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四月の上旬。
高校二年に上がって、すぐのことだった。
田舎の春は、穏やかだ。てか、田舎ってマジでイベント事がカレンダー準拠だから。この時期は、のほほんとしたものだ。
そんな放課後、教室の一角で女子たちがきゃいきゃいと話していた。
「ねー。日葵さんの今朝の、やばくない?」
「わたしも思った。可愛すぎでしょ」
二人はスマホを覗いている。
今朝の、というのは、日葵が投稿したインスタの話だ。春休みに10号線沿いにあるカフェで撮影したものだった。
涼やかなウッドデッキで、新作の日向夏ジェラートを持つ被写体。
両耳にはスズランをあしらった、プリザーブドフラワーのイヤリング。
大きいサングラスから覗かせるマリンブルーの瞳が蠱惑的だった。その窓の外には、日向灘の青い海が広がっている。
今週になって一気に気温が高くなった。痛烈に夏を意識させるそのインスタは、非常に鮮明に映ったらしい。
高校に入学して、日葵が始めたインスタ投稿。
もともとの素材のよさもあり、一年足らずでフォロワーが5万人を越えたのだから驚きだった。
地元でも有名で、新作がアップされた日にはあんな感じでわいわい騒ぐ風景が見られる。放課後にイオンに行くと、フードコートで同じような会話をする他校の女子生徒に出くわすほどだ。……さすが田舎。どんだけイベントが少ないんだよ。
俺の隣の席……。
その日葵は、涼しい顔で鞄に教科書を詰めていた。
相変わらず、妙にオーラのある女だ。こんな田舎町にある学校の野暮ったい制服すら、こいつが着るとブランドの新作のように見えるから不思議だった。
この二年で、ちょっと背が伸びた。それも脚だけが伸びたのかと思うような見事なスタイルを誇っており、男子たちの視線を悪戯に集めることも多い。
表情に妙な色気も漂うようになった。薄く形のよい唇は淡いグロスで照り、ふいに日葵が唇を舐めるたびに周囲をドギマギさせている。
流れるような美しい髪は……かなり大胆に切ってしまった。でもナチュラルに乱れたショートボブの髪型は、茶目っ気のある日葵によく似合っている。
あの透き通るようなマリンブルーの瞳だけは変わらない。アーモンドのようにぱっちりと大きく……そして変わらず魅力的だった。
二年前の透明感のある美少女は、より大人っぽくもなり、そのくせ以前よりも無邪気な気質も露わにするようになった。先天的な天邪鬼である日葵を、よくよく現している。
例の女子二人が、日葵の机にきて話しかけていた。
「このお店、どこ?」
「10号線を市内のほうに行くと、すぐ見つかると思うよ。このジェラート、秋までの限定メニューだって言ってたねー」
「じゃあ、このイヤリングは? イオンで買える?」
「それ特注だから、お店じゃ売ってないかなー」
「えー。すごーい。わたしもほしー」
その二人に、一枚の名刺を差し出した。
ただ〝you〟とだけ記名された、フラワーアクセのクリエイターのものだ。
「通販では買えるから。名刺のQRコードのサイトから注文してね。このキーコード入力すると配達料タダだよ。何回でも使えるし、一つからでもお気軽にどうぞ」
「ほんと!? ありがとーっ!」
そんな流れで、放課後の遊びに誘われている。
カラオケ行こうって内容だ。というか、この町で放課後に遊ぶには、だいたいイオンかカラオケかスシローがベターだ。
けっこうな人数が参加するらしい。クラス替えで初めて顔を合わせるやつもいる。日葵をうまく自分たちのグループに誘いたいのだろう。
……地元の良家のお嬢さまの権威は、高校でも健在だ。
いや、むしろ二年前より大きいだろう。市役所で働く二番目のお兄さんが手がける地域開発プロジェクト。その一環で進めていた高速道路が、とうとう開通したのだ。これで隣県への移動がしやすくなると、犬塚家の株は爆上がりであった。
その好意120%・打算120%のお誘いに、日葵はニコニコ微笑みながら「うーん。どうしよっかなー」とか言っていた。
その視線が、ふと俺のほうを見たような気がした。
「…………」
俺は鞄を肩にかけると、席を立った。
特に誰とも挨拶を交さずに教室を出る。廊下には、下校する生徒たちが行き交っている。ジャージ姿で部活に行く生徒もいた。
別棟にある科学室にきた。職員室から借りた鍵でドアを開ける。6人がけのテーブルが6つある。窓際の一番前のテーブルに鞄を置いた。
科学室の後ろに、大きなスチールの棚が並んでいる。
右のスチール棚、一番下の引き戸の鍵を開けた。LEDプランターが並んでいる。室内で害虫の心配なく植物を育てられる優れものだ。
冬咲きの花は、すでに収穫した。
今は春植えの種や苗が植わっている。
アマリリス、ラベンダー、ナデシコ、マリーゴールド……。
すべての写真を撮って、成長の記録を収める。水を入れ替えて、園芸部の仕事は完了。
後は、個人的な活動の時間だ。
LEDプランターの引き戸を閉めて、鍵をかける。その一段上の引き戸の鍵を開けて、二つの段ボール箱を取り出した。
一つの蓋を開けると、百均で揃えた密封ケースが詰まっている。その一つを取り出して、中身を確認した。
大量の乾燥剤と、溶液から取り出したプリザーブドフラワーの花被。これはパンジーの花被を加工したものだ。
花被の色合いを確認する。鮮やかな黄色が、やや深い色合いになっていた。いい具合に渋みが出ている。花弁の劣化も見られない。あとは乾燥の具合だけど……。
「よっと」
もう一つの段ボール箱を開けた。
こっちには、作業道具をまとめてある。用具箱からピンセットを取り出した。ビニール手袋をはめて、密封ケースの蓋を開けた。
ピンセットで、パンジーの花被を取り出す。
「……いい感じでは?」
うん。いい感じだ。
というか、かなりいい感じ。ちょっと花弁が薄いし、外れちゃうかなって思ってたけど。
とりあえず、これは安静に……花弁が取れちゃもったいない。
「よーし。ここからが本番だ」
作業用の卓上ルーペを準備。
それを介しながら、フラワーアクセの加工を始めた。
まずは花被をリングに通す作業だ。これが一番気を遣う。花被を傷めてはいけないし、見栄えにも関わる。