第一章 入学式(セレモニー) ⑤

 ばかに丁寧な、それでいて奇妙なニュアンスの英語イエルグリス。尋ねられた巻き毛の少女ははっと我に返り、すぐさま立ち上がろうとして──そこで、まったく足に力が入らないことに気が付く。


「だ、だめ──だめなの、腰が抜けて……! わたしのことはいいから、早く逃げて! このままじゃあなたも一緒に──」

「ふむ、左様か」


 特にあせった風もなく、トロールをひたと見据えたまま、東方エイジアの少女はそう応える。そして、


「──しからばそのまま。拙者の後ろでゆるりと待たれよ」


 続く所作で左腰の刀に右手を添え──流れるようにこいぐちを切り、おもむろに抜刀した。


「はぁっ、はぁっ……カ、カタナを構えたぞ。戦う気なのか、あのサムライ」


 自分とも長身の少年とも違う声。オリバーが驚いて背後を振り向くと、意外にも先ほどの眼鏡の少年が息を切らして彼らの後を追ってきていた。さらに間を置かず──これまた異変を察して駆けつけたらしい縦巻き髪ロールヘアの少女が、迷うことなく彼らの前へ躍り出る。


「馬鹿をおっしゃい! そんな、させられるわけがないでしょう!」


 声も高らかに言い放ち、彼女は抜き放ったじようけんの切っ先をトロールに向ける。


「あたくしが注意を引きます、あなたたちは先にお逃げ遊ばせ! ──雷光疾りてトニトウルス!」


 唱えられた詠唱一節。右手のじようけんが輝き、その先端から目もくらむ電光が射出された。それは矢に勝る速度で空中を突っ走り、トロールの胸板に直撃して激しく火花を散らせる。──が、


「──フッ──フッ──」


 一撃を受けてなお、巨体は微動だにしない。縦巻き髪ロールヘアの少女がぎゅっと顔をゆがめた。


「なんてこと。直撃したのに、視線ひとつこっちに寄越さないですって……!?」

「火力が足りてねぇんだ! おれたちも撃つぞ──火炎盛りてフランマ!」

「ふ、火炎盛りてフランマ!」


 長身の少年と眼鏡の少年が彼女に続き、ふたつのじようけんから放たれた火球がほぼ同時にトロールを襲った。一方は肩に、もう一方は頰へと。それぞれ小さな焦げ跡を作るが──共にまったく意味をなさない。トロールの視線は変わらず、目の前の東方エイジアの娘だけに注がれている。


「ダメだ、顔面でも効いてない……!」「おい、黙って見てねぇでお前も撃て!」


 長身の少年がオリバーに協力を促す。が、じようけんを構えたまま、彼は首を横に振った。


「……ダメだ! 今の俺たちが習得してるのは基礎の一節呪文まで。何発ぶつけたところで、トロールのほうは蚊に刺されたほどにも感じない……!」


 厳しい現実を告げながら、オリバーは頭の中で猛然と思考する。──どうすればいい?

 今はサムライ少女の気迫で奇跡的にとどめているが、巻き毛の少女が動けそうにない以上、あのままでは確実にふたりとも踏み潰される。しかし何発呪文を打ったところでトロールの気は引けない。かつに近付けばまとめてなぎ倒されるだけ。非力な自分たちに、この状況下で打てる手は何だ?


むをません、もっと近くから目を狙って──!」


 思いきって駆け出そうとする縦巻き髪ロールヘアの少女。間一髪、オリバーがその肩をつかんで止めた。


「待ってくれ、考えがある。──君たち全員、起風呪文は使えるか!?」


 口に出した瞬間、それによってかった責任にオリバーの膝が震えた。縦巻き髪ロールヘアの少女がいぶかしげに眉根を寄せる。


「そのくらいは当然──けれど、風を起こしたくらいであれの気が引けますの!?」

「それだけじゃ無理だ。でも──全員分の風を束ねた上で工夫すれば、可能性は上がる」


 弱気をひた隠してオリバーは言う。……直接的にダメージを与えられる手段がない以上、策もないまま近付けば無駄に犠牲者が増える。その事態を避けながら状況を打開するためにはどうするか──習得済みの呪文を踏まえて、彼はひとつの回答を打ち出した。


