この日葵という女子は、この学校では大層に有名な同級生だった。
『魔性の女、犬塚日葵』
男子も、女子も、先輩も、後輩も、教師ですら。まるで手のひらでコロコロ転がすように操ってしまう人気№1女子生徒。
その血統も、かなり格が高い。
ご実家は、大正時代から続く大地主。
祖父は元国会議員。父親は現役の外交官。
年の離れた二人の兄は、それぞれ気鋭の地方議員と役所の出世頭。
昨晩、かなり人気のある読モが、このフラワーアクセをTwitterで取り上げたらしい。ついでに、それがこの文化祭で売られていることも。その読モが日葵の兄の同級生で、それを見た後輩の女子大生たちがこぞって訪れたわけだ。
打ち上げ……というか、お礼のために寄ったモスバーガーで、俺は桁違いのフォロワー数を誇るアカウントを見てドン引きしていた。Twitterでの購入報告も多かった。「どこで買えるの?」みたいな質問も多い。俺のプライバシー大丈夫かなって不安になるほどだ。
「すげえ……」
「すごくない、すごくない。アタシ、ちょっとおねだり上手なだけだからなー」
そう言いながら、日葵はへらっと笑っていた。
その笑顔がまた非常に自然なもので、まったく反感が湧かないのがすごかった。
「なんで助けてくれたの?」
「んー?」
シェイクをちゅーと飲み、日葵は変なことを言った。
「助けてないよ。だって、アタシはきみに同情してないからさ」
日葵はTwitterをチェックしながら続ける。
「アタシがこれを売りたいと思った。だからお兄ちゃんにお願いしただけ。夏目くんが可哀想だから売ってあげたんじゃない。言葉を間違えちゃいけないなー」
「…………」
そんなことを平然と言うやつだった。
そして目を輝かせながら、とんでもないことを言う。
「やろーよ。フラワーアクセの専門ショップ。アタシも手伝う」
「は?」
何を言ってるんだ?
俺がそんな目を向けると、彼女は少し自慢げに言う。
「アタシさ、昔から何でもできちゃうんだよなー。勉強もスポーツもできるし、可愛いし。コミュ力も高くて愛されちゃうし、あと可愛いし?」
「……犬塚さん、いま可愛いってわざと二回言ったでしょ?」
いや、にこーっと笑われても困るんだけど。
悪いけど、俺はすかさず「そうだね世界一可愛いよ」とか返せるタイプじゃないんだ。
「でもアタシがやってるのって、結局は他人の力をちょっと借りてるだけなんだよ。だから、夏目くんみたいに一生懸命なのって憧れちゃうなー」
「いや、俺の何を知ってんだよ……」
キランッと目が光った。
むしろ聞かれるのを待ってましたとばかりに語り出す。
「園芸部がなくなってから放置されてる裏庭の花壇で、夏目くんが毎日お花の世話してるの知ってるよ。あのアクセって、素材からお手製なんだよねー」
図星だった。
さらに日葵は、俺の黒歴史を暴露していく。
「全部のお花に名前つけてるのも知ってる。文化祭の準備するとき、一本ずつ切り取りながら号泣してたなー」
「み、見てたの?」
「あと、水やりしながらお花に話しかけるのもポイント高いよねー。『今日も可愛いぜ』『おまえたちだけが俺の相棒だ』『離れても愛してる』だっけ? なんでお花相手だと、そんなイケメンな台詞出てくるの?」
「いっそ殺して……!?」
俺が悶えていると、日葵がけらけらと笑う。
「ほんとはアクセ買うだけのつもりだったんだけど、思ったより悲惨なことになってたからさー。こりゃやべえなって、思わずお兄ちゃんに一生のお願い使っちゃったよー」
「一生の、お願い……?」
「そ。一生のお願い。すっごく大事なやつ」
やはり上目遣いにこっちを覗き込んでくる。
「だから、夏目くんに責任取ってほしいなー?」
「う……っ」
その言葉が、俺のわき腹に重いパンチを打ち込んでくるみたいだった。確かに、あのままじゃどうなっていたか……いや、そんなのわかりきってるんだけど。
今頃在庫の山の前で、一人でしょぼくれてる姿しか見えない。
「責任って、具体的には……?」
「んー?」
人差し指を顎にあてて、可愛く小首をかしげる。
そして、眩しいくらいの笑顔で言い放った。
「その瞳を頂戴?」
ぞわわっと背筋に悪寒が走った。
俺が手元のハンバーガーをうっかり握りつぶしたのを見て、日葵が笑いを堪えながら付け加える。
「スプラッター趣味じゃなくてね?」
「いや、わかるけど。てか、そうじゃないと困るけど……」
日葵はポテトで、俺のハンバーガーの紙袋から漏れた照り焼きソースをすくった。それをためらいなく口に入れながら「夏目くん、顔には出ないけどリアクション大きくていいよね。すっごくポイント高い」と褒めてるのか貶してるのか、よくわからないことを言う。
それを食べると、シェイクのストローに口をつける。唇についた照り焼きソースと白いシェイクが混ざって……なんか、ちょっとエロいなって思ってしまった。
そんなことはつゆ知らず、日葵が真面目な顔で言った。
「お花アクセ作ってるときの、夏目くんの瞳が好き。アクセへの情熱でキラキラ輝くんだよ。まっすぐで、すごく綺麗」
「瞳……?」
日葵のシェイクが、ずずっと音を立てる。
そのストローを楽しげにつまみながら「んふふー」と笑った。
「だから、その情熱の瞳をアタシだけに見せて? 独占させて? そしたら、アタシはきみのアクセをいくらでも売ってあげる。──そういう運命共同体になろ?」
「…………」
俺は無言のまま、こくりとうなずいていた。
正直、日葵の言ってることはピンとこなかった。その申し出を受けたのも、彼女のファンシーな言葉に感動したとかじゃなくて……「あ、こいつ断ったら何するかわかんねえ」っていう恐怖のほうが強かったと思う。
でも不覚にも──日葵と『友だちになりたい』と思ってしまった。
だって生まれて初めて、俺は自分の価値を見てくれる人に出会えた。これまで友だちどころか、家族にすら理解されなかった俺の唯一の情熱の行き所を、彼女ははっきりと「好きだ」と言ってくれたのだ。
その首元のチョーカーが、存在を主張するように光る。
ニリンソウの花言葉は『友情』『協力』──『ずっと離れない』。
そんなニリンソウは、きっと頼りになるイケメンに違いないと思ったりしていた。
俺には日葵という女子が、まるでニリンソウが人間として現れたような感覚だった。これで落ちないほうが、どうかしている。
俺が一人で胸を高鳴らせていると「あっ」と日葵は呟いた。
それから、ふと雰囲気がブレる。……ブレると言うより元に戻ったと言うべきか。さっきまでの真剣な雰囲気が消えて、科学室で見たようなへらへらとした笑顔を浮かべる。