つぶらな瞳で見上げてくるムクを抱き上げると、「ありがとな、また頼むよ」とねぎらってからユウマは新たな呪文を唱えた。
「クラウザ!」
ムクの全身を、召喚した時と同じ立体魔法陣が包み込む。紫色の光の中で、ムクはみるみる小さくなり、ぽん! と音を立てて消えた。輝く煙の中から現れたカードを、ユウマは左手の指先で挟み、右胸のホルダーに収納した。
つい「また頼む」と声を掛けてしまったが、ムクとはこれでお別れになる。テストプレイで上昇したステータスや入手したアイテムは、正式サービスでは全てリセットされるとオリエンテーションで明言されていたからだ。一時間にも満たない付き合いだったが、自分でも意外なほどの寂しさを感じながら、ユウマはカードホルダーをそっと撫でた。
時刻は午後二時四十八分。二分でこの通路を走り抜ければ、予定どおりテスト終了の十分前にボス部屋に辿り着ける計算だ。
サワ、ナギ、コンケンとアイコンタクトし、頷き合うと、再び走り始める。
五百メートルはありそうな通路の各所では、先行していたパーティーが大型のモンスターと戦っている。これ幸いと横をすり抜け、ボス部屋を目指す。
豆粒のようだった突き当たりの扉が少しずつ大きくなり、表面を飾るドラゴンのレリーフが四人の松明の光を受けてぎらりと光った、その時──。
「オラァ、待てや近堂ォ!!」
という怒鳴り声が後方から追いついてきて、四人は走りながら振り向いた。追いかけてくる、同じく四人パーティーの先頭に立つプレイヤーを見た途端、
「うげっ、須鴨!」
とコンケンが小声で毒づく。
ユウマも、内心でうへぇと思わざるを得なかった。
雪花小六年一組に学級内階層というものがあるならば、須鴨光輝はかなり上位に立つ生徒だ。まあまあ背が高く、そこそこ顔も良く、サッカークラブの主将で勉強もできて、クラス委員で親が社長。これで性格も良ければ完璧人間だが、本格的な目立ちたがり屋の仕切りたがり屋で、あらゆる局面でリーダーにならないと気が済まず、我が道を行くユウマやコンケンとは絶望的に相性が悪い。
ゆえにユウマたちは極力関わらないようにしているのだが、須鴨は自分より少しばかり背が高いコンケンが目障りなのか、何かと絡んでくるのだ。
「近堂、ボス部屋にはオレらが先に入るからな!」
仲間を置き去りにするほどの猛ダッシュでコンケンに並んだ須鴨が、銀色のプレートメイルをがしゃがしゃ言わせながら叫んだ。コンケンの鎧よりも三割がた重いであろうそれを着込んで全力疾走する技術と根性は見上げたものだが、台詞はまったくもって頂けない。
「あのなあガモ、ボス部屋は別空間なんだから、順番なんかどうでもいいだろ」
コンケンに代わってユウマがそう指摘すると、須鴨は初めて存在に気付いたような視線を向けてきた。
「おい芦原オトコ、その呼び方やめろって四年の時に言ったよな」
ドスの利いた声に、追いついてきた須鴨の仲間の一人が同調する。
「そーよ芦原、ヘンなあだ名じゃなくて、ちゃんとキャラネームで《ルキウス》って呼びなさいよね!」
振り向かずとも、きんきん響く声の主が、学級内階層女子の部の上位ランカー、三園愛莉亜であることはすぐに解った。いわゆるギャル系で、別に須鴨と付き合っているわけではないのだろうが、教室ではよく二人で聞こえよがしにファッションやら音楽の話をしている。
「はいはい、解ったよミソ」
ユウマがそう答えた途端、
「オラァ! その呼び方やめろっつったろォ!」
とギャルからヤンキーに豹変した愛莉亜が叫んだ。
のぞみ市は、十年ほど前に山中湖を望む富士山東麓に築かれた官民連携のスマートシティだ。しかし少子化の波には抗えず、雪花小学校も五年前に一学年が一クラスだけとなり、来年には近くの小学校と統合されて廃校になることが決まっている。アルテアのオープニング・イベントに招待されたのは、そういう理由もあるらしい。
つまりユウマは、サワ、ナギ、コンケンはもちろん須鴨や愛莉亜とも一年生の時からずっと同じクラスだ。二人も昔は《ガモ》《ミソ》のあだ名を当然のように受け入れていたのになあ……と思いながら、もういちど頷く。
「はいはい、三園さん」
「コラ芦原、《リア》なら呼んでいいって前から言ってんだろが!」
「いやいやそんな、恐れ多いです三園さん」
この二人をルキウスやリアと呼ぶくらいなら、苗字呼びのほうが十倍マシだ、と首を縮めていると──。
左側でサワとナギが微妙なトーンのため息をつき、さらに愛莉亜の後方で、誰かがくすくすと笑った。
「っ……!」
かすかな笑い声だけ、しかもシステムが再現した合成音声だが、このトーンを聞き間違えるはずがない。コンケンと同時に振り向き、目を見開く。
少々露出度の高い魔術師の装束を着た愛莉亜の後ろで、僧侶の法衣を優美に翻して走るのは──一組の学級内階層とは別格の高みに存在する美少女、綿巻すみかに間違いない。
「わっ、綿巻さん……」とユウマが口走り、
「どうして須鴨のパーティーに!?」とコンケンが叫んだ。
後ろでサワとナギが微妙な不機嫌オーラを放出するが、それに構っている余裕はない。
いっぽう須鴨も、考えようによっては相当に失礼なことを言われたのだが、それに気付いた様子もなく高笑いした。
「ハーッハッハ、綿巻さんがオレのパーティーに入るのは当然だろうが! ろくにクエストもやってないお前ら遊び人パーティーとは格が違うんだよ、格が! 解ったらそこをどけ!」
がしゃん、と左肩をぶつけてコンケンを強引に押しのけ、須鴨が前に出る。背中にマウントされた高級そうな剣と盾が、松明の光を受けてぎらりと輝く。
口ぶりからすると、須鴨たちはメインクエストをきっちりこなしてきたのだろう。充実した装備は、クエストのクリア報酬に違いない。しかし、MMORPGでは装備のスペック以上に、プレイヤー本人の技術が重要となる。世界初のVRMMOともなればなおさら──。
張り合おうとするコンケンのベルトを摑んで引き下がらせると、ユウマは親友に囁いた。
「いいさ、先に行かせようぜ。どうせ中じゃ別々なんだ」
「んー、まあ、そうだな」
不承不承という感じでスピードダウンするコンケンの横を、「おっ先にぃー!」と愛莉亜が駆け抜けていき、「芦原くんたちも頑張ってね」と微笑みながらすみかも続く。その後ろには須鴨パーティーの四人目のメンバー、木佐貫櫂という男子がいたが、ユウマたちとは視線すら合わせようとしない。
木佐貫は須鴨の取り巻きの一人なのだが、小柄で大人しくて、あまり目立つ生徒ではない。裏では須鴨にいじめられているという噂もあるのだが、すみかと同時にパーティーメンバーに選ばれたところをみると、そんなこともないのだろう。灰色のフーデッドマントに革鎧という装備だけでは、何の職業を選んだのかは不明だ。
「チョコプリンの賭け、忘れんなよ近堂ォ!」
先頭をひた走る須鴨がそう叫び、背中の剣を抜いた。