二時間の経験値稼ぎで基礎ステータスが上がったのか、あるいはさっきの戦闘で開眼したアバター操縦法のおかげか、ユウマは三人に遅れることなく──それどころか時々引き離しそうになりながら、ダンジョンまでの約五キロメートルを走り切った。
草原を突っ切り、森に入ったところで運良くNPCの行商人と遭遇したので、狩りで稼いだお金をほぼ全て使って装備を更新した。サワとナギはデザインをじっくり吟味しようとしたが、男二人が散々急かしたのでタイムロスは最低限に収めることができた。
午後二時二十五分──社会科見学という名目のテストプレイが終了する午後三時の、三十五分前。
ユウマたちのパーティーは、最終目的地である森の中の古城に到着した。
苔むした古城はあちこち崩れ落ちていて半ば廃墟の様相だが、テストプレイヤー全員に配布されたガイドブックによれば城の一階にダンジョンの入り口があり、地下には三層構造の迷宮が広がっているらしい。
古城の前でいったん立ち止まったユウマたちを、同じテストプレイヤーであろう老若男女のアバターが次々に追い越していく。恐らく、マップのあちこちに散らばっていた七百人以上のプレイヤーが、続々と集合しつつあるのだろう。
「……あのさー、あたし思ったんだけど」
魔法の杖を指先で器用に回転させながら、サワが言った。
「須鴨たちとの勝負以前に、他の誰かがとっくにボス倒しちゃってるんじゃないの……?」
「あれ~、サワちゃんらしくないね~」
いつものふんわり口調で、ナギがサワの勘違いを指摘する。
「ガイドブックに、このテストプレイに限って、ボス部屋はインスタンスだって書いてあったよ~」
「い、インスタントぉ? お湯をかけたら三分でできるのか?」
ゲーム好きではあるがMMORPGには疎いコンケンのとんちんかんなコメントに、サワがわざとらしくため息をついた。
「ハァー、あんた小学生からやり直したほうがいいよ」
「しょ、小学生だし……」
「インスタンスっていうのは、自分一人か自分のパーティーだけで攻略するマップのこと。今回の場合だと、ダンジョンを突破して、ボス部屋の入り口を通ると専用のマップにテレポートするのよ」
自分の勘違いを棚に上げたサワの解説に、コンケンが素直に頷く。
「へー、じゃあつまり、ボスモンスターもパーティーの数だけ用意されてるってことか」
「そうだよ~」
と、今度はナギが答える。
「ボスを倒すと、ボス戦のクリアタイムが記録されて、上位のプレイヤーは本サービスで何か特典が貰えるんだって~」
「ま、マジで! こんなとこで突っ立ってる場合じゃねーじゃん!」
喚いたコンケンが、片手を伸ばしてユウマの短いマントをぐいぐい引っ張った。
「ユウ、オレたちも早く行こうぜ! 何ぼーっとしてんだよ!」
「別にぼーっとしてるわけじゃないよ」
コンケンの手からマントの裾を引き抜くと、ユウマは左手に持っていた小型のガイドブックをぱたんと閉じた。
「絶対に失敗したくないから、呪文を確認してたんだ」
「呪文……ああ、ペット召喚のか?」
コンケンの言葉を聞き付けたサワとナギが、瞬時に距離を詰めてくる。
「えっ、ウサ公を召喚するの?」
「お~、ユウくん、早く~」
「はいはい」
ガイドブックを腰のポーチにしまい、三人から数歩距離を取る。左手で、右胸に装備された専用のホルダーから紫色のカードを抜き出し、高く掲げる。
《アクチュアル・マジック》では、どんなに簡単な魔法でも、原則的に最低三つの呪文──属性詞、形態詞、そして発動詞を唱えなくてはならない。しかし幾つか例外もあり、魔物使いが捕獲したモンスターを召喚する時とカードに戻す時は、たった一つの呪文でこと足りる。
だからと言って、適当に唱えていいわけではない。ガイドブックには、召喚呪文を詠唱失敗すると、ごく低確率だがカードそのものが破壊されてしまうこともある……と恐ろしいことが書いてあった。あれだけ苦労して捕まえた青ウサギを、そんなケアレスミスで失ってしまっては泣くに泣けない。
仮想世界のアバターなのに、緊張で口の中が乾いてくるのを感じながら、ユウマは大きく息を吸い、叫んだ。
「アペルタ!」
発動詞がシステムに認識され、左手のカードから紫色の光が溢れる。複雑な魔法陣が立体的に展開し、カードが溶けるように消滅する。
魔法陣の中央がひときわ眩く輝き、そこから斜め下に向けて光線が放たれた。光線は地面に当たり、溜まるように膨れ上がって──ぽん! とコミカルな音とともに、モンスターが実体化した。
銀色の角と、淡い青色の毛皮を持つ、全長二十センチほどのウサギ。
「………………」
「………………」
ユウマと同時にしばし無言でウサギを眺めていたコンケンが、顔を上げて言った。
「…………なんか、ちっさくね?」
「…………うん、小さい」
これはあれだろうか? 敵が仲間になった途端に弱くなる現象……?
というご主人様の思考を気にする様子もなく、捕獲前の三分の一のサイズに縮んでしまった青ウサギは、つぶらな両目でユウマを見上げ、首を傾けてひと声鳴いた。
「むきゅ?」
途端、女子二人が息を合わせて──。
「かっ……かっわうぃぃぃぃ────!!」
きらきら系エフェクトが飛び散りそうな歓声を上げると、青ウサギに飛びついた。一瞬早くサワが地面からすくい上げ、胸にぎゅっと抱き締める。出遅れたナギは羨ましそうな顔で手を伸ばし、ウサギの頭を高速なでなでする。
かつては馬上槍の穂先の如き鋭さだった角も、先端がころんと丸まっていて、ユウマは一瞬このモンスターを選んだ自分の判断を疑いそうになった。しかし、純粋な戦闘力に期待して、ホーンド・グレートヘアーを捕まえたわけではない。最初の街でNPCから聞いた話によれば、このウサギには唯一無二の特殊能力があるはずなのだ。
相変わらずきゃあきゃあ言っている女子二人のあいだに手を突っ込むと、ユウマは青ウサギの長い耳を摑んでサワの胸から引っこ抜いた。
「ちょっとお兄ちゃん、そんな持ち方したら可哀想でしょ!」
「あのなあ、こいつは愛玩用のペットじゃないんだぞ」
言い返し、ウサギの顔を覗き込む。
「まだレベル1だけど、やれるよな、お前」
「むきゅっ」
「よし、よく言った」
頷くと、ユウマはウサギを地面に下ろした。
魔物使いは、捕獲した使い魔を音声命令によって使役できる。ユウマはまだレベル7なので使えるコマンドは五種類しかないが、レベルアップしていけばかなり複雑な指示も出せるようになる──らしい。
どうあれ、いまはややこしいことをさせる必要はない。青ウサギに最初の命令を出すべく息を吸い込んだユウマだが、しかしそこでしばし呼吸を止めざるを得なかった。
なぜなら、使い魔に命令するためには、最初に名前を呼ばなければならないのだ。しかも、ホーンド・グレートヘアー等の種族名ではなく、その個体専用の名前。名付けるのはもちろん、マスターである魔物使い自身だ。
フリーズしたユウマを見て、サワがにんまりと笑みを浮かべた。
「あー、ユウ、まだその子の名前決めてないんでしょ」
「うぐ……」
サワの隣で、ナギもにっこり微笑む。