出来れば、と自分は思う。出来れば、卒業するまで、末世の噂が真実にならなければいいと。卒業したら神社のネットワークを辿って怪異の調査をしようと、そう思ってもいるのだ。
そして今、自分は己の未来に繫がる力を放った。
行く先を見つめ、心の中で拳を握って気合いを入れた瞬間、自分はそれを見た。
こちらの放った矢の光が、オリオトライの長剣の陰で炸裂したのを。
音が響き、光が爆ぜた。応じるように周囲の皆が、
「……やった!」
と声を挙げる中、だが己は、ただ一人目を見開き、こう叫んでいた。
「違います!! 手応えが軽すぎます! ──当たってません!!」
吠えるように自分は言った。矢を放った手指を振り、空を切るその感触を確かめながら、
「──アイスが!!」
●
何故? という疑問が浅間の中にある。
当たる加護を掛けた術式だ。妖物の内でも、苦労する相手を倒すためのものだというのに。
……何故!? 神道パワーは超蛮族パワーに負けますか!?
と、そんな浅間の内心の叫びに応じるように、オリオトライが動いた。
彼女は、掲げた長剣を肩に担ぎ直したのだ。
そうやって見える顔は、無傷の一語だ。わずかな笑みを浮かべた口元も、頰も、傷一つ無い。
次の瞬間には、彼女は通り向こうの屋根、事務区画を構成する企業長屋の屋根上に身を送る。
そしてオリオトライが、身を後ろに反らせるようにしてワンステップして加速した。走る動きには淀みなく、こちらの一撃が何かの効果を及ぼした風にも見えない。
……どうして?
こっちの問いかけと同時。オリオトライに置いて行かれるようになった皆は、戸惑いつつも企業区画の屋根の上へと跳躍した。
そのときだ。背後から追いついてくるネシンバラが、宙から何かを摘み、声を上げた。
「髪だ!」
走りながらの彼らの注視を受け、ネシンバラが眉を立てた。そして、
「さっき先生は首元に長剣を持っていったけど、そこで髪をわずかに切ったんだ。その動きで長剣を前に突きだして矢の軌道を迂回軌道に限定させ、軌道上に己の身体の一部である髪を切り散らす。結果、──髪のチャフに捲かれた矢は先生に当たったと判断して術の力を失った」
説明に、自分は皆と一緒に声を飲んだ。
そしてネシンバラが、前を見た。加速していくオリオトライに視線を向ける。
「でも二年の時は髪切らせることも出来なかったよ。──浅間君、内燃総拝気量は?」
「あ、年度開けで三十六になりました。だからさっきのと同じのを後九発いけますけど」
うーん、と内心で己は唸った。
符などに流体を仕込める媒体術式と違い、神音借りなどの口頭術式は、基本的に奉納か、拝気という単位の流体燃料を消費して起動する。
拝気は内燃拝気と外燃拝気に分かれ、内燃は瞑想などで自分の内側に溜め込むものだが、外燃は神社や教会で献身活動を行い、その教譜の共有流体槽に貯蓄し、必要とあらば引き落として使用するものだ。
拝気を一単位溜めるのには、数時間を要する。また、それを外燃拝気として教譜の共有流体槽に納めれば、その拝気を他者も使用出来るため、拝気の金銭取引も可能だ。
ゆえに内燃拝気を使用して術式を行うことは、拝気の蓄積に数時間掛けた苦労と、外燃拝気による金銭取引機会を失うことを意味する。
そして自分は先ほど、神道の代演奉納を行った。神道の在り方を体現し、神の喜ぶことを供物として奉納することで、拝気の代わりにするのである。
但し、己は既に奉納を四つも提示した。追加で奉納を増やせば、日常が息苦しくなる。だから今、次の術式からは己に溜めた内燃拝気の消費をしようかと考えているのだが、
……神社の仕事があるかもしれませんし──。
