だが、今はそれらの装備を用いるときではない。
何故ならば、異端と異教は違うからだ。異端とは、旧派と同じTsirhc教譜でありながら、
……Tsirhc教譜の教えを歪めて伝える、もはや更生出来ない者のこと……!
対する異教は、Tsirhc教譜ではない別の教譜であるが、それゆえに、
……真の教えを知れば、更生出来るかもしれない者達。
オリオトライは、武蔵の住人で、名前は洋風だが目が青い以外は外見も生活様式も武蔵の人間だ。教譜としては神道なので異教に当たる。だから、
「神道奏者は審問官として殴るに能わず! ゆえに拙僧、今回は私的に打撃を差し上げる!」
「無理だわそれー」
と、言葉が来た。その台詞に、
……無理!?
自分は疑問を思った。何しろ現在、オリオトライは長剣を振り抜きつつある。だが右手一本、片手打ちの一撃は既にこちらの下を通り過ぎて行こうとしているのだ。
彼女の攻撃はこちらに当たらない。その直後にこちらが舞い降りて届くよう、背の翼を用いて微調整を施したからだ。
対するオリオトライには、剣を止める動きはとれない。一撃から後方への跳躍を一連の流れとしているため、他の動きを行えばバランスを崩してしまうせいだ。
だから、こちらにはもうオリオトライの攻撃は当たらない。
だが、当たった。
「──!?」
下を、オリオトライを見ていたこちらは、前に伸びた竜の顔面に一撃を受け、
「っ!」
空中の姿勢制御を失って吹っ飛んだ。
●
「────」
何故、ウルキアガが吹っ飛んだか、点蔵の目は原因を見ていた。
鞘だ。オリオトライが、右手一本で長剣を振り抜きながら、鞘の留め金を外していたのだ。
刃をレールのように滑っていった鞘は、長剣のリーチを伸ばしたのと同じ効果を持ち、
「ぐ……!」
という声と共に、ウルキアガが後ろに消えた。
そして点蔵は見る。オリオトライが、その口に鞘のベルトを嚙んでいるのを。
ベルトが首の回しで引かれた。
鞘が戻る。
そうやって戻った鞘付きの長剣は、今度はこちらを穿つ軌道を持っていた。
こちらの武器は、腰の後ろに携えた一本の短刀。買うときに刃の分厚さを優先としたために範鋼ブランドの製品となったが、グリップは白砂ブランドの木製柄を使用している。その方が手になじみがよく、木の素地を黒染めしたグリップはマット加工で夜闇の中で反射がない。
己にとっては大事な一品。それを引き抜く。構えは右の逆手引き抜きから振り上げつつ、左手も添えて順手に。だがオリオトライに突っ込むことはせず、
「ノリキ殿!」
声と共に、自分は短刀を頭上に渡すように構えて腰を落とした。
前進力を無理矢理消すために姿勢を低くすれば、頭上に対する防御の構えになる。
オリオトライの剣を受け、耐えるつもりだ。耐えている間に、
「──早く!」
気配が来た。後ろ、己の背後から飛び出してくる気配だ。
●
オリオトライは見る。点蔵の背後から、いきなり一人の少年が飛び出してきたのを。
点蔵の後ろにいれば、見えているはずの人影だった。それが見えていなかったのは、
……忍術ね!
