第一章 入学式(セレモニー) ④

「パレードも半ばを過ぎましたし、じきにあたくしたちの歩みも再開します。くれぐれも列を乱さず、全員無事に校舎まで辿たどいてくださいまし」


 言い残してさつそうと去っていく。その背中を見送りつつ、オリバーは列の先頭へ視線を向けた。


「列の前のほうが動き始めたな。彼女の言うとおり、パレードもそろそろ見納めみたいだ」

「え、もう終わり? ま、待って。もうちょっとだけ」


 なおも身を乗り出して、巻き毛の少女がパレードの一角を凝視する。長身の少年がその背中に声をかけた。


「名残惜しいのは分かるけど、行こうぜ。どうせキンバリーにいりゃ、似たようなもんはいくらでも見られる」

「それは分かるけど……あの子のことが気になるの! 言われてみたら、なんだか苦しそうに見えて……」


 トロールを見つめながら少女が言う。先ほど縦巻き髪ロールヘアの少女が「気が立っているように見える」と言ったのが、彼女には気になっているようだった。少年ふたりが肩をすくめる。まぁ動き出すまでにはまだ少し間があるしな──と思い、視線を彼女から外した、その瞬間。


 ──地を蹴り駆けるイアース



「──え?」


 びり、と巻き毛の少女の両脚に奇妙なしびれが走る。途端──本人の意思とは無関係に、彼女の体は列を外れて一直線に駆け出していた。


「おいッ!? 何やってんだお前!」

「君、止まれッ! それ以上パレードに近付くな!」


 一拍遅れて異変に気付いたふたりが声を張り上げる。しかし、巻き毛の少女の足は止まらない。その代わりに、かろうじて自由になる首をぶんぶんと左右に振る。


「わ、分かってるっ! 分かってるのにっ──足が勝手にっ──!」


 うわずった声でそう叫ぶ。異常事態を悟り、オリバーと長身の少年が同時に駆け出した。あつられる新入生たちを尻目に、彼らは全力疾走で少女の背中を追っていき──だが、その最中、視界に入ったパレードの光景にぎょっと目をく。


「……!? おい! あのトロール、こっちに向かって来てねぇか!?」


 泡を食った顔で長身の少年が叫ぶ。その指摘通り、さっきまで議論の対象だった亜人種の巨体が、大地を重々しく踏み鳴らしながら彼らのほうに迫って来ていた。ばかりか──さらにその背後からも。


「グゥゥゥゥゥッ!」「ゥゥゥゥゥワンッ!」


 パレードの列から飛び出した魔犬ワーグが二頭、トロールの背中を追って地を駆ける。──群れの秩序を維持しようとする本能が強い彼らは、こうした現場では普通人にとっての牧羊犬に相当する役割をになう。さかんにてるのは「すぐに群れへ戻れ」という警告だ。

 だが、亜人種の巨体は止まらない。魔犬ワーグたちの警告に耳を貸してすらいない。業を煮やした一頭が、実力行使とばかりに相手の足首へみついた。人間のくびなど一撃でへし折る力が上下の牙に込められ、


「──フゥッ!」


 続く一瞬。風を切って振り下ろされた巨大な握りこぶしが、魔犬ワーグの体をいびつな肉塊に変えた。


「なッ──!」「……!」


 地面とこぶしの間で原形を失った魔犬ワーグなきがら。ひしゃげた肉と飛び出した骨、それらの生々しい質感を目にして、長身の少年の顔がぐっと引きつる。その隣を走りながら──オリバーはふと、かつて学んだ知識を思い出していた。

 ある有名な問いがある。いわく、? 魔法使いの素朴な感覚としては竜種ドラゴン巨獣種ベヘモトを候補に挙げたくなるところだが──その認識は実態と大きく異なる。そうした高位の魔法生物は、そもそも人間と生息域がかぶらない。

 では正解は何かというと──多くの人々にとっては面白くないことに、これは極めて身近な名前で占められる。第一位が、ずば抜けた繁殖力で群れを形成する犬人コボルト。第三位が、悪知恵を働かせて人をわなめる小鬼ボギー。単体ならば取るに足らないこれらの生物によって、万を超える人間が毎年殺されている。犠牲になるのは多くが普通人だが、未熟な魔法使いが不覚を取ることも少なくない。

