第一章 『五』人目の少女 3

 えうう……という涙目ボイスがあった。

 はなちようという。見た感じ一五歳くらいの女の子だった。長い黒髪を三つくらいの束に分けて先端の方だけ縛ってまとめた、まだまだ未成熟な少女。全体の雰囲気は猫というより犬に近かった。それもずぶれのチワワみたいに震えている。

 半袖のセーラー服だが、昼時のこんな時間にがくえんさいだいの繁華街である第一五学区を歩いていてもアンチスキルから呼び止められる事はない。

 タイミングが悪い少女、とははなちように対するみんなの評価。言っている事もやっている事も間違っていないんだけど、どうにも切り出すタイミングがいっそ奇跡と呼べるほどにズレている。だから彼女自身の善悪に関係なく周囲一帯からひんしゆくを買ってがっつり孤立する。

 きゃあっ、この人痴漢です☆

 ……からの、お前こそえんざいねらいの詐欺師だろうビ○チ呼ばわりされて人生のレールを踏み外すとか、逆にどれだけレアなのだろう自分?


「うえーん、公的身分が『電車通勤のサラリーマンの天敵』ってどんな称号なんですかあ?」


 知り合いもいないのに一人でブツブツ言ってしまうのは演劇部のサガか。

 ともあれ、どん底まで突き落とされても人生は続く。

 そんな訳で今日から楽しい楽しい『あん』ライフの始まりだ。電話で指示出ししてくれる人の説明では、とりあえずがくえんさいだいの繁華街である第一五学区の複合ビル・フィフティーンベルズの最上階まで行って『仲間』と合流して四人一組で動け、との事らしい。

 しかし実際にエレベーターへ入ると、最上階のボタンが反応しない。ずらりと並んだボタンの列に、目立たない形で掌紋をチェックする読み取り機がついている。


「ふむー」


 、あっさりロックを外し最上階に向かう。

 まともな能力が使えない彼女の専門はそっち系だ。

 エレベーターのドアが左右に開くと、待っているのは一枚のドアだけだった。指先で恐る恐るインターフォンのピンポン鳴らしても反応がない。時間厳守と言われていた。なので少女は顔を真上に上げてこうさいにんしようドアを一秒で開錠する。


「お、おじゃましまあーす……」


 使っている技術とは裏腹に、ドアの細い隙間から顔だけ入れて挨拶するはなちようの声色はあくまでも小動物系おどおど少女のものだ。ほっそりしているのにどこか遠くまで通るその声は、やっぱり演劇部由来の特徴かもしれないが。

 返事はないが、中に入る。


(ひゃー、たくさん洋服ブラシあるなあ。こんなに色んな種類のブラシが増殖しているって事はどれだけ服を抱えているんでしょう……。普通に羨ましいですう)


 彼女は玄関内側の壁にあるインターフォンの小さな画面に触れ、ホームセキュリティの状況を確認してみた。やっぱり人はいるようだ。ここ最近のAIエアコンと連動した見守り機能によると、ターゲットとなる人型の影が四つ、広いリビングに集まっているのが分かる。

 ひとまずそっちだ。


「あのう、『電話の声』から『アイテム』という組織と合流しろって言われてやってきたはなちようと申しますけどお……」


 ところで彼女は自己評価ができていないのか。


(あれ? でも人影は全部で四つ……?)


 言っている事もやっている事も間違っていないが、放つが悪い少女。

 なので通路側からリビングの扉のノブに触れた途端、こうなった。


 

「テメこらこっちがきちんと仕事してきたっつうのに報酬が振り込まれてねえとか一体何がどうなってんだァぶるオルああべるばろちゃぶるぶるがあああああああああああアアアアアアアアアアアアアばああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」


 