忍術とは忍専門の体術で、音を消した移動や視覚の制御など隠密活動用に特化している。その中には要人警護用として要人の気配を外から断つものもある。
点蔵が使用したのはそれだ。そして点蔵の陰から飛び出した蓬髪の少年、制服をラフに着込んだ彼の名を、自分は叫んだ。
「ノリキが本命!?」
「解っているなら言わなくていい」
少年、ノリキは一瞬で距離を詰めてきた。
同時に、こちらの長剣が鞘で点蔵の短刀を叩いた。
手に伝わる感触は剣が泥に沈むような温いもの。点蔵が瞬間的に身を沈めてショックを吸収しているためだ。それゆえ、剣は跳ね返ることなく、すぐにはこちらの手元へ戻ろうとしない。
長剣は大事な武器だ。これがなければ、品川先端まで幾つか面倒なことになるだろう。その程度には実力のある生徒達だ。
手放せない。
だが、それだからこそ、ノリキの接近を許すことになる。突っ込んでくるノリキは、いつものようにやや据えた目で無表情。何を考えているのか解らないところもある子だが、チームワークを理解しているなら充分だろう。
そしてノリキの武器は拳だ。
右脇が引かれていて、握られた拳の掌側が上を向いている。やや左肩が前に出ているのはそれを戻す反動で右拳をまっすぐ突くつもりだからだ。ノリキの攻撃タイミングは、こちらがこれから右足を踏む瞬間だろう。剣を打ち下ろし、それを即座に引くためにストッパーとしての右足を打ち下ろす。その瞬間をノリキは狙っている。
走る軌道から行って、攻撃は伏せるようにしゃがみ込んだ点蔵の背を越えるもの。こちらが振り下ろした長剣の上を来る攻撃だ。
だからオリオトライは動いた。迎撃のために。
●
点蔵は、防御に構えた腕に掛かる負荷が、いきなり消えたことに気づいた。
……何?
見れば、腕の負担、上からの長剣の重量が消えた原因は、簡単なものだった。
オリオトライが長剣の柄から手を離していたのだ。己の唯一の武器だというのに。
え、と思わず心の中で声を上げた瞬間。長剣の柄がこちらの眼前へと旋回して落ちてきた。
柄尻が下に落ちれば、刃先は上を向く。
こちらの防御した位置を支点として、刃先が点蔵の背後を斜めに指した。
後ろから来るノリキを、だ。
彼にとっては、おそらく胸を下から突き刺す角度になっている筈だ。
……しまった……!
「──く」
背後、ノリキが息をのむ音が聞こえた。
ノリキの拳の発射される音が聞こえる。だがそれは予定よりも早いもので、オリオトライを穿つためのものではない。
金属音が響いた。ノリキが防御として殴ったオリオトライの長剣が、こちらの眼前から向こうへと回転しながら吹っ飛んでいく。
そしてこちらの眼前に、オリオトライの足が落ちた。
……やられたで御座る……!
今、オリオトライは重い長剣を持っていない。後ろに大跳躍するならば、身軽に行うことが出来る。
更には、オリオトライの長剣は、ノリキに殴られたことによって吹っ飛んでいる。それも、オリオトライがこれから跳躍する、彼女の背後方向へと。
今、腰を落とした自分は、もはやオリオトライに追いつけるものではない。
ここでリタイアだ。
無念の二文字を感じ、己は叫んだ。
「浅間殿──!!」
●
点蔵の声より早く、後続集団は既に動いていた。
それは、ノリキがオリオトライに突っ込んでいったときだ。ノリキの陰になるようにして、一人の少女が動いていた。長身の黒髪、左目に緑の義眼を入れた〝浅間・智〟という名札の少女が、身を低く走らせながら、背から引き抜いた弓を掲げたのだ。
白砂ブランドの紋章が入った弓〝片梅〟は三つ折り状態から一瞬で展開。弦を自動でチューニング。だがそこで終わりにならず、彼女達の集団の中からネシンバラの声が飛んだ。
「ペルソナ君! 足場になって!」
指示に答えたのは、集団の一番後にいた大男だった。上半身裸、首から上をフルフェイスの西洋ヘルメットに包んだ男は、既に左肩に目を伏せた少女を一人乗せていた。
だが彼は右腕を振って速度を上げ、
「──!」
弓を構えた浅間に並び、その右腕を彼女へと伸ばした。
同じタイミングで、浅間はペルソナ君に頷き一つ。彼の腕に脚をかけるなり、身を翻して肩に飛び移る。向かい側左肩に座る目を伏せた少女に笑みを送り、
「ええと、鈴さん、こっち座ります」
言って腰を落として足場は確保。少女、浅間は口を開く、緑の瞳を細くして、
「地脈接続──!」
●
浅間の視界の中、先行するノリキがオリオトライへと拳を振りかぶった。
……いける?
解らない。何しろオリオトライが生徒の攻撃を食らったことなど、浅間の記憶の中では一度もない。自分達にとっては一年時からの担任だが、少なくとも体育会系の授業でオリオトライが生徒に後れを取ったなど、先輩からだって一度も聞いたことがない。