イフール・カウンターに、一人の男が飛び込んできた。

 男は受付所に入ってくるなりまっすぐロビーをつっきって、足早に窓口を目指す。同時に、にぎやかだったロビーに静寂が広がっていった。男の存在に気づいた冒険者から、次々目を見開きぽかんと口を開けて、言葉をなくしていったのだ。


「……?」


 アリナがげんに首をひねった時、全ての注目を集めたその男が、ぬっと窓口に顔を出した。


「よ」


 かがみ込むようにして窓口に現れたのは、背の高い青年の冒険者だった。

 窓口も受付嬢も他にいくらでもあるのに、明らかにアリナを指定するその彼は、銀の髪に整った爽やかな顔立ちをしていた。背中に背負う大盾は、デイアの印が刻まれた遺物武器レリツクアルマで、腰に差した長剣や身につけている防具はどれも一級品。加えて屈強な頼もしい体つきが、彼を一流の盾役タンクであることを物語っている。

 ──いや、彼の顔を一目見て、その名前が浮かばない者はいないだろう。

シグルススキル三つ持ち〟を冒険者の中で初めて成した化け物でありながら、その整った顔で多くの女性の心をもわしづかみにし、ギルド最強の盾役タンクと言われる一級冒険者。

 よわい十九にして、ギルドの精鋭《白銀の剣》のリーダーを務める、ジェイド・スクレイドだ。


(げ……げえええええッッ)


 ジェイドと目が合った瞬間、アリナは、あまりに唐突に現れた存在に硬直し、とっさにいつもの「いらっしゃいませ」の挨拶も出てこなかった。

《白銀の剣》。つまり、一ヶ月前にアリナがヘルフレイムドラゴンをボコボコにした様を見ていた冒険者の一人。

 なんでこいつがここに来る? もう精鋭パーティーが受注するようなクエストはないはずだ。バレた? いやまさか。顔を隠していたし、受注は偽名だし、なんなら一級冒険者のライセンスカードだって偽名だ。受付嬢アリナ・クローバーに辿たどく痕跡などないはずだ──


「ジェイド様!」


 しかしそこで、混乱するアリナの前に救世主が現れた。ジェイドが窓口に現れた瞬間、別の窓口に立っていたはずの受付嬢がものすごい勢いでアリナを吹き飛ばし、強引にジェイドの前へ進み出たのだ。

 男なら誰もが振り向く美しい顔立ちに加え、制服のシャツの隙間から豊満な胸の谷間をチラ見せできる自慢のスタイル。イフール・カウンターでは一番人気を誇る受付嬢、スーリだ。

 同じ《白銀の剣》でもおっさんのガンズには見向きもしなかったスーリは、長いまつげをばさばささせて青い瞳をきらめかせながら、イケメン冒険者と名高いジェイドを見上げた。


「いかがいたしましたか。《白銀の剣》を率いるジェイド様ともあろう方が、自らこのような場所に出向くなど」


 スーリの前のめりの勢いに、ジェイドは一瞬ひるんだようだが、すぐに気を取り直してアリナを探し始める。


「ちょっと用があってさ。なあ、さっきそこにいた黒髪の──」

「クエスト受注でしたらこのスーリになんなりとお申し付けください」

「あー、いや、そうじゃなくて」


 ジェイドの視線はスーリを通り過ぎ、きょろきょろとカウンターの中を探る。


「あの、あそこの、受付嬢の人」

「……?」


 スーリが不機嫌に眉をひそめ、ジェイドの指をさした方を振り向いた。こっそりその場から逃げようとしていたアリナは、ぎくりとして慌てて背を向ける。


「……アリナ・クローバーはまだ受付嬢としてはいささか未熟でございます。白銀様のクエスト受注ともなれば私が──」

「クエスト受注じゃないんだ。そのアリナって受付嬢と二人で話がしたくて」

「……アリナと……二人で……ですか?」

「ああ」

「……。承知いたしました」


 仕方なく、スーリがアリナを呼び、諦めて持ち場に戻った。途中、ものすごい剣幕でにらみつけられたような気がするがおそらく気のせいだろう。


「……」


 最悪だ。アリナは苦々しく表情をゆがめながらも、窓口に立った。


「……いかがいたしましたか」


 死ぬほど話したくない相手だったが、相手はギルドの精鋭《白銀の剣》のリーダーだ。ギルド内の地位としては幹部と同列にあるといっていい。失礼のないように笑顔を取り繕いながら、アリナはうつむきがちにたずねた。


「一つ聞きたいことがあるんだ」

「クエスト受注でしたら、なんなりとお申し付けください」

「一ヶ月前、地下遺跡ですげえ強い大鎚ウオーハンマー使いを見てさ」

うわさ大鎚ウオーハンマー使いですね」

「実はあれからずっと探してるんだ。──心当たり、あるだろ?」

「申し訳ございませんが、私にはそのような冒険者には心当たりがございません。よろしければ他の受付嬢にも聞いてきましょう」


 そう言ってうまくその場から逃げようとしたアリナの足は、しかし続くジェイドの言葉に、ぴたりと止まることとなる。


「俺さ、目とか鼻とかよくてさ。暗い場所でも結構見えるんだ」


 は、とアリナは息を吞んだ。


「だから顔もしっかり見えたんだ、アリナ・クローバーさん。大鎚ウオーハンマーを振り回していたのは確かに、黒髪にきれいなすい色の目をした女の子だった」


 ついにアリナは言葉を失った。

 黒髪にすい色の瞳。母親譲りのその特徴は、確かにこのイフール・カウンターにおいてアリナしか持ち合わせていない。


「……。そうですか」


 かろうじて答え、ゆっくりとジェイドに向き直る。アリナに向いた彼のまっすぐな瞳を、アリナも真っ向から見つめ返した。しばし静寂が窓口を支配し、二人の視線が強くからう。

 ジェイドは、もう確信しているようだった。──この目の前の少女こそが処刑人だと。


(……やっっっっっっっっばあああああああああああ………………!!!)


