前方では、接近するプレイヤーに反応したのか、竜の浮き彫りが施された扉が重々しい音を立てて左右に開いていく。その奥は完全なる暗闇で、まったく見通せない。
「……まったく、リアルネームをあんな大声で叫ぶとか、どうしようもないアホね」
距離が開くや、いままで我慢強く沈黙していたサワが小声で毒づいた。すかさずコンケンが振り向き、
「おいサワ、お前もさっき……」
と突っ込みかけるが、虫の居所が悪いサワに一睨みされ、すぐに前を向く。
先行するパーティーは、須鴨と愛莉亜の騒々しい叫び声とともに扉の向こうの暗闇に突入し、消えた。
二、三秒遅れて、ユウマたちも巨大な扉をくぐった。視界がブラックアウトしたのは一瞬で、すぐに上空から赤い光が降り注ぎ、四人をボスの部屋へと転送した。
ドラゴン型のボスモンスターは、見かけこそリアルだったが、予想していたほどの強敵ではなかった。
オープニング・イベントということで、難易度を下げていたのだろう。両手の鉤爪と尻尾による攻撃は戦士のコンケンが体を張って受け止め、火炎ブレスは魔術師のサワが《水の防壁》の呪文で軽減し、それでも少しずつ蓄積するダメージは僧侶のナギがきっちり回復する。
明確な役割がなかったのは魔物使いのユウマで、小剣でドラゴンの脇腹をつついてみたり、最下級の攻撃呪文を当ててみたりしたが、どれも大したダメージは与えられなかった。結局、ボスのHPの大部分はコンケンとサワが削り、戦闘開始から約四分後に、ドラゴンは巨体を赤いパーティクルに変えて四散させた。
雑魚Mob相手の戦闘とは違う、盛大なファンファーレとともにリザルト画面が表示され、全員のレベルが上がる。しかし、お金や装備、素材アイテムはドロップせず、代わりに銀色のカードが人数分、上空からゆっくりと落ちてきた。
手に取ると、コングラチュレーションズの文字と一緒に、四分三十三秒というクリアタイムが刻印されている。それを見た途端、コンケンがガッツポーズをしながら叫んだ。
「こりゃあ勝ったろ!」
もちろんドラゴンに、ではなく須鴨たちにという意味だ。ユウマも内心では七割がた勝利を確信していたが、ここはかぶりを振っておく。
「まだ解らないよ、ガモたちの装備、こっちより強そうだったからな」
「VRMMOは装備じゃねーよ、腕だよウデ!」
というコンケンの台詞に、律儀にサワが突っ込む。
「あんたもバリバリの初心者でしょ、まだ三時間しかプレイしてないんだから」
それを聞いたナギが、思案顔で呟いた。
「そういえば、もうすぐテストの終了時間だけど……このままここにいていいのかな? それとも、自力で街まで戻らなきゃいけないとか~?」
「いやいや、それはムリだろ……」
幼馴染に歩み寄り、ユウマは再び首を左右に動かした。
「ここから最初の街まで、全力ダッシュしても二十分以上かかるぞ。たぶん、待ってればいいんじゃないか?」
「ん~、それなら……」
内向きに緩くカールした髪を揺らし、ナギが首を傾げた。
「そういうふうにアナウンスが出てもいい気がするけどな~。……ていうか、そもそも……」
現実のナギとよく似た、少し垂れ気味な両目に、仄かに不安そうな光が宿る。
「この世界から出たいと思ったら、どうすればいいのかな……?」
「へ? オリエンテーション聞いてなかったのかよ」
すかさずコンケンが、にんまりしながら指摘した。
「カル……カルキュリ……」
「カリキュラス」
サワの助け船に、ごほんと咳払いをして続ける。
「カリキュラスの内側の、左下んとこにあるレバーを引っ張れば蓋が開くって言ってたろ?」
「あのねえコンケンくん、わたしが言ってるのはその前の段階だよ~」
呆れ顔でナギが言うと、コンケンはきょとんとした顔になる。
「へ? 前って……?」
「わたしたちはいま、自分の体を動かせないんだよ。だから、レバーを引く前にアクチュアル・マジックからログアウトして、BSISを無効化しないと……」
ナギが言ったBSISとは確か、カリキュラスが持つ《脳信号の中断および走査》機能の略称だ。脳から体に発せられる運動命令を回収してゲーム世界のアバターに中継し、同時に生身の体には伝わらないようにする。オリエンテーションで女性ガイドがたった一回だけ口にした言葉を覚えているのだから、ナギはユウマやコンケンよりよほどしっかりと説明を聞いていたらしい。
ともあれ、幼馴染の言うことはもっともだ。ユウマたちは、アニメや小説のように肉体ごと異世界に転移しているわけではない。あくまでカプセルの中に横たわり、クレストが作り出す音を耳で聞き、映像を目で見ているだけだ。それなのに自力でカプセルから出られないのは、BSISが実質的に肉体を麻痺させているからであって、まずはその機能を停止させないと、カプセルの非常脱出用レバーを操作できない。
「……そーいや、ログアウトについては何も言ってなかったね……」
眉をひそめたサワが、右手をピンチアウトしてメニューを出した。システムタブに遷移し、すぐにかぶりを振る。
「やっぱり、メニューにログアウト用のボタンはないよ。離脱ポイントみたいなものの説明もなかったし……これってつまり、自分の意思でカリキュラスから……アクチュアル・マジックから出る方法はない、ってことだよね」
テストの点数がいつも自分より少しだけ高い妹の言葉を聞いて、ユウマは少しばかり不安になった。その気持ちを打ち消そうと、平静を装って言う。
「まあ、僕たちは招待客だけどテストプレイヤーでもあるわけで、勝手にログアウトされたら困る事情があるんじゃないかな。どっちにせよ、もうすぐテストも終わるはずだしさ」
「そうそう、ナギは心配しすぎなんだよ」
コンケンが調子を合わせ、女子二人が「これだから男は……」的なため息をついた、その時だった。
突然、四人の足許から赤い光が噴き上がり、アバターを包み込んだ。視界が赤一色に染まり、床の硬さが消え失せる。
「うっ、うわっ……!」
コンケンが叫び、
「ゆ、ユウくん!」
「お兄ちゃん!」
ナギとサワも声を上げながら同時に手を伸ばした。
ユウマは本能的に二人の手を握ろうとしたが、光は赤から白に変わりながら急激に明るさを増し、妹と幼馴染の姿を搔き消した。
突然の浮遊感覚。落下しているのか、上昇しているのか解らない状況に思わず悲鳴を上げるが、自分の声すら聞こえない。
やがて白い光は上空に去り、下から闇が迫る。本能的に逃げようとしても、自分の体が視認できない。意識だけの存在になったユウマを、濃密な闇が吞み込む。
──コンケン!
──ナギ!
──サワ……!!
声にならない声で必死に三人の名前を呼ぶが、誰も答えない。ユウマの意識は、漆黒の虚無空間をどこまでも落下していく。
────誰か…………!!
ありったけの思念を振り絞ったその呼びかけに。
何者かが答えた気がした。
落ちていく先に目を向ける。
そして、ユウマは《それ》を見た。
ここで記憶は途切れている。