仕事モード、オン。
変声機オッケー、カメラはオフ。通話品質、良好。
相談者、牧野康介。二年七組、男。相談期間、四ヶ月。
「さて、そろそろ勝負だな」
暗い自室のパソコンの前。ゴホン、と喉を整えてから、マイクに向かってそう言ってやる。
俺の声は電子音に置き換えられて、性別もわからなくなってるはずだ。これじゃあどれだけ威厳を込めても、マヌケに聞こえてることだろう。
『あ、あのさ……』
少し間を開けてから、声が返ってくる。向こうはボイチェンなんて必要ないから、当然本人の声。
おかげでわかるぞ、弱気なのが。やれやれ。
「なんだ」
『や、やっぱり、無理なんじゃないかな……』
「まだ迷ってるのか」
『だって……! 俺なんかが、あの柚月さんに……』
あーもう、このへタレめ。
まあ、たしかに気持ちはわかる。痛いほどな。
けどここでやめたら、全部が無駄になる。こいつにとっても、本望じゃないだろう。
「もともと接点ゼロだったのに、今じゃ普通に話す仲になれたんだ。きっと大丈夫だよ」
『で、でも……』
ターゲットとの関係値の低さ、解決。自信のなさ、未解決。
だが、根本的な性格を変えるのは簡単じゃない。
今だけ。勝負の一日だけでも、勇気が出せればいいんだ。
『それに……柚月さんは今までも、全部告白断ってるだろ……? やっぱり彼氏か、だれか好きな人がいるんじゃないか……? もしそうなら、迷惑かも……だし』
停滞の正当化。無自覚な自己防衛。世話の焼けるやつだ。
それじゃダメだってことは、もうお前自身もわかってるだろ。
「柚月に好きな相手がいたら、お前は諦められるのか?」
『そ……それは……』
「諦めがつくなら、私がやるべきことはもうないよ。でも、そうじゃないから、頑張ってきたんだろ?」
『……でも』
「……」
ダメだな。完全に怖気づいてる。
こうなると力技は逆効果、鼓舞しても効果は薄い。
……やるしかない、か。
「わかった。なら、しばらく時間をくれるか?」
『えっ……。ど、どうするんだよ』
「柚月に恋人や、好きな相手がいるのか、もしいないなら、どうして誰とも付き合わないのか、調べてみるよ」
『ほ、ホントか……! できるのか?』
おいおい、急に元気になりやがって。現金なやつめ。
「ただ、期待はするなよ。調べてもわからないことはある」
『お、おう、もちろん! 悪いな、そんなことまで……』
「いや、もともといつかは、こうなると思ってたからな。これも仕事だ」
それにこうやって逃げ道を潰さないと、お前は踏ん切りがつかないだろ。とは言わないでおく。
『……なあ』
「ん?」
『やっぱり、正体は教えてくれないのか? うちの学校の生徒なんだろ?』
牧野のそんな言葉に、思わず目が細まる。
べつに悪いことじゃない。気になるのは当然だ。
でも、それはルール違反だよ、牧野。
「必要があればそうする。が、今はそうじゃない。わかってくれ」
『で、でもさ……! ここまで助けてもらったら、ちゃんとお礼とか』
「牧野」
『おっ……おう』
「告白、うまくいくといいな」
『……ああ』
「じゃあ、もう切るぞ。なにかわかったら、また連絡する」
『うん。……ありがとう、天使』
そこで通話を切り、俺はイヤホンをはずした。牧野が退出するのを確認してから、こっちもチャットルームからログアウトする。
「調べてもわからないことはある」と、さっき俺は言った。
でも、今回は違う。俺に限って、わからないなんてことはない。
冷えたコーラのグラスに口をつけてから、俺は腕を組んで目を閉じる。
さて、計画を練るとするか。
◆ ◆ ◆
久世山高校には、恋を導く天使がいる。
俺、明石伊緒の通う学校にそんな噂が流れてから、もう一年近くが経つ。
その概要はこうだ。
恋に悩んでいる人のもとに、ある日突然、恋のキューピッドから手紙が届く。
キューピッドには不思議なちからがあって、言うことに従えば、その人の恋はうまくいく。
呆れたもんだ。こんな非現実的な話、噓に決まってる。と、そう思うのが自然だろう。
そもそも、こういう都市伝説自体、今どき流行らない。
ネットと科学の発達で、その手のものはもう、駆逐され尽くしてるんだよ。
怪談とか七不思議とか、超能力とか。そんなのはどれもデタラメで、本気で信じてるやつなんていない。
いわゆる、悪魔の証明だ。絶対あり得ない、っていう証明が、できないだけ。「ホントにあったらおもしろいな」って、それくらいに思ってるやつが、多少いるだけ。
だから、天使もいないし手紙も来ない。不思議なちからなんてあるわけない。当たり前だ。
──でも、だったらなんでこんな噂が、一年もしぶとく生き残ってる?
久世高生がみんな、夢みがちなガキだから?
いや、今の高校生はそこまでバカじゃない。
おまけに、久世山高校は滋賀県内でもトップの進学校だ。現実的で、大人びた学生が多い。
なら、なぜ?
答えは、いたってシンプルだ。
放課後、生徒たちが部活組と帰宅組に分かれて、バラバラと散っていく。
俺もさっさとカバンを持って、二年八組の教室を出た。
幸か不幸か、誰かに呼び止められるほど、友達は多くない。地味で影が薄くても、悪目立ちするほどじゃない。
そしてそんな立ち位置が、俺にはいろいろと都合がいいのだ。
昇降口にたどり着いて、俺はスマホをいじるフリをしながら、下駄箱の前でそのときを待った。気分は張り込みの刑事だ。
あとからちらほら帰宅組がやって来て、靴を履き替え始める。俺は顔を伏せて、視線だけでターゲットを探した。
……いや。
「まあ……見逃すわけないか」
その姿を見て、思わず感嘆の息が漏れる。
ターゲット、柚月湊は美少女だ。それも、めちゃくちゃな。
まるで夜空みたいな、深くて艶のある黒髪ストレート。
つららのように鋭い切長の目にも、ボリュームのあるまつ毛のせいで絶妙な愛嬌がある。
その目も、スッと高くて小ぶりな鼻も、色のいいピンクの薄い唇も、文句のつけようがないバランスで配置されている。
また、女子にしてはスラリと背が高めで、俺よりも十センチ低いくらいだろうか。ついでに、身体の各所に実にメリハリのある凹凸を備えている。特に胸部の凸。
そして極めつけは、その上品そうな佇まいだ。
ピンと伸びた背筋。白水晶のような透き通る肌。それに大人っぽい憂いを帯びた表情のせいで、普通の制服姿でも、どこかの高貴な令嬢を思わせる。
ちょっとキモいくらいに褒めてしまったが、つまりそれほどに、柚月の容姿は完成されているのだ。創った神のドヤ顔が目に浮かぶ。
まったく、不公平な創造主め。ありがとうございます。