第一章 入学式(セレモニー) ③

「……わたしのうちじゃ、そうじゃなかったもん。うちのトロールは……パトロは優しくて力持ちで、わたしに乱暴したことなんて一度もなかったもん。わたしが泣いていると、いっつも肩に乗せてくれて……うそじゃないもん。優しい生き物だもん、トロールは……」

「へぇ、そりゃすげぇ。トロールに子供の面倒見させるなんて聞いたことねぇぞ。よっぽどく調教したんだろうな、お前の親御さんは」


 感心の面持ちで少年がそう言ったのを聞いて、うわ、とオリバーは額を押さえた。──今のはまずい。本人に皮肉のつもりがないとしてもまずい。彼の予感通り、巻き毛の少女はきっと両目をつり上げた。


「調教って……! どうしてそんな考え方しか出来ないの!? そういうあんたみたいな人間がいるから、トロールのほうでも人間を怖がるんじゃない!」

「んだと!? お前こそ野生のトロールをめすぎだっての! 知らねぇだろ、あいつら畑を荒らした上にそこでウンコしてくんだぞ! 小山みたいにでっけぇやつ! 一度見に来いよ絶対印象変わるから!」


 売り言葉に買い言葉、そこからはもはや議論ではなく子供同士のくちげんそのものだった。ぎゃあぎゃあと言い争うふたりに周囲の新入生たちが何事かと視線をよこし、隣で読書を続けていた眼鏡の少年も、いよいよいらたしげに顔を上げる。


「……おい、何度も言わせるな。言い争うなら小さい声にしてくれと──」

「うるさいですわね、そこ! 何を騒いでいるんですの!」


 よく通る声が響き渡ったと思うと、新入生の群れをかき分けてひとりの女生徒が歩いてきた。背筋をピンと伸ばし、一分の隙もなく制服を着こなした風格のある少女。珈琲カフエで染めたような褐色の肌も珍しいが、特に目を引くのはその金髪──仕上げがかんぺき過ぎて金属めいた質感すら放つ、何房もの縦巻き髪ロールヘアだ。


「まだ入学式の前だからと甘えていますの!? 一度校門をくぐった以上、あたくしたちはもう名実共にキンバリーの生徒なんですのよ! 歴史ある魔道の名門の生徒として、今のうちから誰に恥じることない振る舞いを心掛けていただけませんこと!」


 口調に本人の雰囲気が相まって、とても同い年の相手に叱られているとは思えない。が、口論に熱中しているふたりにはその叱責も響かず、それどころか、会話に乱入してきた彼女をそろってにらみ返した。


「ちょうど良かった。おい、そこのあんた──」

「──あのトロールを見てどう思う!?」


 あまつさえ、びしりとトロールを指差して議論に巻き込む。これは予想外だったのか、縦巻き髪ロールヘアの少女も軽くたじろいだ。


「な、なんですの突然。あのトロール……というと、行進パレードの中を歩いているガスニー種のことですの?」


 戸惑いながらも示された方向に視線を向ける少女。その目がすっと細められ、にわかに眼光が鋭さを増す。


「まぁ、ここから見る限り、血統の優良な個体ですわね。あの体長に対してあの骨格、あの肉付き……これから三十年は衰えず荷役として活躍するはずです。さすがはキンバリーの使い魔。市場で売りに出されれば三百万ベルクは下らないと断言出来ますわ」


 予想とはまったく方向性の違う意見に、これまで言い争っていたふたりが目を丸くする。縦巻き髪ロールヘアの少女が彼らに向き直り、ああ、と納得いったように腕を組んだ。


「なるほど、トロールの評価について意見が分かれたんですのね? 確かにそこは魔法使いとしてきの真価が問われるところ。けれどあたくしの家名にかけて、あのトロールは混じり気のないガスニー種だと断言いたします。粗暴なクランド種や体格に劣るエルニー種の血は入っていませんわ。……少し気が立っているように見えるのが、気になると言えば気になりますけれど」


 トロールにちらりと目を向けるものの、すぐに視線を戻して、少女は誇らしげに語る。


「加えて言うなら、いトロールを選ぶためには、個体のき以前にブリーダーの氏素性を知っておく必要がありましてよ。適当な相手から買った気性の荒いトロールに少しずつ角が生えてきて、調べたらなんと鬼種オーガとの混血だった、なんて話もあるくらいでして──」

