも、マスターはぱんぱんと手を叩いて空気を変えた。


「何があったのかは知らないが、今日は重要日なのだぞ。遊んでいないで席に座れ」


 しぶしぶと自分のパソコンの前に戻る。

 アコの額がちょっと赤くなってるのが痛ましかった。黒歴史を思い出して悶える時って、たまに怪我したりするよね。


「ふむ、セッテも来ていたか」

「やっぱり今日は大事な会議なんでしょ! なら私も参加するよー!」

「でもね、今回は辞めた方が良いわよ、奈々子」

「仲間外れは認めませんっ」

「あたしも意地悪で言ってるんじゃないのよ?」


 やれやれ、といった様子でこちらに視線を向ける瀬川。

 んー、でも仲間外れと言われるとこっちも弱い。昨日の夜にログインしてなかったから声をかけてないだけで、あの人も立派に仲間なのだし。


「問題ないだろう、セッテも参加すると良い」


 部長でギルドマスターの彼女が言えば決定だ。これでも偉いんです。


「さすが会長さん、話がわかるー!」

「そうだろう、そうだろう」


 うむうむ、と秋山さんに頷いて、マスターはホワイトボードの前に歩み出る。

 どこか普段と違う、緊張した空気が流れはじめる。


「セッテも言った通り、本日は作戦会議になる。今後のアレイキャッツの命運を握る重要な会議と言えるだろう」

「なんだかわくわくするね」


 能天気な秋山さん。

 そう笑っていられるのも今の内だぞ。


「その議題だが、言うまでもなく、これだ!」

『ハウジングシステム、実装』


 マスターはがっと文字を書き込むと、ばんと叩いた。びくっとアコの肩が震える。


「ついにこの時が来た。既に知っていることだと思うが、全LAプレイヤー待望のハウジングシステムの実装が発表されたのだ!」

「随分と待たされたわね」

「実装予定だけはずっと前から出てたからな」

「私とルシアンの愛の巣が、ついに……!」


 よだれを垂らしながらこっちを見ないように。怖いので。


「実装は二週間後。午後五時のメンテナンス終了後に、土地管理NPC、ハウジングNPCが追加される。さらにハウジングコンテストやハウジング相談会など、イベントも実施予定と、盛りだくさんのアップデートだな」


 さすが秋のアップデート、運営も本気だ。

 夏に増えたプレイヤーを少しでも残すために手が抜けないんだろう。


「えっと……そのハウジングって、なに?」


 そんな俺達の流れに乗れず、きょとんと言う秋山さん。


「公式の告知ぐらいチェックしなさいよ」

「毎日毎日見ないよー」

「ならWikiか本スレを見なさい」

「本スレっていうのもわからないんだけど?」


 教えなくていいよ、本スレ見ててもただ黒くなるだけだから。

 で、そのハウジングシステムの内容なんだけど。


「ハウジングシステムはその名の通り、家を建てられるシステムだ」

「町の中とか、その近くとか、景色が良いところとか……とにかく余ってる土地を買って、そこにプレイヤーが家を持てるのよ」

「一軒屋をもらえるんだ?」


 もらえるというか、買えるというか。

 ま、認識としてはそれで間違ってない。

 とにかくゲーム内で家を持てる。

 外観にこだわり、中身を飾り付け、自分だけの家を建てられる。

 よってハウジングシステムってわけだ。


「凄いね! 庭付き一戸建て? ペットとか飼えるの?」

「高い家なら庭もあるわよ。ペットは……どうだっけ、ないんじゃない?」

「ならむーたんでいいかあ」


 むーたんの放し飼いはやめて欲しい、通りがかりの人に迷惑を掛けるから。


「そこで今回の会議は、アレイキャッツのギルドハウス建設について、が議題となる」

「ついに溜まり場にしていたあの店を脱出する時が来たか……」

「長かったわね……」

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