夕暮れに染まる大都市イフールの町並みを眺めながら、アリナは胸いっぱいに夕時の空気を吸い込んだ。


(ああ、定時に帰れるってすばらしい……!)


 まだ陽が沈む前に帰れる幸せをみしめながら、足取りも軽く自宅を目指す──

 はずだったがしかし、そんなささやかなアリナの幸せは、歩き始めてわずか数歩で、もろくも崩れ去ったのである。


「よ」


 魔法灯が照らしはじめた通りの道脇に、ジェイド・スクレイドが懲りもせず、アリナを待ち構えていたのだ。


「………………」


 アリナは顔をひきつらせた。周囲の目はもちろん、白銀のリーダーでありギルド最強盾役タンクとして名をせるジェイドにちらちら向いており、その男が話しかけた相手として、アリナにも好奇の視線が刺さり始める。


(何してくれてんだこの男ォ……!)


 自分が有名人であることを一切自覚していないようであるジェイドのあまりに不用意な行動に、思わずアリナは拳をふるわせながらも、なんとか笑顔を取り繕った。


「いかがいたしましたか、白銀さま」


 アリナはまだ受付嬢の制服を着ている身だ。ギルドでいっぱしの地位を持つ男を相手に、うかつな態度をとるわけにいかなかった。いつも通りの営業スマイルを向けると、ジェイドはなぜか少しおびえたように冷や汗を垂らし、それでもむりやりくちを吊り上げた。


「悪いな仕事終わりに。どうしても話したいことがあってさ」

「クエスト受注の件ですね。申し訳ございませんがイフール・カウンターの本日の受付時間は終了しております。では」


 表情こそ笑顔だが、その声には一切の感情がなく、業務的な返事を一方的に言い放ってアリナはくるりと背を向けた。


「ちょ、ちょっと待てっ」


 しかし慌てたジェイドがとっさにアリナの腕をつかんで止めた。アリナは反射で腕を振り払おうとしたが、しかし腕がピクリとも動かない。


「……! これは……スキル?」


 ジェイドの握力だけによるものではない。まるで何かに固定されているかのように、肘から先が動かないのだ。アリナはすばやくジェイドを観察した。アリナの腕をつかむジェイドの手が、赤い光をぼんやりとまとっている──シグルススキルの光だ。


「……ちょっと」


 ついに強引な手段に訴えたジェイドを責め立てるようにアリナはにらみつけた。その視線を真正面から受け止めたジェイドは、ばつが悪そうに顔をしかめる。


「悪いとは思ってるよ……でもこうでもしないと全然相手にしてくれなさそうだしさ……」

「言外に相手にしたくないと言っているのですが」

「……。俺のスキルの一つ〈鉄壁の守護者シグルス・ウオール〉は触れた物体を硬化させることができる。人体には無効だが、衣服を硬化させて拘束するくらいはできるぞ」


 ぼそぼそ小さい声で、言い訳がましく聞いてもいない説明をしてくるジェイドをまっすぐ見据え、アリナはそれまでの笑顔を引っ込めてすっと目を細めた。


「ふーん、そういうことするんだ」


 にわかに不穏な空気がアリナから立ち上る。その視線にただならぬ殺気でも感じたか、ジェイドは慌てて小声でまくしたてた。


「は、白銀のリーダーとして来てるんだっ。話は聞いてもらうぞ、〝処刑人〟……!」


 ジェイドの目をにらみつけながら、アリナは数秒押し黙った。

 今ここでアリナもスキルを発動させて対抗し、強引に突破するという手もある。しかし周囲からの視線がある以上、処刑人の特徴である大鎚ウオーハンマーを出現させるわけにいかなかった。


「……」


 結局アリナはため息をついて顔をしかめ、仕方なく路地を指さした。


「わかりました。せめて場所を変えましょう」

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