序 章 フェミニンデンジャラスブライト ③

 裸の少女、きぬはたさいあいはぼんやりとした瞳でたきつぼに世話されるがままだった。全身の血の巡りはまだ回復していないらしい。れた髪はもちろん、体の方までしつこくこびりつく生体電解質ジェルを拭うためバスタオルで全身ごしごしやられている最中も恥や抵抗とは無縁である。今は裸のまま両手をのろのろ上げてバンザイしていた。

 むぎしずは別のポッドを指差して、


「……解凍したばかりで色々あやふやな黒夜海鳥コイツは自分がキレて研究所をぶっ壊したと結論づける。今までを受けていれば、まあ思い当たる節なんていくらでもあるでしょうし。ならハイスコアはふくしゆうしやにあげよう、私達はどんなに殺したって安全に逃げ切れる」


(この中では)良い子のたきつぼがちょっと顔を曇らせるのをフレンダは横目で見つつ、


「結局そんなに都合良くいく? スペックによると、むぎの『原子崩しメルトダウナー』と窒素のやりって破壊の痕跡は一致しないはずなんだけど。分かる人には分かる訳よ」


 じゅわっ!! という灼熱の音が響いた。固体がそのまま蒸発する音だ。逃走寸前という段階にきて、むぎは意味もなく適当な床に超高温の『原子崩しメルトダウナー』のせんこうを放ったのだ。


「本当に完全に事件を隠蔽しちゃったら、もできなくなるでしょ。だから一般の連中にはバレない形で、でも『あん』の人間が見ればきちんと分かる程度のサインは残しておくの。こういうのを怠ると依頼人から報酬の支払いを渋られたり、知らない同業者から横取りされたりする。キレて暴れて金を取り返すのも面倒だろ」


 その言い分にフレンダは思わず肩から脱力した。

 犯罪者としてのレベルが全く違う。

 ゴゥンゴゥンと動き始めた機材を眺めてむぎは満足げに二回うなずいてから、小部屋の出口に向かう。さらに続けて二発、三発と『原子崩しメルトダウナー』を適当な壁や天井に解き放ちつつ、


「ほらー、みんなしっかり歩いてさっさと逃げるのよー。全員、一一〇ひやくとうばんで駆けつけるアンチスキルに見つからないように注意。きゃー目撃されたら全部殺すしかなくなるから気をつけてー」

「……結局、心配の仕方がそこらの悪党とは逆方向な訳よ」



 バン!! とアンチスキルかわあいが大部隊を率いて非公開研究施設の正面ゲートを破った。

 真っ黒な少女達が壁に大穴を空けてこっそり表に出た九〇秒後の出来事だった。


 蒸し暑い熱帯夜だった。

 東京西部に位置するがくえんは、夜になっても内陸特有のこもる熱気に包まれる。これで風力発電ベースのエコな街を名乗っているのだからヒートアイランドってすごい。

 工場見学サイトなどでひそかに話題になる独特できらびやかな夜景の中、第一七学区の無人工場街で待っていたのは、後部の窓を全部黒いスモークで塞いだ一二人乗りの細長いマイクロバスだった。この感じだとテレビのロケバスと言った方が分かりやすいかもしれないが。

 ただ後部ドアを開けてみれば、中はふかふかのじゆうたんとコの字に整えた本革のソファやガラステーブル、真空管アナログオーディオ、小型の冷蔵庫などが並べてあるのが分かるはずだ。

 外から見れば中古で三〇万もしないくたびれた車。だけど中は五〇〇〇万以上する高級リムジン。ソファやじゆうたんはもちろん最高級、隅にあるチャネルの小さなゴミ箱一つで馬鹿デカいゲーミングパソコンを丸ごと買える額はする。これが『あん』の少女達が使う移動の足だ。

 むぎは短くささやく。


「出して」

「うす」


 運転手は派手に染めた髪と太い金のネックレス、口の中にはガムまであった。『あん』には色んな人間が転がり落ちてくるが、四輪の扱いだけは路地裏の不良ルートで調達するのが一番だ。技術はあるのにマークもされていない。何より現場で失っても再調達が簡単だ。

 れっきとした車両逃走段階だが、あくまでも安全運転。三枚羽の風力発電プロペラがあちこちに立つ工場街で、ド派手な赤色灯を回すアンチスキルの特殊車両が集まる正面ゲートのすぐそばを時速四〇キロでしれっと通り過ぎる。汚いロケバスは現場をゆっくりと着実に離れていく。

 学区を越えて危険なエリアから出た瞬間、エンドルフィンがどばっと出るのは悪党あるあるだ。常設、巡回のドラム缶型警備ロボットくらいではもう彼らを捉える事などできない。


「いえーいっ!! まさしくパーフェクト、結局一〇〇点満点って訳よ!!」

「いえー」


 小型冷蔵庫から取り出した小瓶のサイダーをガツガツぶつけてフレンダとたきつぼがはしゃいでいた。こんなのでテキトーにつままれる五つ星のブルーチーズと生ハムが泣いている。あとこのラインナップになんかしれっと安物のサバ缶が混じっていた。

 もそもそという分厚い布の擦れる音があった。バスタオルのものだ。きぬはたさいあいがコールドスリープ解凍状態から頭が回ってきたらしい、つまり当たり前の恥と疑問を持ち始めている。

 隅っこで自分から小さくまとまり、ミノムシ少女きぬはたさいあいは探るような目を向ける。


「……超あなた達は?」

「ひとまず正義のヒーローじゃないね」


 くつくつと笑いながらむぎしずはそれだけ言った。

 たった一言だけで、まだ『あん』から抜け出していない、くらいはきぬはたも理解したはずだ。実験動物として研究施設の奥で飼育されていた少女には、戸籍も住所も学生証もない。今車の外に放り出されても、あるのは終わりのない困窮と路上生活だけだ。しかもハダカで。

 避けるためには、どんな理不尽があろうが暗黒の少女達にらいついていくしかない。

 これから様々な情報が洪水のように押し寄せてくる。その一つでも取りこぼせば明確な死が待っている。そういった予感くらいはひしひしと知覚できていなければ、むしろおかしい。

 その上で、だ。

 むぎしずは気軽に両手を広げてこう尋ねていた。



「そっちはどうよ? 自由の味は」



 車内の時計はちょうど七月一日の午前〇時を示していた。

 きぬはたさいあいもまた小さく笑う。

 何かしらこの瞬間、見えないルールが変わったと思えたから。

 善でも正義でもないけれど、だけど無菌の部屋で空気と食料と電気と薬品をもらうだけでは一〇〇年っても手に入らないであろうものが転がり込んできた事を知ったのだ。

 小柄な少女はゆっくりと目を細めて、


「……超悪くないです」



 彼女達は『』。

 がくえんの暗闇、その奥の奥でうごめく最強四人組の精鋭部隊である。

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