 そして、第二位。……凶暴性と繁殖力では前のふたつに大きく劣るものの、巨大なたいりよりよくと頑強さは他の追随を許さない。知能は人間の七歳児ほどだが、見過ごせないのはこと。同じサイズの獣はわなで狩れるが、彼らは時に自らわなを仕掛けることさえしてのける。


「ウォォォォォォ───!」


 つまりは、それがトロール。人のかたわらに息づく寡黙な隣人。大きな体に備えたりよりよくと使役に適した知能ゆえに、人間はその家畜化を試みて彼らの縄張りを侵す。

 巻き毛の少女の言う通り、トロールが好んで人を襲うわけではない。にもかかわらず毎年のように死者が積み重なるのは──その大半が、彼らを捕らえようとする過程で返り討ちに遭った人々だからだ。


「ギァ───ッ!」


 大きな手のひらにつかげられ、もがく間もなく握り潰される二頭目の魔犬ワーグ。耳にこびりつくようなその断末魔の叫びが、ふたりの少年に血なまぐさい現実をたたけた。


「……なぁ、あれ……」

「……ああ。もう正気じゃない……!」


 その事実を認めると同時に、オリバーは腰のさやからじようけんを抜き放った。先ほど用いたはくじようとは異なる、それはつえの役割を兼ね備えた短剣──現代の魔法使いの象徴とも言える利器。彼らがそれを抜く瞬間は、すなわち戦いの始まりを意味する。

 一方で──並んで駆けるふたりの視線の先。何らかの強制力によってパレードのほうへ走らされている巻き毛の少女は、この時まだ、自分の置かれた状況をまったく理解できずにいた。


「なにこれ、なにこれっ! 何がどうなって──あぅっ……!?」


 瞬間、まるで意思を受け付けなかった両足が突然ぴたりと止まり、駆ける勢いのまま少女は盛大に倒れ込んだ。受け身もろくに取れないまま地面をごろごろ転がって、頭から草地に突っ伏してようやく停止する。


「うっ……や、やっと止まっ──あ、つぅっ……!」


 ほっとしたのもつか、自由を取り戻したばかりの右足首に激痛が走る。転んだ時に関節をしたたかひねっていたのだ。痛みをこらえながら、彼女はようよう上体を起こし、


「───え──」


 すぐ間近に、を目にした。小山のようにそびえる緑がかった肉の壁。ぞうを宿して自分を見下ろす左右一対の血走った瞳。彼女が実家で慣れ親しんできたものとは一線を画する、敵意に満ちたトロールの巨体と息遣いを。


「……ぁ……ぅ、あ……」

「逃げろ、君! 早く走って逃げるんだッ!」


 じようけんの切っ先をトロールに向けながらオリバーが叫ぶ。だが当の少女は動けない。足の負傷以上に恐怖が体を射すくめていた。呼吸さえままならずに少女は硬直し──その眼前で、象のように太い亜人種の足が、彼女を踏み潰さんと無慈悲に持ち上がっていく。


「くそっ、間に合わない──!」


 助けに入るには距離が離れすぎている。それはもはや百も承知で、ほとんど成算のない魔法攻撃をオリバーが実行しようとした瞬間、


!」


 その場の誰の予想からも外れて。トロールと巻き毛の少女の間に、さつそうと影が躍り出た。


「……!?」


 放たれた一喝にびりびりと震える空気。瞬間、オリバーは目の前の光景にぎもを抜かれた。──あの東方エイジアの娘が、巻き毛の少女をかばってトロールの前に立ちはだかっている。その気迫を正面から受けて、トロールはつか身動きを止めていた。


「……うそだろおい。気合いでトロールに二の足を踏ませやがったぞ、あのサムライ」


 抜いたじようけんを片手に、長身の少年がこわばった声で言う。そんな彼らの驚きなどつゆ知らず、油断なくトロールとたいしたまま、東方エイジアの娘は背後の少女に語りかけた。


「──立って逃げられるでござるか?」

刊行シリーズ

七つの魔剣が支配するXVの書影
七つの魔剣が支配するXIVの書影
七つの魔剣が支配するXIIIの書影
七つの魔剣が支配するXIIの書影
七つの魔剣が支配する Side of Fire 煉獄の記の書影
七つの魔剣が支配するXIの書影
七つの魔剣が支配するXの書影
七つの魔剣が支配するIXの書影
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