二章 巨大商伝 ①
キーンコーンカーンコーン、とチャイムの音が鳴り、先生が教室を出て行く。
直後、俺は頭をぶつけるようにして机に倒れこんだ。
「西村ー、飯今日もなしかー?」
「そんなことより眠いンゴ……」
「何語だよ」
朝飯さえ食っていれば睡眠欲は食欲に勝てるらしい。
もう何もかも忘れて寝たい。寝られたらそれでいい。
「じゃあ勝手に食ってるからな」
「んな眠そうな顔してよお、俺だって朝練があるから実質三時間しか寝てねーんだぞ」
「つれーわー」
おうおう言ってくれるじゃないか。
俺は実質どころか本当に三時間しか寝てねえぞ、ドヤああああ──と言う元気もなく、うつむいたままうんうんと頷いて返事の代わりにした。
「なんでそんな寝てないんだよお前」
「部活……」
「西村部活とか入ってたっけ」
「あれだろ、ゲーム部だろ」
ネトゲ部です。正確には現代通信電子遊戯部です。
「あー……じゃあ単に寝ずにゲームかよ」
「帰ってからも自主練とか部活真面目勢だなー、ルシアン君はー」
うっせえ放っとけ。
以前は俺が眠そうにしてても放っておいてくれたんだけど、文化祭でネトゲ部の存在が地味に知られたので、こんなどうでもいい煽りを受けることがたまにある。
そしてそのせいで、関連付けられないように耐える羽目になった人間もいるのだ。
「茜、なんかその、ダイエットっていうか、もうやつれてるように見えるんだけど」
「ダイエットって多少の無理はあるもんでしょ」
「でも凄いクマだし……」
夜討ち朝駆けでボスを狩っている瀬川も随分と体に限界が来ているようだ。
毎日眠そうなのが俺と同じだって扱われるのが嫌なんだろう、ダイエットで押し通している模様です。
顔を上げるのが辛いから見てないけど、どんな顔色かは大体想像がつく。
とにかく眠い。眠いから仕方ない、次の授業まで、このまま寝る──。
「ルシアーン」
わけにいかなかった。
「…………」
「ルシアンルシアン、お昼ですよルシアン、お話しましょうよルシアン」
「お、おう……」
無視するとこのままルシアンを連打しろゲームが始まるので顔を上げて目を合わせた。
「アコ……どした……」
「お昼です。一緒に食べましょう」
って言いながら持ってるのお茶だけじゃん、っていう貧乏夫婦だった。
机も動かさずに一人で寝てたので、前の席が空いてる。
丁度良いとばかりにアコがそこへ腰を下ろした。
ああ、シチュエーションはちょっと夢が叶う感じかもしれない。
昼休みに彼女が来て、前の席に座ってお弁当渡してくれて……みたいな。弁当はないけど。そして彼女じゃなくて嫁だけど。
「なんだかこういうのいいですね」
アコも似たようなことを考えていたのか、ふにゃっと笑って言った。
「そだな、リア充って感じがするな……」
にこにこと嬉しそうなアコを見ているとちょっと目が覚めてきた。
眠いから嫁を放置する夫、って字面にすると酷い奴だし。ちゃんと話をしないと──いや、待て。おかしいぞ。にこにこと……?
なんだか違和感がある。凄く大きな違和感が。
ゆっくりと体を起こして真面目にアコと向かい合う。
せめて飲み物だけでもというのか、紙コップにお茶を入れてくれているアコ。
機嫌よく鼻歌でも歌いそうな様子で、いつもよりさらに乱れた黒髪をちょっと払った。
髪がいつもよりぼさぼさで……なんか元気で……そうか!