「…………」

「…………」


 言葉を差し挟む余地がどこにも見当たらず、口論していたふたりはすっかり沈黙してしまっていた。当然のたしなみとばかりにトロールの商品価値を語る相手の姿から、彼らは──特に巻き毛の少女は思い知ってしまったのだ。、と。


「──? どうしたんですの、いきなり黙り込んで。トロールのことが聞きたかったのではありませんの?」


 縦巻き髪ロールヘアの少女がきょとんと首をかしげ、三人の間に微妙な空気が流れ始める。見守っていたオリバーは少しあせった──せっかくの入学式だというのに、この流れは良くない。

 やや考えた末、彼は思い切って、目の前のいざこざに割って入った。


「こほん。──まぁ、なんだ、三人とも。議論を戦わせるのは学生らしいけど、今日はめでたい入学式の日だ。暗い顔やしかめっつらは、この場にそぐわないと思うんだよ」


 そう言いながらそっと腰のはくじようを抜く。友好の意思を示すために、三人に向かって精いっぱいの笑みを浮かべてみせ、


「だから──これでも見て、明るい気持ちに戻ってくれないか」


 緊張にいくらか声を硬くしながら、手元でひゅんとつえを振って、


ふさふさになあるコマルサール!」


 声も高らかに呪文を唱えた──その次の瞬間。彼の首筋から後頭部にかけて、巨大なたてがみがボフッとそろった。


「えっ!」「うぉっ!」


 驚きに目を見開くふたり。──よし、手応えあった! オリバーがそう思いかけたところに、巻き毛の少女がとてとてと走り寄る。


「すごい! これ、変身呪文の応用よね? もうここまで出来ちゃうんだ!」

「はー、よく器用にたてがみだけ生やすもんだな。おれも前に変身を試したことあるけど、顔の下半分だけ猫になっちまってなぁ。あの時は往生したぜ」


 めいめいに感想を述べながら、きようしんしんでオリバーのたてがみをいじくるふたり。予想とはだいぶ違った反応に、少年は曖昧な笑みを浮かべて尋ねる。


「……ええと。おもしろくは、ないだろうか?」

「え? ──んー、おもしろいというか」「感心してるぜ。器用なやつだなぁって」


 悪気なく正直な感想を言ってしまうふたり。オリバーががっくり肩を落とすと、今度はそこに縦巻き髪ロールヘアの少女が歩み寄ってきた。


「あなた、やりますわね。今の魔法芸、Mrミスター.ブリッジの『もさもさになあるラナルサール!』のアレンジでしょう?」

「──っ、知っているのか」

「ええ、あたくしも魔法コメディは好きですのよ。それに趣味が合いますわね。最初にあのネタを見た時といったら、あたくし小一時間ほどおなかを抱えてしまって」


 言いながら、ふふっと思い出し笑いをする少女。それを見てオリバーの心はますます沈んだ。──元ネタでは大いに笑ったはずの彼女が、自分のアレンジではくすりともしなかったのだ。


「…………すまない。今のは見なかったことにしてくれ」

「え、なんで!? すごかったって! 本当に感心したんだから!」


 励ましも耳に届かず、敗北感の余りオリバーはしゃがみ込んでしまう。練習を重ねて見事に生やしたフサフサのたてがみも、そうすると風に揺れてかなしげにたなびくばかりだった。


「お、おい、そう落ち込むなって。ほら、もう誰も言い争ってないだろ?」


 長身の少年が慌て気味にフォローしたところで、ようやくオリバーも気を取り直して立ち上がった。解除呪文を唱えて首筋のたてがみを消し去りつつ、再び縦巻き髪ロールヘアの少女に向き直る。


「とりあえず、そういうことになった。……さっきは騒いでしまってすまない」

「ええ。分かればいいのですわ、分かれば」


 優雅にほほんでうなずき、それで一件落着と見ると、少女はくるりと身をひるがえす。

刊行シリーズ

七つの魔剣が支配するXVの書影
七つの魔剣が支配するXIVの書影
七つの魔剣が支配するXIIIの書影
七つの魔剣が支配するXIIの書影
七つの魔剣が支配する Side of Fire 煉獄の記の書影
七つの魔剣が支配するXIの書影
七つの魔剣が支配するXの書影
七つの魔剣が支配するIXの書影
七つの魔剣が支配するVIIIの書影
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