二章 巨大商伝 ⑨
アコの頭上にクエスチョンマークが飛び回る。
俺達の頭の上にも同じようなのが飛んでると思う。
プロレス技の名前なんて聞いてもわかんないよね。
「別にそれじゃなくていいでしょ。簡単でわかりやすいのでいいじゃない」
「例えば?」
「んー……ヘッドロックとか?」
「ああ、あのガンドゥムオンラインの会社ですか」
「アコ、ストップ、ストップ!」
それじゃない、それじゃないやつ。
「やり方は簡単でしょ。要するに相手の頭をこうやって抱えてー」
「あ、おいっ」
後ろに忍び寄っていた瀬川が左腕を俺の頭に巻きつけた。そのままぐいっと腕と胸で締めあげてくる。
「ほら、こうやんのよ」
「いってええええっ!」
グリ! ってなった! 痛えって!
そう思ったので反射的に言うと、俺の頭を抱えていた瀬川がぴたっと止まった。
「……は? 痛い?」
「当たり前だろ、技入ってるんだから!」
俺としては当然の反論だったんだけど、瀬川の腕にどんどん力がこもって痛い痛い痛いって!
「この体勢で大して力入れてないのに痛いと? 痛いと言うのね?」
「だってそりゃ……あっ……えっと、いや……」
そ、そうか。今更気づいたけど、俺の顔の右側って、瀬川の体に当たってるんだっけ。
普通は柔らかいなーとかそういうリアクションになるのか、もしかして。
「いやその、でもですね、実際かけられた瞬間から単純に硬くて痛いだけで」
「あたしそんなにアーマーあげたつもりなかったわねー? おかしいわねー」
「無理無理マジで痛いって! ギブギブギブ!」
必死に腕をタップする俺に、瀬川は大きく息を吐いて技を解いた。
「うう、ちょっと頭がガンガンする」
「ったく……こんな感じでやればいいのよ」
「要するにルシアンの頭をぎゅっと抱っこすればいいんですね?」
「そうそう」
その理解で本当にいいんだろうか。身の安全のためにもあえて言わないけど。
「アコちゃん、前からやってもいいみたいだよ。フロントヘッドロックだって」
「正面から! はいっ!」
やる気満々だ!
ええい俺も覚悟を決めよう。来るなら来い!
「行きますよルシアン!」
「おう!」
「え、えいっ!」
正面から近づいてきたアコが俺の頭に腕をまわした。
そのままぎゅっと胸元に引っ張って、ぐいっと力が入って──ふにゃっとなった。
「……なんで痛いって言わないのよ」
「それは何と申しましょうか」
だって痛くないし。ただ柔らかいだけだし。
「ルシアーン」
やってる方もぎゅっと抱きついてるだけだし、これ意味ないよな?
「なあこれプロレス技になってないし、ちょっと別のにした方が……」
「ギブアップするまで続けますよー」
「この状態でどうギブれと」
欠片もダメージ受けてないんだけど、むしろ凄い勢いで回復してるんだけど。
でも、あー、なんか気持ち良くなってきた。
「ぎゅー、ぎゅー」
凄い気持ち良い。もう色んなことがどうでもいい。
暖かいし、柔らかいし、良い匂いするし……このままでいいや……。
「ルシアンが落ちたな……」
「軟弱モノねえ」
「プロレス技で落ちたって感じじゃないよね?」
るせえです。
「ほら、瀬川……こんなこと……やりたくないだろ……」
「何の話をしてんのよ、あんたは……」
「お前のバイトの……ああ……これヤバイ……」
みんなの声が段々遠くなっていく。体から力が抜けて、ただアコだけを感じる。
天国が、ここにあった……。
がら、っと、小さな音が聞こえた。
「みんなー、ちゃんと部活やってるー?」
そんな猫姫さんの声も聞こえた気がした。
「あー……やって、ないわね」
そんな酷く冷たい声が。
「せんせー、こんにちはー」
「こんにちはじゃないわよ。ほら離れて離れて」
「あうっ」
