二章 巨大商伝 ⑪

「そうだ。なんと、ゲーム内マネーで換算すると時給20Mが達成できるわけだ。廃プレイヤーでも簡単な額じゃないぞ? いやー、凄いなー」

「それは……なんというか、その……衝撃的な試算ですね」

「スリッパ先生の悪夢を見ながらひたすら戦い続ける七時間が、アルバイト一時間と等価なんだからな」


 一時間の頑張りがバイト十分と同レベルの価値だと言われると、流石にちょっと揺れてしまうのが人情だよな。


「うう……なんだか納得がいかない気がします。私は夢の中でも苦しめられてるんですよ」

「気持ちはよくわかるけど、やっぱり現実は非情なんだよ。だからレベルが上がりきって経験値に魅力を感じないミドルクラスの廃人は、いっそ働いちゃえば簡単じゃんって発想になることがあるんだ」

「そしてバイト廃人へ……ですか」


 なるほど、とアコは深く頷いた。


「公式RMTも邪道だ! って層は一杯いるし、課金しないからこそ面白いんだって層も多いけど、やっぱ社会人プレイヤーは時間を金で買う人も居るな」


 どちらが正義ってわけでもない。ゲームが嫌いになるほど必死に稼いでも本末転倒ではあることだし。


「俺も高校に入ったらバイトしよう! なんて決めてた時期があったんだけどな……」

「どうしてやらなかったんですか?」

「バイトなんてしたらゲームをする時間が減るじゃん」

「大いなる矛盾ですよっ!?」


 別に俺はゲーム内マネーを増やすためだけにゲームをしてるわけじゃない。

 楽しいのが一番大事、それ以外は余録。


「今はとにかく金が要るって状況だし、今なら良いかもって思ってさ」

「ふむふむ……わかりました」


 アコはぐっと力強く頷くと、とんとんと跳ねるように俺の前に回った。


「私がルシアンの嫁として、立派に家の頭金を稼いできます!」


 意気込んでそう言うアコ。

 気持ちは、嬉しい、けど──。


「それはやだなあ……」

「なんでですかっ!?」


 完璧にヒモ扱いじゃん。

 流石にアコに養われるのは情けなくて嫌だよ。

 さて、明日のバイト、俺も頑張らないと。


   †††   †††   †††



「つ、疲れた……」


 休日を潰した丸一日の仕事がこんなにも疲れるなんて、思いもしなかった……。

 一つ大人になった気がするぜ、ふへへ……なんて考えながらLAを起動する。


◆アコ:ルシアンー!

◆ルシアン:お、帰ってきてたか


 アコもちょうどログインしたところだった。

 逃げ出してたらどうしようかと思ったけど、アコもやり遂げたようで何よりだ。

 いつもの店に見に行くと、待っていたアコが飛びついてくる。


◆アコ:頑張りましたよおお、私頑張ったんですよおおお

◆ルシアン:ああ、しっかり働いてきたんだな。俺も疲れたよ


 しがみついてくるアコをよしよしと撫でた。

 ただのエモーション動作なんだけど、日常でよくやってるせいでなんとなく感触が想像できる辺り、かなりアコの影響を受けてるような。


◆ルシアン:そっちの仕事はどうだった? 虐められたりしなかったか?

◆アコ:ほとんど誰とも話をしなかったので、それは大丈夫だったんですが……


 その点を見れば理想的だろうに、何故かアコは酷く渋い顔をして言う。


◆アコ:お仕事の内容が余りにも辛くて、辛くて……

◆ルシアン:そんなに辛かったのか? 一体何をさせられてたんだ?

◆アコ:それが……お刺身の上に、たんぽぽを乗せる仕事で……

◆ルシアン:……は?


 刺身の上にたんぽぽ……ですと?

◆アコ:だからですね、刺身の上にたんぽぽの造花を乗せる仕事です

◆ルシアン:実在したのか……


 っていうかそれ、たんぽぽじゃなくて菊だよね?

 にしても、都市伝説だと思ってたよ、その仕事。

 やるの機械でよくね? なんで人間がやるの?

