第一章 入学式(セレモニー) ③
「……わたしのうちじゃ、そうじゃなかったもん。うちのトロールは……パトロは優しくて力持ちで、わたしに乱暴したことなんて一度もなかったもん。わたしが泣いていると、いっつも肩に乗せてくれて……
「へぇ、そりゃすげぇ。トロールに子供の面倒見させるなんて聞いたことねぇぞ。よっぽど
感心の面持ちで少年がそう言ったのを聞いて、うわ、とオリバーは額を押さえた。──今のはまずい。本人に皮肉のつもりがないとしてもまずい。彼の予感通り、巻き毛の少女はきっと両目をつり上げた。
「調教って……! どうしてそんな考え方しか出来ないの!? そういうあんたみたいな人間がいるから、トロールのほうでも人間を怖がるんじゃない!」
「んだと!? お前こそ野生のトロールを
売り言葉に買い言葉、そこからはもはや議論ではなく子供同士の
「……おい、何度も言わせるな。言い争うなら小さい声にしてくれと──」
「うるさいですわね、そこ! 何を騒いでいるんですの!」
よく通る声が響き渡ったと思うと、新入生の群れをかき分けてひとりの女生徒が歩いてきた。背筋をピンと伸ばし、一分の隙もなく制服を着こなした風格のある少女。
「まだ入学式の前だからと甘えていますの!? 一度校門をくぐった以上、あたくしたちはもう名実共にキンバリーの生徒なんですのよ! 歴史ある魔道の名門の生徒として、今のうちから誰に恥じることない振る舞いを心掛けていただけませんこと!」
口調に本人の雰囲気が相まって、とても同い年の相手に叱られているとは思えない。が、口論に熱中しているふたりにはその叱責も響かず、それどころか、会話に乱入してきた彼女を
「ちょうど良かった。おい、そこのあんた──」
「──あのトロールを見てどう思う!?」
あまつさえ、びしりとトロールを指差して議論に巻き込む。これは予想外だったのか、
「な、なんですの突然。あのトロール……というと、
戸惑いながらも示された方向に視線を向ける少女。その目がすっと細められ、にわかに眼光が鋭さを増す。
「まぁ、ここから見る限り、血統の優良な個体ですわね。あの体長に対してあの骨格、あの肉付き……これから三十年は衰えず荷役として活躍するはずです。さすがはキンバリーの使い魔。市場で売りに出されれば三百万ベルクは下らないと断言出来ますわ」
予想とはまったく方向性の違う意見に、これまで言い争っていたふたりが目を丸くする。
「なるほど、トロールの評価について意見が分かれたんですのね? 確かにそこは魔法使いとして
トロールにちらりと目を向けるものの、すぐに視線を戻して、少女は誇らしげに語る。
「加えて言うなら、
「…………」
「…………」
言葉を差し挟む余地がどこにも見当たらず、口論していたふたりはすっかり沈黙してしまっていた。当然の
「──? どうしたんですの、いきなり黙り込んで。トロールのことが聞きたかったのではありませんの?」
やや考えた末、彼は思い切って、目の前のいざこざに割って入った。
「こほん。──まぁ、なんだ、三人とも。議論を戦わせるのは学生らしいけど、今日はめでたい入学式の日だ。暗い顔やしかめっ
そう言いながらそっと腰の
「だから──これでも見て、明るい気持ちに戻ってくれないか」
緊張にいくらか声を硬くしながら、手元でひゅんと
「
声も高らかに呪文を唱えた──その次の瞬間。彼の首筋から後頭部にかけて、巨大なたてがみがボフッと
「えっ!」「うぉっ!」
驚きに目を見開くふたり。──よし、手応えあった! オリバーがそう思いかけたところに、巻き毛の少女がとてとてと走り寄る。
「すごい! これ、変身呪文の応用よね? もうここまで出来ちゃうんだ!」
「はー、よく器用にたてがみだけ生やすもんだな。おれも前に変身を試したことあるけど、顔の下半分だけ猫になっちまってなぁ。あの時は往生したぜ」
めいめいに感想を述べながら、
「……ええと。おもしろくは、ないだろうか?」
「え? ──んー、おもしろいというか」「感心してるぜ。器用な
悪気なく正直な感想を言ってしまうふたり。オリバーががっくり肩を落とすと、今度はそこに
「あなた、やりますわね。今の魔法芸、
「──っ、知っているのか」
「ええ、あたくしも魔法コメディは好きですのよ。それに趣味が合いますわね。最初にあのネタを見た時といったら、あたくし小一時間ほどお
言いながら、ふふっと思い出し笑いをする少女。それを見てオリバーの心はますます沈んだ。──元ネタでは大いに笑ったはずの彼女が、自分のアレンジではくすりともしなかったのだ。
「…………すまない。今のは見なかったことにしてくれ」
「え、なんで!? すごかったって! 本当に感心したんだから!」
励ましも耳に届かず、敗北感の余りオリバーはしゃがみ込んでしまう。練習を重ねて見事に生やしたフサフサのたてがみも、そうすると風に揺れて
「お、おい、そう落ち込むなって。ほら、もう誰も言い争ってないだろ?」
長身の少年が慌て気味にフォローしたところで、ようやくオリバーも気を取り直して立ち上がった。解除呪文を唱えて首筋のたてがみを消し去りつつ、再び
「とりあえず、そういうことになった。……さっきは騒いでしまってすまない」
「ええ。分かればいいのですわ、分かれば」
優雅に