ほがらかに挨拶をしたアコが俺から引き離されて、ふにゃふにゃしたのが体から離れていく。
おお、離れたら段々冷静さが返ってきた。
「お、おお……危なかった……落ちるところだった……」
「あんた完璧に落ちてたわよ」
「綺麗に極まっていたな」
パワーではなく肉体で勝負をしてくるとは。
汚いなさすが俺の嫁汚い。
「何をやってるのよ……」
呆れた様子の猫姫さんに睨まれ、みんなでちょっと小さくなる。
ネトゲしてたならともかく、全然関係ないことをしてたから気まずい気持ちはあるし。
「その、ちょっとプロレスの技を」
「は? 今のがプロレス?」
俺が素直に答えると、先生は目を丸くした。
「一体どの辺がプロレスだったの?」
聞かれたアコが胸を張って答える。
「ふろんとへっどろっく、です!」
「……どこがよ」
「え、えっと」
アコがぎろっと睨まれてびくっとしてる。どうしたんだ先生、いきなりそんな。
……いや待て。そういえばこの人、レスリングの同好会に入ってたとか。そんなことを言ってなかったっけ。ラリアットとかできるんじゃなかったっけ。
「本当は腕ひしぎ十字固めとかしたかったのよ。でもやり方わかんないから、ヘッドロックでいっかーって」
「あれのどこがヘッドロックよ。全く……ヘッドロックっていうのはねえ」
猫姫さんから殺気が!
反射的に逃げようとした俺を、それ以上の速度で捉える二本の腕!
「こう、やるのよ!」
「のぐおおおおおっ!?」
正面から凄い勢いで伸びてきた先生が俺の頭をつかんで、そのままぐいっと、っていうか痛い痛い! ちょっと何だ!? どのタイミングで技をかけられたんだ!?
「猫姫さん! 痛い、痛いです!」
「それで、これが!」
「おうわああっ」
がっと足を払われてその場に倒れこんだところで、先生が俺の腕をつかんだ!
やばいこの人、話を聞いてない!
待ってください、俺は素人だから、マジで極められたら体がもたないから!
「腕ひしぎ! 十字固めよ!」
「ぬおおおおおおお」
俺の体は一体どういう状況になってんの!?
なんでこんなのリクエストする奴が居るんだよってぐらいにとんでもなく痛いんだけど!
「ギブギブギブ! もう無理です!」
「プロレスリングを、舐めるんじゃないわよーっ!」
気合一発、猫姫さんがぐいっと力を込めた瞬間。
ぐきっと、何かがズレる音が俺の腕から響いた。
「あっ」
「……あらー」
「ルシアン、ルシアンー!」
薄くなっていく視界に、りたーん・とぅー・せーぶぽいんと? という選択肢が見えたような気がした。
「体罰ですよ先生ー」
「うちの顧問が暴力教師だったなんてねえ」
「これは理事会で勧告を……」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
白い目で見下ろす部員達に、床に正座した先生がぺこぺこと頭を下げる。
「そもそも先生、レスリングやっててもプロレス技は関係ないんじゃ?」
「それは趣味で……」
レスリングやってる人ってプロレスも好きそうだしね、うん。
「まあ、お前達や。猫姫さんをいじめるのはやめておあげなさい」
「でも! ルシアンの腕が、腕がっ!」
アコが泣きそうな顔で言うけど──そういうリアクションするのやめてくれ。
「なんか俺の腕に取り返しのつかないダメージが入ったみたいじゃん……」
折れてないし、関節が外れてもいないし。
ちょっと痛かっただけだから。
「こんなに痛いのに、なんで望んでやる客が居るの? プロレスが好きなの?」
「……何の話? というか、さっきも何をしていたの?」
不思議そうな瀬川に、先生が尋ねる。
「あたし達、バイトを探してるんですよ。そしたらお客さんにプロレス技をかけるメイドカフェが募集をしてたので」



