それにしても、これで成績までトップクラスだっていうんだから、つくづく恐れ入る。
ちなみに当然ながら、男子人気も恐ろしく高い。『久世高三大美女』にも名を連ねる、全校生徒公認の美少女だ。
あの『久世高三大美女』だぞ? あの。
「……」
柚月はそのまま俺の方に、正確には、俺のすぐそばにある自分の下駄箱の方に、スタスタと歩いてくる。
見とれてる場合じゃない。俺には、仕事があるのだ。
肩がぶつかりそうなほどの距離にいる柚月が、パカリと靴を床に置く。履き替えようと身をかがめたその瞬間を狙って、俺は腕をだらんと下げた。
俺の手が、低いところにあった柚月の頰に、一瞬だけ触れる。計画した通りに。
『顔に触れた相手の、想い人がわかる』。
それが久世高の天使、すなわち、俺のちからだ。
このちからで、俺は相談者の恋をより確実に、成功に導いている。
なぜ久世高生が、バカげた噂を信じるのか。
それはただ単に、『実際に起こっているから』だ。
どれだけ非現実的でも、天使はたしかに存在する。
だから、噂は消えない。簡単な話だ。
左手の甲に、柔らかい感触がくる。意味不明なくらいスベスベだ。セクハラではない。発動条件だからやむを得ないのだ。ホントだぞ。
もし柚月に好きな人がいるなら、俺の脳裏にはその相手の顔が、フラッシュバックするみたいに浮かぶ。
疲れたり、痛かったりもしない。ただちょっと、クラッとするだけ。もうすっかり慣れた、いつものパターンだ。
さあ、なにが出る?
「……うげっ!?」
ひどい、目眩がした。
重力がひっくり返って、またすぐ元に戻されたみたいだった。
同時に、俺の頭を情報の激流が襲った。
いつもは一枚のはずの画像が、何枚も何枚も、クライマックスの花火のように浮かんで、消えていく。
見覚えのある顔、知らない顔。合わせて二十人……いや、もっとだ。
なんだこれ。おい、なんだよこれ……っ!
「おえっ……」
受け取るつもりだった量の何倍もの荷物を、無理やり投げつけられたような感覚。
頭と身体が一緒に揺れて、吐き気がする。
待て、落ち着け。立て直せ。
完全に、計画が狂った。予定じゃ手が当たったことをサラッと謝って、それで終わり。なんの違和感もない、日常のちょっとした事故。
そのはずだったのに……。
フラつく身体を気合いで支えながら、俺は状況を整理しようと、無理やり思考を巡らせる。
だが、今はそんな余裕すらないということに、すぐに気づかされた。
「な……なに?」
すぐそばで、柚月湊の不審そうな声がした。急に悲鳴を上げてよろけたんだから、当然の反応だ。
気になることはある。でも今、柚月に変に興味を持たれるのはまずい……!
ごまかさないと。
とりあえず、逃げないと。
「あ……えっと、急に腹痛が……あはは」
言いながら、ちらりと柚月の顔を覗き見る。
呆れ顔、困り顔、怪訝な顔、どれでもよかった。けれど──
「……えっ」
柚月はどういうわけか、ハッとしたように目を見開いていた。まるで、なくしていたものが意外なところから出てきたみたいな、驚きと安心の混ざった表情だった。
なんで、そんな顔になる……?
だが浮かんだ疑問も、今考えることじゃない。
俺は靴に足を突っ込んで、急いで昇降口を出た。そのまま駅まで走って、ちょうど来た京阪電車に駆け込む。
ほかの乗客に変な目で見られながら、俺はミスに気がついていた。
「……腹痛なら、校舎に戻るのが普通だろ、あほ」
結局、頭は全然働いてなかったらしい。
「……はぁ」
なにが、どうなってるのやら……。
俺は今起きたことを思い返しながら、まだ少しクラクラする頭を、自分で撫でた。
◆ ◆ ◆
次の日の授業は、いつにも増して頭に入らなかった。
日本史教師のお経みたいな声を聞きながら、俺は考える。
疑問は、ふたつあった。
ひとつはもちろん、見えた人数が多すぎる、ということ。
「……」
普通、好きな人なんていうのは、ひとりだ。
同時に複数の相手を好きになってる人間も、いるにはいる。それでも、ふたりとか三人とか、あくまでその程度。
それが、二十人……正確にはもっとか。人の恋愛感情に文句を言うつもりはないが、多すぎだろ、さすがに……。
いや、わかってる。まず疑うべきは、俺のちからの方だ。
このちからが、なにかバグを起こして、こんなことになった。そういう可能性はないか。
たとえばそう、風邪を引いて鼻が利かなくなるみたいに。
「……いや」
残念ながら、そんなことは生まれてから一度もなかったし、原因に心当たりもない。
なにより、さっきクラスの男子で試したときは、いつも通りだった。
つまり、ちからはちゃんと作用していた。そう考えるのが妥当だろう。
「……でもなぁ」
一昨日の牧野との会話でもあった通り、柚月は男子からの告白を、今まで全て断っている。むしろそのガードの堅さが、柚月の人気を倍増させているといってもいい。
そんな柚月に、好きな相手があんなに大勢いるなんて……。
しかも余計に不思議なのは、そのメンツだ。
正直、あのとき見えた顔はほとんど覚えてない。不意打ちだったし、余裕もなかったからだ。
だがひとりだけ、間違いなくいたのは、五組の松本だ。
そしてその松本は、少し前に柚月に告白して、撃沈している。
要するに、柚月は両想いなのに、松本をフった、ということになる。
もちろん、フったあとに柚月が松本を好きになったって可能性もあるが……どうもしっくりこない。
「うーん……謎だ」
これがいわゆる、ミステリアスってやつか。さすが美女。いや、違うか。
唯一の救いは、この謎が本質的に、俺には関係がないってことだ。
ただの個人的な、柚月の恋愛スタイル。俺が口を挟むことじゃない。
問題は、この事実をどういうふうに、牧野に伝えるか。そこだ。
……だが。
「じゃ、今日はここまで。日直、号令」
教師の言葉と同時に、終業のチャイムが鳴った。起立と礼が済み、放課後になる。
思考を続けながら、俺はそそくさと教室を出た。
疑問は、もうひとつある。
それは、昨日の柚月の、あの表情だ。
「……」
混乱とも困惑とも違う、どこか興奮したような顔。
そんな顔も美人だったとか、そういうことは置いておくとしても。
……あのとき、柚月はなんで、あんな顔をしたんだろうか。
「明石伊緒くん」
校門を出たところで、不意に名前を呼ばれた。
透き通った、それでいて凜とした、弦楽器みたいな声だった。