だけど、とも思う。そんな甘い考えではいけないのだろう、と。
自分は一度頭を振って、決断した。
「行きましょう!」
その言葉に、皆も頷いた。オリオトライを追って企業区画を抜け、前部甲板に飛び降り、甲板の向こう、品川へと宙を渡る太縄へと身を躍らせながら、
「追うぞ!」
●
皆は、先行するオリオトライを追って品川へと至る太縄の空中回廊を突っ走った。
太縄は軟質の水道管や送油管などを連動したもので、太さは一メートルほど。上部側に幅三メートルの重力床が設定されているため、太縄の上には見えない道が存在している。
縄の真下側を下部設定とした重力回廊の上を走るのには慣れがいる。道が見えないし、太縄の傾きと外界の水平が一定するとは限らないからだ。
だが、皆は行く。回廊の幅を示すために付随された白紐を揺らしつつ走るか、
「マルゴット! 行くわよ!」
「はいはいガっちゃん急ぐと危ないよー」
声と共に先行するのは、有翼の少女二人だ。黒の六枚翼を持ったナルゼと、金の六枚翼を持ったナイトはお互いの手を繫ぎ、
「────」
二人は同時に、太縄から落下する軌道で身を投げた。
落下する。
だが、数十メートルの降下の途中で、黒と金の花が咲いた。二人の翼が展開したのだ。落下による動きで翼を広げ、中に空気を溜め、二人は一度、両手のハイタッチを行い、
「行くわよ、……遠隔魔術師の白と黒、堕天と墜天のアンサンブル!」
そのまま抱き合うなり、飛翔した。
背の翼は、圧縮した大気を、打ち下ろす動きで背後へとぶちまける。
結果として生まれるのは鳥の羽ばたきよりも強烈な、空中跳躍とも言える飛び方だ。一発で三十メートルを上昇し、更には二人分の六枚翼でそれを連続することにより、
「加速……!」
二人は、一瞬で太縄の高度を抜け、オリオトライの直上へと回った。身をスイングするように翼を振り、風を鳴らして空中の制動を掛ける。
そして二人の有翼者は、身を回しながら、両手に得物を表示した。
金翼のナイトは五十センチほどの大きさの、スピードメーター型の黒い魔術陣を。
黒翼のナルゼは、A4サイズのトンボ枠型の白い魔術陣を。
二人の展開した術式陣に対し、眼下を走るオリオトライが、へえ、と声を上げた。
「術式主体の連中が追いついたわけ? それで皆の術式展開の時間稼ぎに、ナルゼとナイトが出てきたわけだ」
「そういうこと。授業中だから黒嬢も白嬢も使わないでおいたげる」
白のトンボ枠の中、ナルゼは指で光の矢印を描く。そしてその上に財布から出した銀貨を載せていく間に、眼下ではシロジロ達が皆に合流し、それぞれの術式強化を行い始めた。
「商人の神との上位契約を持つシロジロがようやく追いついてきたわね」
ナルゼが呟き、ナイトが魔術陣のスピードメーターに財布から出した銅貨を載せていく。
「シロなら他の人達が持ってる符や術を、商人神の術式介入で〝分割商売〟出来るもんね。効果や発動時間も分割されるから、最後のスパートでしか使えないけど、今からなら──」
と、ナイトがそこまで言った瞬間だ。二人の背後を、不意に大きな影が通り過ぎた。
「……!?」
二人だけではなく、眼下の皆までが空を、こちらを振り仰ぐ。
すると青の広がりに、幾つかの巨大な影があった。
長銃を手にした有翼の巨人。十字型四枚翼と、白の鉄肌に赤の装甲服をまとって飛翔するのは、
「──聖連、三征西班牙の航空用重武神ね。騒いでるから警告に来たってこと!?」
武神。有翼の巨人の全高は十メートルほど。その巨体が右舷側の空に三機飛んでいる。
武神の一機は、こちらに接近してから遠ざかっていく軌道をとっている。先ほど、飛翔したこちらの背後に飛び込み、去ったのはその機体だ。