 ……いや、そうか。わざわざ造花を置く機能をつけたり、機械を買うぐらいなら、人間にやらせた方が安上がりなのか。


◆ルシアン:で、でもさ、どの辺が辛いんだそれ? 楽じゃね?

◆アコ:辛いですよ! 辛くないわけないじゃないですか!


 アコはばんばんと机を叩く動作で必死に何かを伝えてくる。


◆アコ:ベルトコンベアーを流れてくる刺身の上に、ただひたすらたんぽぽを置いていくんです

◆アコ:最初は無心でやればいいかなーなんて考えるんですけど、集中してやらないと置くのを忘れて怒られるので、結局一個ずつ数えながらやるんですよ

◆アコ:刺身がひとつ、刺身がふたつ、刺身がみっつ、って数えながら延々とたんぽぽを置いてると、段々お刺身のパックがスリッパ先生に見えてくるんです

◆アコ:そしたらまるで画面の向こうで自分を操作して作業をさせてるんじゃないかって気がして

◆アコ:たんぽぽ入れの中にたんぽぽが何個あるかをインベントリから確認しようとしたり

◆アコ:一個置くごとにクエストが進んでるんじゃないかってクエストウインドウを開こうとしたり

◆アコ:最終的にはオプションを開いてログアウトしようとするんですけど表示が出なくて、これはまさかのデスゲームって一人で青くなってたりして!

◆ルシアン:わかった、辛かったのはわかったからとにかく落ち着け


 怒涛の連続チャットでログが凄いことになった。

 過去にアコがこんなに必死にチャットを打ったことがあっただろうか。

 そんなに辛かったのか、刺身に造花を置くバイト。


◆ルシアン:ネトゲプレイヤーは単純作業に慣れてるもんなんだけどなあ

◆アコ:ゲームで人力BOTをするのと、自分の体がBOTになるのって、やっぱり差があるんですよね……


 そ、そうなんだ。意外と違うんだね。


◆アコ:一日だけで良かったです。あと数日あったら私の心は機械と化していました

◆ルシアン:バイトって恐ろしいんだな


 アルバイトとは言え、あなどれない難しさだなあ。

 と、しゅわーんという効果音と共にキャラクターがログインした。


◆アプリコット:戻ったぞ。さあ、相場のチェックだ

◆ルシアン:おかえり

◆アコ:おかえりなさいー


 帰ってきた第二号、マスターだ。とりあえず相場チェックから入るんだな。


◆ルシアン:どうだった? 仕事大変だったか?

◆アプリコット:なかなかやりがいがあったぞ


 文字からは普通にしか見えないマスターからチャットが飛ぶ。


◆アプリコット:刺身に大根の千切り──要するにつまを乗せる仕事でな。大根の千切りをつまみ取り、流れてくる刺身のトレーにひたすら置くのだ

◆アコ:私のちょっと前の作業ですね!


 同じラインで頑張ってたらしい。

 やっぱそれも人力でやるのね。


◆ルシアン:っつうかそれ、やりがいってあんの?

◆アプリコット:言葉では簡単そうに聞こえるが、そうでもないぞ?

◆アプリコット:つまの量は一つ2グラムとしっかり決まっているのだが、最初はどうやっても1.5グラムから2.5グラム程度にブレてしまう

◆アプリコット:それが幾度も刺身のトレーにつまを置き続けると、徐々にスキルが上がってきて、見ずともしっかり2グラム置けるようになるのだ

◆アプリコット:リアルでぐんぐんスキルが上がっていくのがわかるのだ、これは当然面白いだろう?

◆ルシアン:は、はあ


 指先で2グラムが量れるようになったのか。

 勿論凄いと思うけど、日常で役に立つスキルかというと微妙な気が。

 つま計量スキルレベル10とか……意味ないよね。


◆アコ:ルシアンも同じようなところで働いてたんですよね? どうでしたか?

◆ルシアン:聞くか……それを聞いてしまうか……


 俺の仕事内容がどうだったか、尋ねてしまったか、アコ……。


◆アプリコット:そんなにも辛かったのか?

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