二章 巨大商伝 ⑦
「じゃあ、試しにやってみましょう!」
ぱっと両手を上げて、名案、とばかりに言うアコ。
「試しに? 試しにってどういう意味?」
「ルシアンがそこまで言うんですから、きっと良くない理由があるんです。なら仕事の内容を実践してみたらわかりますよっ」
「あー、それいいねー」
くすくす笑いながら秋山さんが同意した。
あ、この流れはまずい。待って待って、俺が実験台になんの? マジで?
「ふーん」
瀬川はちょっと考えたけど、結局は頷いた。
「そうね、働き出してやっぱヤダってなったら面倒臭いし」
「面白そうではないか。私もやろう」
笑ってたマスターまで。あんたわかってるだろ、このバイトは良くないって。
でもまあ……やればわかるか。
いや、やる前にわかって、俺が蹴られて終わりか。
それで納得するなら良しとしようか。
††† ††† †††
「業務内容一、お客様をやさしく引っぱたく」
秋山さんがバイト内容を見ながら言った。
いきなりハードだな、おい。
「要するに叩けばいいのよね。なら……アコ、やってみなさいよ」
「ええっ」
名指しされたアコがびくっと身を引いた。
「私がルシアンを叩けるわけないじゃないですか!」
「予行演習だと思ってやればいいでしょ。この浮気者! って怒鳴りながら」
「なるほど!」
「なるほどじゃねえよ、納得すんな!」
っていうかろくでもない予行演習をするな!
要らねえからな、そんな練習は!
「じゃ、じゃあいきますよルシアン」
「やるのかよ……」
おっかなびっくり手のひらを構えるアコ。
まさかアコに殴られる日が来るとはなあ。
「適当に加減してくれよー」
「はいっ!」
目を瞑って待つ。
ドキドキという胸の鼓動が感じられるぐらいに高まってる。
「ルシアンの、浮気者ーっ!」
声と共にアコの手がぶんと振られ、俺の頰に衝撃が────来ない。
待っても待っても来ない。逆に不安になってくる。
「……あの、アコ?」
ちょっと目を開いてみると、アコはその場に崩れ落ちていた。
「やっぱりダメです……私にルシアンを殴るなんてそんなこと……」
「あ、そうなったんだ」
「そもそも予行演習なんてしちゃうと、この先で実際に起きるフラグな気がして、とってもやりたくないです」
それは言えてる。よくあるもんな、そういうの。
万が一、敵の増援が来たら全て倒すのだ! とか言ってくるクエスト、絶対に増援が来るし。
「ったく、情けないわね。あたしが手本を見せてあげるわよ」
「え、お前がやんの?」
瀬川に殴られる理由は何もないんだけど。
アコは……まだ色々と、我慢する理由があるけどね。
「大丈夫よ、あんまり痛くしないから」
「ビンタの素振りしながら言われても全然説得力がないぞ?」
「あたしSTRは低いけどDEX高いから、クリが出たら痛いわよ」
「クリティカルを狙わないでくれ!」
ただでさえ怖いのに!
と言っても元々瀬川に思いとどまらせるのが目的だったわけで──殴るのはちょっと違う気がするけど、受けるしかない。
「じゃあ行くわよ! 歯を食いしばりなさい!」
「くそ、わかったよ!」
ぐっと奥歯に力を入れる。
瀬川は大きく右手を広げると、
「この……甲斐性なし!」
ぺちん! と軽い音を立てて、俺の頰を叩いた。
痛っ! いや、そんな超痛いわけじゃないけどなんか瞬間的に結構痛え!
「うわ、痛え……えぶっ!?」
「朴念仁ー!」
まさかの往復!?
戻ってきた手の甲で右の頰まで引っ叩かれた!
それはやるって聞いてねえぞ!
「ちょ、おまっ」
「ネトゲ廃人ーっ!」
ぱーん! と耳が痛いぐらいの音を立てて、もう一度ひっぱたかれた。
痛ってえええええ! 最後のこれかなり痛かったぞ!