 アリナは静かな表情の裏で冷や汗を滝のように流していた。一瞬視界がぐらつき地に吸い込まれそうなめまいが襲う。

 うそだよ、冗談だよ、と瞬間脳内では誰に向けるわけでもない言い訳大会が始まる。だってフードで顔隠してたもん、ダンジョンの中けっこう暗かったもん、見えるわけないもん──

 しかし何を言っても後の祭りだ。後悔しても遅かった。

 理由がどうであれ受付嬢は副業禁止だ。無論、冒険者を兼業するなどもってのほか。


(お……っ、終わる……私の……っ! 受付嬢人生が、終わる……ッッ!!!)


 ごくりと生唾を飲み込んだアリナの脳裏に、走馬灯のようにこれまでの人生がかけめぐった。短い間だったけど私の人生にささやかな安定と安心をもたらしてくれた。思い返すと残業ばっかりしてあんまりいい思い出はない気がしないでもないけどまあ常に死と離職との隣り合わせな冒険者なんかになるより数百倍マシだったと言える──


(……いや)


 諦め、光を失いかけていたアリナの瞳に、にわかに炎が燃え上がった。

 まだだ。ようやく手に入れた安定と安心のポジション。こんなところで諦めてなるものか。


「いやぁ、冒険者のどこ探しても見つからないわけだよ」


 アリナが長い葛藤をしている間、ジェイドはアリナとは対照的に、無邪気な子供のように頰を紅潮させ、とてもうれしそうに笑った。


「まさか受付嬢だなんて思わないよな──あ、そういえばこれ、渡そうと思ったんだ! 戦利品として受け取ってくれ」


 どうやらこの男は、己の言動により目の前の受付嬢に人生最大の危機をもたらしていることを自覚していないらしい。鈍色の瞳をきらきら輝かせながら、ジェイドはレツドオーブをカウンターに置いた。デイアの印を閉じ込めたレリツクは、ヘルフレイムドラゴンの腹の中にでもあったものだろうか。アリナはそのレツドオーブいちべつするが、今はそんな赤い玉のことなどどうでもよい。


「……白銀さま」


 アリナは細く長く、息を吐いた。むりやり心を落ち着かせ、ゆっくりと口を開いた。


「私はいま受注業務中でございます。からかいならお引き取りください」

「え? いやからかいじゃなくて本当に──」

「白銀さま」


 おもむろに、アリナはその、カウンターに置かれたレツドオーブを手に取った。


レリツクは、先人の知識と技術の結晶。基本どのレリツクも、その耐久力と強度は現状のどの物質にも勝ると言われています」

「? ああ。そうだな、だからレリツクの武器って強いわけで──」

「ふん!」


 めきゃ、と小さく音がして、アリナが握り締めると、到底人力ではひびも入りそうにないレツドオーブが、無残に砕け散った。その破片が、ジェイドの足下にころりと転がる。


「………………………………………………」


 それまでうれしそうに笑っていたジェイドの笑顔が、一転して凍りついた。


「れ…………れれれれれりっくをにぎりつぶし……!?」


 ギルド最強の盾役タンクとして、遺物武器レリツクアルマの大盾を使いこれまで多くの魔物の攻撃をしのいできた彼だからこそ、よくわかるのだろう。

 レリツクを片手で握り潰すなどという所業が、いかに人間離れした力によるものか。

 微妙にかたかた震えながら顔面をそうはくにしていくジェイドに、アリナはにこりといつも通りの接客用笑顔を向ける。周りにはギリギリ聞こえない小さな声で、小首をかしげて言った。


「私は受付嬢として平穏に暮らしたいだけなの」

「……え…………あ…………はい……」

「それを邪魔するなら許さない。精鋭だかなんだか知らないけど、あのクソドラゴンみたいに腹をぶち開けられたくなかったら消えなさい。そして二度と私の前に現れるな」

「……………………………………」


 先ほどまでの接客用の高い声から一転、地獄の底からひねり出したような低く冷たいアリナの脅しに、ジェイドはもはや二の句も継げず、立ち尽くした。

 彼はしばらくそうして壊れた人形のように口を開けたり閉じたりしながら、足下に転がるレリツク欠片かけらと、アリナの全く笑っていない笑顔とを交互に見る。


「わかった?」

「…………………………………………」

「わ、か、っ、た?」

「…………………………………………はい」


 しかしアリナの笑顔の裏にすさまじい殺気を感じとったようで、ジェイドはますます顔面を白くさせると、やがて小さな声でそうつぶやき、すごすごと窓口を去って行ったのだった。

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