「偶然手がぶつかることもあれば、イヤホンを貸してあげたり、髪についたゴミを取るフリをしたり。気のせいかとも思ったけど、やっぱり明らかに多かったわ」
俺のとっておきのテクまでお見通しとは……。どんだけ目敏いんだよ、こいつ。
特に、ゴミを取るフリはおすすめだ。やりすぎるとあれだが、初回はほぼ怪しまれない。
「もし噂が、本当に全部事実なら、久世高の天使には、不思議なちからがあることになる。もちろん、普通はそんなの、デタラメだと思うわ。私も本気で信じてたわけじゃない」
「……」
「だけど、火のないところに煙は立たない。カマをかけてみる価値はある」
「……バカげてる」
「そうね、バカげてる。でもだからこそ、たとえ間違ってても、冗談で済ませられるわ」
淀みなく、柚月が言った。
こいつの言い分は、きっと理屈の上では正しいんだろう。
けど、だからって実行するやつがいるか?
そんなの、予測できるわけがない……。
「ただ、顔に触ってなにが起こるのかは、さすがに見当もつかなかった。相手になにかを伝えられるのか、相手のことについて、なにかがわかるのか……。これじゃあ、カマをかけるには不充分。でも昨日、あなたは私に触った」
天使の正体はともかく、このちからだけはバレない。真相が非現実的だからこそ、絶対に。
そう信じてた。
それが油断だったとは思わない。こんな執念とぶっ飛んだオカルト推理を、想定する方がおかしいんだ。
そして柚月はさっき校門で、「やっと見つけた」と言った。
そもそも、なんでこいつはそこまでして俺、いや、天使のことを……。
そんな俺の疑問に構う間もなく、柚月の言葉は続いた。
「普段はなんともなさそうなのに、昨日のあなたはすごくうろたえてた。つまり、私はほかの人と、なにかが大きく違ったんだと思った」
ああ、違ったよ、全然違う。
それこそ、うろたえるくらいに。
「私が立てた仮説は、『明石伊緒は人の顔に触れると、その人の好きな相手が、人数までわかる』よ。だって、私が人と違うのは、そこだから」
柚月はふぅっと、重い息を吐いた。眉間にシワを寄せて、険しい目で俺を見る。
こいつ、自覚もあったのか……。
だが、それを推理の決め手にされるなんてな……。
正直、完敗だ。こうなったら下手に隠すより、白状してしまった方がいいだろう。
バレたときのことだって、一応少しは考えてある。最悪なのは変わらないけどな……。
ただ、わからないことがまだ、ひとつ残ってる。
それを確かめるために、俺は言った。
「もしそうだったとして、お前の目的は?」
「もしそうだとするなら、なんとなく予想がつかない?」
おうむ返しのような、柚月の言葉。
けれどその意味が、俺には実はよくわかった。
柚月がこの仮説にたどり着けたのは、推理力はもちろんだが、なによりも、天使への異常な執着心があったからだ。
しかも柚月は、自分に好きな人が何人もいるということを、自覚している。
そんなやつが俺に接触してきて、「やっと見つけた」なんて言うってことは──
「私の、このひどい惚れ癖を、直してほしいの」
意を決したような表情で、柚月が言った。そのセリフにも、もはや驚きはない。
つまり、こいつも天使の恋愛相談が目当てだったわけだ。だからこんなに必死になって、天使を探してた。
そう考えれば、今日の柚月のこの慎重な態度にも、合点がいく。
「……なるほどな。事情は、大体わかったよ」
「そ、それじゃあ……やっぱりあなたが?」
「ああ。それに、お前の仮説も正しい。俺にはおかしなちからがあって、それを使って天使をやってる。ついでに、天使の噂を流したのも俺だよ」
「そ……そう」
柚月は少なからず、衝撃を受けているようだった。
まあ無理もない。目の前の相手が、自分は超能力者です、って言ってるんだからな。むしろ、納得するのが早いくらいだ。
こいつの状況も、目的もわかった。俺の正体も明かした。
でも、悪いな、柚月湊。
「天使として答えるよ。その頼みは、聞けない」
これが、最終結論だ。
「なっ! ど、どうしてよ……!?」
柚月は立ち上がって、焦ったように叫んだ。
その顔があまりに悲しそうで、思わず決意が揺らぎそうになる。
やめてくれよ、美少女……。これでも、申し訳ないと思ってるんだから。
「踏み出せずにいるやつが、告白できるように助ける。それだけが俺にできることで、俺のやりたいことだ。相談に乗る相手も、俺が決める。お前の力にはなれない」
「……そんな」
「それにそういうことは、赤の他人の俺より、友達に頼んだ方がいいだろ。悪いけど断るよ」
念を押すつもりで、もう一度そう告げる。
俺は恋愛なんでも屋じゃない。専門外のことに、手を出すつもりはないんだよ。
「……なら」
「……?」
「なら……あなたの秘密をバラすわ。ちからのことも、天使だってことも。それでもいいの?」
「うぐっ……」
痛いところを突かれて、情けない声が漏れた。せっかくカッコついてたのに……。
どうやら握った弱みは、しっかり交渉に使うつもりらしい。
意外としたたかなやつめ……。
「……だったらこっちも、お前の好きな相手をバラす。全員な。それがいやなら、頼むから諦めてくれ」
「じゃあ、共倒れね。私はそれでも構わない。あなたが引き受けてくれないなら、本当にそうするわ」
おいおい、なに言ってるかわかってんのか……。
いや、それだけ必死、ってことか……。
俺たちは、しばらく睨み合っていた。引き結ばれた柚月の唇が、かすかに震えている。
相手の意志は固い。本気だってことは、目を見ればわかる。
共倒れなんて一番、バカだ。誰も得しない。
たしかに合理的な脅しだよ。勉強ができるやつってのは、みんなこうなのかね。
……でもな、柚月。
「おーけー。わかった」
「じ、じゃあ……っ!」
「ああ。なんでも好きにバラせばいい。でも、協力はしない」
「……えっ?」
柚月は信じられないというように、啞然として目を見開いた。俺の返答が、予想したのと真逆だったんだろう。
けど、引き下がれないのはお互い様なんだよ。
「いい加減な気持ちで、頼みは引き受けられない。お前が真剣なら、なおさらだよ」
「……だけど、正体がバレたら、困るんじゃないの……?」
「そりゃ困る。めちゃくちゃ困る。天使の噂を定着させるのに、俺がどれだけ苦労したと思ってんだ」
そりゃもう、用心に用心を重ねてだな……。
いや、この話は今はいい。
「でもまあ、そのときはしばらく不登校にでもなるさ。そうすれば、みんな興味なくすだろ。それに学校に行かなくても、天使の仕事は続けられる。今はなんでもオンラインの時代だからな」
チャットルームといいボイチェンといい、文明の利器様様だ。
「……本気で言ってるの?」
「当たり前だろ。秘密を守るために安請け合いなんて、俺にはできない。恋愛の悩みっていうのは、そんなに軽いもんじゃない。天使として、それだけは絶対に譲れない」
「あなた……」