「それではいってらっしゃいませ!」


 クエストカウンターに立つアリナは、書き込まれたクエスト受注書を確認し、百点満点の笑顔で冒険者を送り出した。カウンターの向こうに受注を待つ冒険者の列はない。おかげで事務処理を後回しにすることなく、その場で手早く済ませる余裕もある。

 ベルフラ地下遺跡が攻略された、その翌日。嵐のように押し寄せていた冒険者たちはうそのようにいなくなり、すっかり落ち着きを取り戻したイフール・カウンターを、アリナは見渡した。

 高い天井に施された天窓からは陽光が差し込み、広いロビーを照らし出す。壁一面を使った巨大なクエストボードの前には冒険者たちが集まり、あるいは真剣にクエストを選び、あるいは盛んに情報交換をしている。先人の技術を元に開発された最新のクエストボードは、絶えず自動的にクエストが更新され、いつでも最新情報が確認できる優れものだ。

 アリナの望んだ風景がそこにあった。

 がしかし、アリナは受注を待つ冒険者がいないと確認するや、窓口に「離席中」の札を立て、そそくさと奥に引っ込む。


「また……やってしまった……」


 休憩用の椅子に腰をおろしたアリナは、あまりの己の愚かさに両手で顔を覆った。


「あぁぁぁまたやっちゃったあぁぁぁぁ……」


 力ない声が口から漏れる。のそりと顔を上げると、その視線はつかんだ一枚の紙へと向いた。ギルドが発行した捜索依頼書だ。

 この依頼書は今朝早くから大都市イフールにある全受付所に配られ、とある冒険者を探してほしいという依頼がイフール中に出回っていた。対象者は小柄な冒険者で、がいとうに身を包み、顔と性別は不明。武器は巨大な銀の大鎚ウオーハンマー。名前は──〝処刑人〟。


「私は……馬鹿か……」


 アリナはがくりと再びうなだれた。

 ベルフラ地下遺跡攻略後、確かにクエスト受注数は減った。おそらく数日中にはたまっていた仕事も片付いて、定時で帰れるようになるのだろう──しかし。その代償とばかり、「ヘルフレイムドラゴンをソロ討伐した〝処刑人〟」が冒険者の中でまたたうわさとなり、そればかりかギルドが《白銀の剣》の攻撃役アタツカーに任命しようと探し始めたのである。

 今回の長すぎる残業地獄に耐えかね、完全に我を忘れた結果がこれだった。


「……」


 アリナはポケットの中に隠し持っていた金色のライセンスカードをちらりとなぞる。

 受付嬢であるアリナがなぜこんなものを持っているのか──答えは一つだ。残業の原因となるボスをぶっ飛ばしてダンジョンを攻略し、力尽くで残業を解消するためである。

 この一級ライセンスカードがなければ高難易度ダンジョンのクエスト受注はもちろん、ソロでのボス討伐が許されないので、偽名でつくったのだ。


(……まあ決定的なとこは見られてないはず……だって一応顔隠してたし。大丈夫大丈夫)


 言い聞かせつつも、アリナはその捜索依頼書に重いため息をぶつける。

 すでに《白銀の剣》には暴刃のガンズという前衛役トツプアタツカーがいるのだが、にもかかわらず同じポジションである大鎚ウオーハンマー使いを血眼になって探しているのは、理由がある。


「──〝暴刃のガンズ〟、引退かぁ」


 ふと二人の若い冒険者の会話が聞こえてきた。彼らは受付所の片隅で新聞を広げ、しみじみと紙面をのぞき込んでいる。


「治癒不能の負傷により引退……よっぽどひどい戦いだったんだろうな。こういうの聞くと、俺はいつまでちゃんと冒険者でいられるのかと不安になるよ……」

「そうか? 俺はこのチャンスに《白銀の剣》、目指しちゃおうかな!」

「やめとけやめとけ、あそこはシグルススキル持ちの化け物ばっかりなんだぜ」

「でも夢があるだろ。大都市イフールの一等地に住めて、馬鹿みたいに金稼げて、ジェイドさんみたいに女の子にモテまくって……」

「そもそも二級以上のライセンスがなきゃ門前払いじゃん。お前はまずそのぺらっぺらの四級ライセンスをどうにかしてからだな──」

「はいはい、説教はいいから……それよりこいつだよこいつ! 〝処刑人〟!」


 若い冒険者の言葉に、ぎく、とアリナは一瞬身を強ばらせた。

 冒険者は顔を輝かせて紙面を指さすや、うっとりと〝処刑人〟に思いをせる。


「《白銀の剣》ですら手こずるボスを一撃だぜ? かっけーよなー。何者なんだろうなぁ」

「処刑人って、うわさじゃ今までも何度か聞いてたけど、まさか本当にいるとは思わなかったよ」

「でも《白銀の剣》のジェイドさんが言うんだぜ、間違いないよ」

「ま、ギルドも探索班と情報班の総出で処刑人を探してるみたいだし、すぐ見つけるだろ」

「あー、はやく見つけてくんねーかなー! どんな奴なのか見てみたいんだよな──」


 アリナは苦々しくため息をついて、それ以上盗み聞きするのをやめた。

《白銀の剣》だと? とんでもない。こちとら、バレるわけにはいかないのだ。

 アリナは拳を握り締め、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 そう、バレるわけにはいかない──なぜなら、

 受付嬢はいついかなる時も迅速かつ最善の状態でクエスト受注業務に当たらなければならない。冒険者を兼業するなんてもってのほかで、ライセンスカードを偽名で作りボスを討伐していたなどとバレたら、一発クビは間違いない。

 残業が発生すると一定期間は地獄と化すとはいえ、職と給与が約束された受付嬢の魅力は果てしない。いや、逆を言えば、定時で帰れる時期ならばほとんど天国と言っていい。手厚い福利、安定した稼ぎ、立てやすい未来設計。

 それをして冒険者なんてどうだ。武具はすぐに壊れて金がかさむし、冒険者に〝定時〟の概念はなく、昼夜問わず魔物を追いかけ回す。どんな大をしようと治療は実費。足でももげようものならもう冒険者としてはやっていけず、離職はまぬがれないだろう。稼ぎは不安定で、いつ路頭に迷うかもわからない恐怖がまとう。


(なにより……受付嬢は……死ぬまで仕事に困らない唯一の〝終身雇用職〟……!)


 たとえ冒険者という不安定な職を避けたとしても、この社会は冷たく不条理だ。経営が立ちゆかなくなって解散、成績不振でクビ、雇用主が給料未払いのまま夜逃げ、なんてこともあり得る世界である。自分の明日を保証してくれる職などそうそうない。

 それをして受付嬢は公務。受付嬢の仕事は絶対になくならないし、成績が悪くてもクビにならないし、任命権者である冒険者ギルドはこの町を造る根幹。夜逃げするなどありえない。

 明日の生活を保証してくれ、一生給料を払い続けてくれる職業──それが受付嬢なのである。


(そうよ……だから私は受付嬢になった……!)


 終身雇用と言える職は、全職業を見渡しても受付嬢くらいなものである。

 それに、残業がつらいのはきっと今だけだ。そのうち後輩がたくさん増えて、アリナが担当している煩わしい業務を任せていけば残業に振り回されるようなこともなくなる。その日まで耐え抜けば、あとは一生涯の安定とともに理想の受付嬢ライフを送れるのだ。


(こんなくだらないことで……受付嬢人生を終わらせるわけにはいかない……!)


 ぐしゃ、と捜索依頼書を握り潰し、アリナはかたく決意した。

刊行シリーズ