 ぺたん、とであった。

 はなちよう、大変わいらしくハの字座りで腰が抜けていた。目尻に涙が浮かぶのが自分で分かる。ていうかお股にこんしんの力を込めないとこのまんまぼうこうが決壊しそうだ。

 この現代の日本に魔王がいた。

 いいや、魔王みたいなオーラの女性が髪の毛を怒りで逆立て、小さな携帯電話に向けて得体のしれない怒号をてているのであった。

 と、同じリビングで立ったままぼーっとしていたピンクジャージに短パンの少女がこっちに気づいて視線を振ってきた。


「むぎの、誰かいるみたい」

「ぶるへばるぶらどるぅんどるぅんばばばばるべごべばどあ!!!??? ……あん?」


 デスメタルのシャウトが疑問で途切れた。

 結構わいらしいくびかしげであった。


「は、はなの。はなのちょうびれふ」


 ハの字座りでおしっこ我慢しながらぷるぷる震えているはなちようはそれだけ言った。


「誰あれ、きぬはたの知り合い?」

「超さあ?」


 そうこうしている間にも、魔王の耳元では携帯電話からこんな声がこぼれてくる。


『だーかーらー、報酬自体はきちんとそっちに送金しているってば。口座からお金を取り出せないのは、アンタの口座が意味不明な理由で固まっちゃってるからでしょ。みつくなら私じゃなくて銀行の間抜けなオペレーターにやってよね』


 あっ、聞き慣れた声ですう、とはなちようはちょっと顔を明るくした。

 いつもの『電話の声』だ。

 セクシーよりも恐怖が勝る正統派魔王は眉をひそめて、


「原因は?」

『私は両手で拝めばどんな質問でも答えるチュートリアルの女神サマじゃねっつの。支払いミスはそっちの受け取りの問題で、現実に私のお財布からお金は消えてる。だからいちいち二度目の送金なんかしないわよ。なに、警告なしの問答無用で凍結って事は情報面でヘマして銀行の犯罪口座アラートが表示されたとか?』

「そんなヘマする理由がない」

『じゃあ仕掛けてる誰かがいる。ハッカーだか告げ口屋だかは知らないけど「あんがらみで』


 魔王は携帯電話を手にしたままこっちをジロリと見据えて、


「それからうちのマンションに知らない顔がいるけど」

はなちよう。ほら、「アイテム」は三人しかいないからもうちょっと組織に厚みバリエを持たせたいって前にアンタ言ってたでしょ。感謝してよねー。その子なかなかの優良物件で、変装と潜入の専門家だから今までできない事ができるようになるわよ☆』


 うあー、と気まずい空気が漂った。

 三人しかいないと言っているのにか四人目がいる。きぬはた、と呼ばれていた。ここに涙目でぷるぷるしてるはなちようを入れたら五人組で戦隊モノになってしまう。

 、と(ぷるぷる以外の)全員の顔に書いてあった。


『使う使わないはそっちで決めて良いけど、クーリングオフは三〇日以内にね。それから死んだり手足が飛んだりした場合は返品に応じないわ。でもさっきも話した通り優良物件よ。「アイテム」が使わないなら普通によそへ回す。お試し期間でも丁重に扱いなさい』

「おい、人を雇える状況だと思ってんのか? こっちは口座止められて金を引き出せねえし、今のままじゃアジトのマンションも引き払う羽目になるのに!!」

『キャッシュレスの時代って言っても小銭くらいあるんでしょ。ないなら床にいつくばってベッドの下でも調べて。一円預ければ銀行で新規口座は開けるわ、どんな名義でも構わないから誰にもバレない形で早く作るのよ。ちなみに変装を扱うはなちようならそれができるけど? あと最後に基本の中の基本を。お金が欲しいなら自分で働きなさい』

「何か仕事が?」

『デカい話よ。例の口座凍結が人為的な妨害だとしたら、「アイテム」が攻撃された理由もこいつじゃない? ……つまり「連中」は私がこれから話す依頼のデータをどこかでつかんだ上で、邪魔してきた。アンタ達にビビった「連中」が、現場で戦う前に手を引かせようと考えて勇み足をやらかした。誰だって報酬受け取れないなら仕事してる場合じゃなくなるし』

「……、」

『お金とリベンジ、どっちもできるよー? 話聞く気はあるかしら』

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