このこだわりが柚月に理解されるなんて、思ってない。
けど理解されなくたって、俺の答えは変わらないのだ。
「安心しろ。そっちは好きにすればいいけど、お前の秘密は黙ってるさ。じゃあ、俺は引きこもりの準備があるから」
「……」
「もう、あんまり脅しとかするなよ? 効果的だけど、リスクもデカいからな。それから、その……惚れ癖? 直るといいな」
言って、俺はヒョイっと岩から立ち上がった。
吹っ切れたせいか、いつの間にか緊張が解けている。やることが決まると、気が楽でいい。
とりあえず、帰って天使の相談スケジュール、見直さなきゃだな。
「待って……!」
「……ん」
鋭い声に、反射的に振り返る。
柚月は顔を伏せて、下ろした両手を固く握っていた。
風で揺れる湖面が夕日を反射して、キラキラと光る。その前に立つ柚月は本当に綺麗で、俺なんかよりもよっぽど、天使みたいに見えた。
やっぱこのあだ名、名前負けしてるよなぁ。
「まだ、なにかあるのか?」
「ごめんなさい……。脅迫みたいなことしたのは謝るわ。そういうつもりじゃなかったの。ただ……どうしても助けて欲しくて」
「……もういいよ、それは」
だから、そんな震えた声で言わないでくれよ。
「天使の専門じゃない、っていうのはわかった。あなたの主義に反するってことも、理解したつもり。でも、ほかに頼める人がいないのよ……」
柚月はこちらへ歩いてきて、ゆっくり顔を上げた。
涙で滲んだ瞳の奥に、俺の情けない困り顔が見えた。
おいおい、折れるなよ? 久世高の天使。
「……いや、けどな──」
「ねぇ、見て?」
柚月が突然、俺の右手を取った。柔らかくて、ひどく冷たい。
柚月はそのまま、俺の手を自分の顔の高さまで引っ張って、頰にピタリとくっつけた。
俺は呆気に取られて、その光景をただ、眺めていることしかできない。
ちからが、発動する。
「なっ!? おい!」
直前で身構えたおかげで、今度はフラつかずに済んだ。
だが俺の頭には、やっぱり昨日見たのと同じ、大量の顔が浮かんでいた。明滅するように溢れて、すぐに消えていく。
「何人見える? 軽蔑したでしょ? こんなの、友達には言えない」
歪んだ顔と涙混じりの声で、柚月が言う。
俺に聞いてるんじゃない。軽蔑してるのはきっと、こいつ自身なんだ。
同時に複数の相手を好きになるなんてのは、べつに悪いことじゃない。だが、柚月はその数が多すぎる。
そんな自分が心の底からいやで、だからこそ、柚月は……。
「絶対に、直したいの。なんでもするわ。だから、お願い」
流れた雫が、俺の指に触れる。
泣いているのに、柚月の眼差しは強かった。
「……脅すなとは言ったけど、涙も充分反則だぞ」
しかも、美少女の涙は……。
「……」
恋愛の悩みは、軽くない。そう言ったのは、俺か……。
……はぁ。バカな天使だ、まったく。
「……わかったよ」
「ほ、本当……?」
「ああ。特例だからな、マジで」
答えると、柚月は俺の手を両手で包んだ。
祈るように顔を伏せて、湿った息を吐く。
「でも、解決の保証はできないぞ? 専門外だってのは変わらないんだ。それに、そういうのをなんとかした経験もない。わかってるのか?」
「う、うんっ。わかってるわ。わかってる」
「ただ、俺にできることなら、全力で手助けする。それから、さっき『なんでもする』って言ったな? その言葉、忘れるなよ」
「え、ええ! もちろん。ありがとう……本当に」
柚月は嬉しそうに、それからひどく安心したように、胸を撫で下ろしていた。
仕方ない。引き受けたからには、やれるだけのことはやるさ。
いっとくが、べつに柚月が美少女で、「なんでもする」に釣られたってわけじゃないからな。
まあ、釣られてないってだけで、ちゃんとなんでもしてもらうけどさ。
「じゃあ、『なんでも』の手始めに、まずは最初の指示だけど」
「えっ……も、もう?」
「自分で言ったんだろ。さっそく約束破るのか?」
「わっ、わかったわよ……。なにすればいいの……?」
頰を赤く染めて、不安げに柚月が言う。おまけに自分の身体を抱くように腕を交差させ、チラチラとこちらを見ていた。涙で潤んだ瞳もあいまって、やたらと色っぽい。
なんなんだその、「覚悟はできてます」みたいな顔は。
やめろ、扇情的なことをするな。男子高校生の理性を逆撫でするな。
「あ、でもっ……とりあえずひと気のないところに……。ここじゃ、さすがに……ね?」
「あほ。天使の正体と、俺のちから、口外禁止。以上」
「……あっ。うん……了解」
やれやれ。先が思いやられるぞ、これは。