「ユウくん、ペットの名前つけるの得意だもんね~。きっと、ドンの時みたいに可愛い名前をつけてくれるよね~」
「うぐぐ……」
確かに、隣の茶野家で飼われているセントバーナードを《ドン》と名付けたのはユウマだ。しかし正確には、ナギの父親がつけた《ドナルド》というしゃれた名前を幼稚園児のユウマが発音できず、ドン、ドンと呼んでいたらいつの間にかそれが定着してしまった、というだけの話である。
実際にはネーミングというものが大の苦手で、RPGをプレイする時も本名の《ユウマ》をそのまま使うことが多い。使い魔の名前などおいそれと思いつけるはずもなく、つぶらな瞳の青ウサギを見下ろしながら、どうしたものかと苦慮していると。
「おい、もう時間ねえぞユウ!」
コンケンが、子供のように足踏みしながら叫んだ。確かに時刻はいつの間にか二時半を回り、テストプレイが終了するまであと三十分弱。ボス戦のタイムアタックに十分を見込むと、二十分以内にダンジョンを突破しなくてはならない。
「む、むむむむ……」
唸るユウマを見上げて、ウサギがひと声鳴いた。
「むきゅ?」
「よ、よし……お前は《ムク》だ!」
勢いに任せて叫んだ途端、女子二人が「えー? ムクぅー?」「なんだか犬っぽいね~」と不服そうな声を出したが、無視してメニューを出し、魔物使い専用の《ペット》タブに移動。表示されている捕獲済みモンスターは当然ホーンド・グレートヘアー一匹だけなので、空白の名前欄をタップし、カタカナで《ムク》と入力。いまのところ変更は不可能なので、この名前を呼び続けるしかない。
幸い、青ウサギ自身は犬っぽい名前を気に入ったらしく、「むっきゅきゅー!」と元気よく鳴きながらその場でぴょんぴょん跳ねた。小さくなってしまったことには不満もあるが、その様子はなかなかに可愛らしい。
改めて息を吸い込むと、ユウマは最初の使い魔に最初の音声命令を与えた。
「ムク! 僕を追跡!」
もっと自然に「ついてこい!」と命令したいところだが、追跡命令には「対象」「追跡」の二語が必要だ。幸い命令は正しく認識され、ムクは「むっきゅー!」と叫ぶとユウマの足許をぴょんぴょん一周した。
相変わらず羨ましそうなサワとナギ、気が急いて仕方ない様子のコンケンの顔を順に見ると、ユウマは言った。
「それじゃ、ダンジョンに突入しよう」
他のプレイヤーたちの姿が一瞬途切れたタイミングで、四人は古城の門をくぐった。
枯れた生け垣や干上がった噴水が並ぶ、荒涼とした前庭を抜けて城館の中に入ると、広大なホールの真ん中に下り階段が黒々と口を開けていた。闇の奥からは、冷たく湿った風に乗って、モンスターの唸り声のようなものが響いてくる。
「うおお……マジモンのダンジョンじゃん……」
階段の下を覗き込んだコンケンが少し掠れた声を出すと、隣でナギがくすっと笑った。
「あ~、コンケンくん、もしかして怖いの~?」
「こっ、ここ怖くねーし! 雪小のダンジョンマスターとはオレのことだし!」
「じゃあ、さっさと行こうぜ。あと二十五分だ」
低学年の頃から一緒に遊んできたユウマは、コンケンが本当は暗くて狭い場所が苦手なことを知っているが、容赦なく背中を押して階段に踏み込ませた。
コンケン、ユウマ、ナギ、サワの順で、摩耗した石段を足早に、しかし慎重に下りていく。クレストのアイレンズが作り出す映像の、現実と見まがうばかりのクオリティにはいいかげん慣れたと思っていたが、硬い石をブーツで踏む感触や、壁に刺さった松明が発する仄かな熱のリアルさには改めて驚愕せずにはいられない。テストプレイを開始して二時間半も経つのに、これは本当にカリキュラス・カプセルが発生させた疑似感覚なのだろうか、と疑いたくなってしまう。
実はカリキュラスは次元移動装置か何かで、僕らは本物の異世界に転移させられてしまったのでは……などという思考を弄びながら足を動かし続けていると、ようやく行く手に平らな床が見えた。
そこは、縦横二十メートル以上もありそうな広い部屋だった。ダンジョンのスタート地点だけあって意外と明るく、ユウマたちの他にも三組のパーティーが壁際で休憩したり、アイテムを整理したりしている。時間的に、彼らはもうボス部屋への到達を断念してしまったようだが、こちらはそうはいかない。なんと言っても、最高ランクの給食デザートであるチョコプリンが四つも懸かっているのだ。
「……ねえユウ、ほんとにあと十分ちょいで地下三階のボス部屋まで行けるの? あたしたち、マップも持ってないんだよ」
ゲーム開始時のチュートリアルでは、寄り道をせずにメインクエストをクリアしていけば、ダンジョンの地図を入手できるという話だった。しかしユウマはゲーマーとして、お仕着せのルートを進むことを良しとせず、三時間の大半を経験値稼ぎとお金稼ぎ、そして青ウサギ改めムクの捕獲に費やしたのだ。
三人の仲間は、ユウマの提案にひと言も異を唱えず乗ってくれた。彼らの信頼を裏切るわけにはいかない。
四角い広間の、正面と左右の壁にはアーチ型の出入り口が一つずつ設けられている。どこが次の階に続いているのか、地図なしでは解るはずもない。しかし──。
足許で黒い鼻先をひくひくさせている使い魔を見下ろし、ユウマは新たな命令を与えた。
「ムク! ダンジョンの終点まで先導!」
「むきゅーん!」
甲高く叫んだ青ウサギは、その場で二度ぴょんぴょん跳ねると、右の出入り口めがけて走り始めた。
「あっちだ!」
ムクを追いかけるユウマに、コンケンたちも続く。
アーチをくぐると、その先にはいかにもダンジョンらしい石敷きの通路が延びていた。少し先に四つ角があり、まっすぐ進んだ先では他のパーティーがスライムっぽいモンスターと戦っている。
しかしムクは角を左に曲がると、迷いのないダッシュでさらに奥を目指した。その足取りは、迷宮の構造が解っているとしか思えない──いや、実際に解っているのだ。これが、捕獲困難モンスターたるホーンド・グレートヘアーが持つ特殊能力、《隧道探索》。ダンジョンなどの地下通路で、《始点先導》《終点先導》《アイテム捜索》《モンスター捜索》《モンスター回避》の五つの特殊命令を与えることができる。終点先導を命令すれば、最短距離でボス部屋に案内してくれるというわけだ。
残念ながら《終点先導》と《モンスター回避》は同時に命令できないので、道中に出現するMobとは戦わなくてはならない。しかし終了時間が迫ったダンジョンには多くのプレイヤーが潜っていて、再湧出間隔を上回るペースでMobが狩られまくっているので、ユウマたちはほとんど戦闘することなく地下一階、地下二階を突破できた。
長い階段を駆け下り、地下三階に到達した四人は、眼前に現れた光景を見るやほっと安堵の息を吐いた。
巨大迷路だった一階、二階に対して、三階はやたらと長い通路が延びているだけだったのだ。目を凝らすと、突き当たりに巨大な扉が見える。そこを目指してすたこら走っていこうとする青ウサギに、
「ムク、止まれ!」
と命令してその場に停止させる。