「だ、大丈夫ですかルシアン!?」
「だ、大丈夫だけど……おい、瀬川……」
さすがに本気で叩いたわけじゃなさそうで、ちょっと間を置けばそう痛くもなく、瀬川の小さな手の感触が残ってる程度だよ。
でも、それにしても三連発ってどうなんだこの野郎。
恨みの籠った視線で睨む先にいる瀬川は、
「ああ、ヤバイこれ、超スッキリする」
「スッキリしてんじゃねーよ!」
なんで恍惚としてんのお前!?
「ほぼイキかけたわ」
冗談でもそんなこと言わないでくれ、頼むから。
「っつうか殴る時の台詞は何だよ! 俺はゲーム内に嫁がいるんだよ、甲斐性なしって言われたら精神的にもダメージあるだろ!」
最近の昼飯事情から、かなり自覚があるし!
「いやなんか罵りながらやるべきかなって」
「うん、罵りながらやるって紙に書いてあるよ?」
客はどんなドMなんだよ!
我々の業界でもご褒美じゃねえだろこれ!
「言っとくけど俺は朴念仁でもないから! 大体ネトゲ廃人はお前もだろ! ああもう、色々と納得がいかねえ!」
「あの、ルシアン」
俺の頰を撫でていたアコが、どこか黒い瞳で漏らした。
「なんだかルシアンを殴る予行演習より、この泥棒猫! って言いながら女の子を叩く練習した方が良い気がしてきました」
「とってもお似合いだから練習しないでおいてくれ!」
変なフラグ立てなくていいから!
「業務内容二、お客様をやさしく踏む」
「どんな仕事だよ」
もうこの時点でおかしいって気づけよ。
「踏むか。踏むといえば私だな!」
はいはい、と嬉しそうに手を挙げるマスター。なんだかちょっと可愛い。
「え、そう?」
「どうしてマスターなんです?」
が、瀬川とアコは不思議そうに顔を見合わせた。
「なぜだ!? 我が部で言うドSキャラといえば私だろう! ギルドマスターで部長で生徒会長でさらには先輩だぞ! もはや他に選択肢はあるまい!」
ショックを受けるマスターに、しかし二人は納得がいかないらしく、
「でも別にマスターにさでぃすてぃっくなイメージはないですよ?」
「マスターはなんていうか……面倒見の良い馬鹿、って感じよね」
ドSとはかけ離れたイメージだった。
ああ、うん、正直わかるかも。
「馬鹿……馬鹿キャラだと……私は学年でもトップクラスの成績をだな……」
「成績とかじゃなくて。確かにINTは高いけど……そう、イメージが馬鹿! みたいな」
「イメージが馬鹿だと!?」
ぐしゃあ、と重い打撃音が聞こえた──ような気がした。
マスターはクリティカルヒットを受けたように硬直する。
お、おお、痛そう、なんか凄く痛そう。赤色のダメージ表示が見えた気がするもん。
「過去に言われた言葉の中で最もショックが大きい……」
「え、ご、ごめん! でもほら、ルシアンもアコも馬鹿だし、うちの部じゃ普通だって!」
「確かにアコも瀬川も馬鹿だけど」
「馬鹿ばっかりですね!」
嬉しそうに言うな馬鹿。
「楽しそうだねー」
馬鹿じゃない秋山さんが何故か疎外感を覚える謎の会話が繰り広げられています。
「むう……ならばここで私の本領を発揮する時だな。我が真の力を見るがいい。ルシアン、悪いがそこに横になってくれ」
本物のドSはそこで『悪いが』とか言わないと思うけど。
まあ素直にべたっと、うつ伏せに寝転ぶ。
「これでいいか?」
「そうだな。ああルシアン、靴は脱いでいるから安心しろ」
「あいよ、いつでもどうぞ」
だから本物のドSはそこで靴とか脱がないって。
仮に瀬川なら嬉々として土足で踏んでくるもん。
あ、そうか。うちのSキャラはあいつだわ。殴って気持ち良さそうにしてたし。
「では……失礼する」