「なるべく強い風を細く絞って、俺の合図に合わせて空中のあの辺りに展開してくれ。それを俺がまとめてトロールにぶつける」

「その言い方──集束呪文を実践する気ですの? けれど、あなたがよほど器用だとしても、風を束ねた程度では──」

「説明している間に彼女たちが死ぬ。この一度だけ、何も聞かず俺の提案に乗ってくれ!」


 強くそう言ってじようけんを空中に向けるオリバー。その横顔を数秒じっと見つめた末に、縦巻き髪ロールヘアの少女は覚悟を決めて彼の隣に並んだ。


「……本気の目ですわね。よろしい、乗って差し上げますわ!」

「マジかよ……!」「うわわわ……!」


 長身の少年と眼鏡の少年も両隣に立ってじようけんを構える。そうして全員の準備が整ったところで、オリバーはつえを振って合図を出した。


「「「吹けよ疾風インペトウス!」」」


 三人分の詠唱が重なって響き渡り、空中の一点で風がうなはじめた。それを正確に知覚した上でオリバーが叫ぶ。


「いいか、何が起きても呪文を止めるな! ──笛吹き鳴らすテイービア!」


 その詠唱と共に、渦巻く風を取り込んで形作られていく不可視の大笛。ほどなく甲高い音をかき鳴らし始めたそれに、オリバーはつえを振ってさらなる干渉を加えた。──このままではただみみざわりなだけ。だが、風の通り道を調整することで、その音はいかようにも変化する。


「な────」「─────ッ!?」


 三人が見守る中で、響き渡る笛の音が徐々に変化を始める。耳が痛くなるような高音から、腹の底に響くような重低音へ。ともなって彼らの全身が得体の知れない恐怖に震え始め──ただひとりその正体を見て取って、縦巻き髪ロールヘアの少女が驚きの声を上げた。


「これは……竜の咆哮ドラゴンボイス──!?」

「警笛呪文の応用で、そう聞こえるよう加工しただけの騒音だ! が──まがいものでも竜は竜! どんな鈍い生き物も、食物連鎖で上位の相手を無視は出来ない……!」


 音の制御に神経を削りながらオリバーが言う。──圧倒的な耐久力を誇るトロール相手に彼が活路をいだしたのは、呪文の破壊力ではなく衝撃力。全ての亜人種の本能に例外なく刻まれた回避衝動、「捕食者ドラゴンから逃げ出したい」という心理へのアプローチに他ならない。

 彼がねつぞうした竜のほうこうからその実在を錯覚し、びくりと肩を震わせて彼らのほうへ意識を向けるトロール。その姿に策の成功を見て取り、オリバーはすかさず叫んだ。


やつの注意はこっちにれた! 君たちは逃げろ、この先は俺が受け持つ──!」


 これから始まるトロールとの鬼ごっこを覚悟して少年は言う。が──そんな彼の思惑を超えたところで、東方エイジアの少女は動き始めていた。


「ふッ──」


 彼女の両足が地を蹴り、その体が大きく宙を舞った。……巨体を支えるために常に曲がりがちなトロールの膝。それを足掛かりに再度跳躍、続けざまに肩を蹴ってさらに上空へ。


「──オォッ!?」


 異変に気付いたトロールが丸太じみた右腕をスイングする。が、それは衣服の裾をかすめるだけで空を切った。オリバーたちの魔法に気を取られ、この瞬間のみ無防備をさらしていた巨体──その頭上に至って、東方エイジアの少女はぐっと剣を振りかぶり、


「──ィィィィィィッ!」


 こんしんの気勢と共に。全体重と魔力を乗せた斬撃を、亜人種の脳天にたたけた。


「──ガ──」


 ごぉん、と。大鐘を丸太で打ったような音が響き、全身をけいれんさせたトロールがぐるりと白目をいた。力を失った両膝がゆっくりと地面を突き、止めどなく体ごと崩れ落ちる。

 その間、わずか数秒。およそ予想を超えた決着の光景を、オリバーたちは言葉を失ったまま見届けた。


「……な……」


 行き場をなくした声が、オリバーの口の中を意味もなく転がって消える。ぼうぜんと立ち尽くす彼らの前で、決着の一撃を完遂して地面に降り立つ東方エイジアの少女。


「……フゥゥゥ……」

刊行シリーズ

七つの魔剣が支配するXVの書影
七つの魔剣が支配するXIVの書影
七つの魔剣が支配するXIIIの書影
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七つの魔剣が支配する Side of Fire 煉獄の記の書影
七つの魔剣が支配するXIの書影
七つの魔剣が支配するXの書影
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