「どうしました?」
ほわほわと首を傾げるアコに、俺はびっと指を突きつけた。
「お前、午前中の授業、ちゃんと受けてないだろ!」
笑顔のままでびくりと硬直するアコ。移動不可系の状態異常でも受けたみたいだ。
そのままぎしぎしと鳴りそうなぐらいに重い動作で俺から顔を逸らし、
「どうしてそんなことを言うんですか、何の証拠があって……」
もはや認めてるだろって思うような台詞で言い逃れをしてくる。
だが残念だったなアコ、証拠はあるのだ。
「俺を甘く見るなよアコ。いつも整えてるとは言いがたいお前の髪形だが……それにしたって今日はぼさぼさ具合が大きい。見覚えがあるぞ、これは寝起きのアコだ」
「ううっ」
ぐさりと心にナイフが刺さり、アコが怯む。
慌てて手で髪を整えるけど、そんなものは遅いのだ。
「……なんであいつ玉置さんの寝起きの髪型を知ってんだよ」
「言わせんなよ恥ずかしい」
「一夏の経験が、西村を男にしたのです」
「こういうのって露骨に言われるより言葉の端々から匂った方が、なんか……」
「ああ、エロい感じするな」
男子クラスメイトに余計な誤解が発生してる!
違う、そういうんじゃない!
合宿! 合宿で寝落ちしたアコを見ただけだから!
「ご、ごほん。そして、だ」
仕切り直して続ける。
「さらに、だ。眠気に弱いアコだというのに、それも昨夜は遅くまで一緒だったにもかかわらず、こんなにも眠い俺に対してやたらと元気なお前。ここからもお前が寝ていたことが予想される」
「遅くまで……」
「一緒だった……?」
秋山さんと瀬川が汚物を見るような目を向けてきた!
何なの、少なくともお前らは遅くまで稼いでただけだって知ってるだろ!
ちょっと黙っててくれるかな!
「つまり! 導き出される結論は、お前は午前中の授業は保健室で寝ていた、となる!」
「い、異義あり! 私は授業にしっかり出た上で授業中に寝ていただけです、出欠に関しては問題ありません!」
アコからの異議が出た。だが甘い!
「却下だ! 目立つのが嫌いなお前が授業中に寝癖がつくほど堂々と寝るだと!? そんな注意されて視線を浴びるような真似をするか!」
「ううううう」
アコにクリティカルヒット。
見事論破してやったぜ。
「ごめんなさい……私がやりました……」
「罪を認めてくれるか……」
「私、またやり直せるでしょうか」
「やり直せるさ、きっと、何度だって……」
ぽん、とアコの肩を叩いて笑顔で言う。
「とりあえず午後の授業絶対出ろよ流石に怒るぞ」
「はい……」
アコは半泣きで頷いてくれた。
その俺の肩が、ばん、と後ろから叩かれる。
なんじゃいな、と振り向くと、人どころかボスすら殺しそうな目つきの瀬川が居た。
「あんたら、外で、やりなさい」
「……へい」
「はい……」
ボス属性すら持ってない俺では対抗のしようがない。
アコと二人、カクカクと頷いたのだった。
「追い出されましたね……」
「んー……生徒会室に行くか?」
「そうですねー」
昼の時間はちょくちょく生徒会室にもお邪魔してる。
いつもマスターが一人で居るので楽なのだ。っていうか一人で居るマスターが可哀想なのだ。
誰かあの人と友達になってあげてくれませんか。付き合ってみると結構いい人だから。
というわけでこんこんとドアを軽くノックしてみる。
「……返事がないな」
「いないんですかね?」
「どうだろ、だとしたら良いことだと思うけど……」
駄目で元々だし、とドアに手をかけてみる。力を入れるとあっさりと開いた。
なんだよ開いてるじゃん。
「ひいっ!?」
と、生徒会室を覗きこんだアコが、唐突に後ずさった。
「どうし……うっわっ」
遅れて中を見た俺も一瞬言葉に詰まった。
「なんじゃありゃ」
ホラー映画の化け物みたいなのがいた。
あれだよあれ、ほら、テレビから出てくる奴。くーるー、きっとくるー、やつ。
「何でこんなところにさだこさんが」
ぼかしたのにアコが言っちゃったけど。
「前ヶ崎高校七不思議、生徒会室のさだこ、か」



