第一章 ありふれたヒモの日常 ①

「君と暮らしてもう一年近くになるが」


 手のひらに載せられた銀貨の軽さを感じながら俺は深々とため息をついた。


「まさか五歳児に見られているとは思わなかった」

「何が不服だ? マシュー」


 アルウィンはややいらった口調で問い返す。腰まで届く赤髪、すい色の瞳、うるわしき我が姫君。フアム・フアタル

 この街でも有数の冒険者パーティ『戦女神の盾イージス』のリーダーだ。


「たった三日だ。ならそれくらいあれば十分だろう」


 玄関先で渡されたのは、アルナー銀貨が三枚。彼女の言うとおりアルナー銀貨、通称大銀貨一枚あれば一日三食にエール二杯飲んでおつりが来る。


「私はそこまで世間知らずではないぞ」


 フルネームはアルウィン・メイベル・プリムローズ・マクタロード。かつて大陸の北部にあったマクタロード王国の元お姫様だ。


「知っているよ。今じゃ一人前の冒険者だ」


 大量発生した魔物のせいで王国は壊滅、王様も王妃様も死んじまった。生き残った彼女はあちこちの親類を頼ったが、色よい返事は得られなかった。魔物の数は数千万とも数億ともいわれている。しかもドラゴンやベヒモスのような伝説や神話クラスの魔物までいる。そいつらを一掃するなんてのは、大陸中の国々が総力を結集しても不可能だろう。


「だったら、余計な手間を取らせるな。お前のワガママのために、命がけで戦っているのではないのだぞ」


 頼みの綱は、何でも願いをかなえるという伝説の秘宝『せいめいけつしよう』だ。そいつを手に入れるために志を同じくする仲間と、大迷宮『せんねんびやく』へ挑んでいる。


「もちろんだよ。崇高な志は理解している。本当なら君と一緒に戦いたいくらいだよ。自分の非力さが心苦しくってならない」


 大迷宮なんて言われるだけあって、『せんねんびやく』の中は過酷だ。ただの地下室や洞窟とは訳が違う。恐ろしき魔物はうじゃうじゃ湧いてくる。ワナはそこかしこに仕掛けられている。それ自体が『迷宮』という名の巨大な魔物なのだ。おまけに、ライバルである冒険者も妨害してくる。数多あまたの困難が行く手をはばむ。


「だったらおとなしく待っていろ。攻略が長引けば、国土奪還はそれだけ遅れる。残された時間は、そう長くはない」


 けれどうるわしき姫は歩みを止めることはない。愛する民のために。王国再興のために。それでついた二つ名が『深紅の姫騎士』だ。マクタロード王国の生き残りどもからは女神とも戦乙女ともあがめられているそうだ。そんなお姫様のおそばで仕えているのが、今の俺だ。


「君の志は重々承知の上だ。その上で頼んでいる。先立つものは何より金だ。金がなけりゃあ、食料も買えないし、秘宝だって手に入りはしない。それに、今日明日で攻略出来るものでもないだろう?」


 今日は地下十七階へ潜ると聞いている。もっとも何階まであるかは誰も知らない。『せんねんびやく』が発見されて以来、最下層までたどり着いた者は誰もいない。

 攻略するためには、最下層にある心臓部を破壊するか取り除くしかない。その心臓こそが『せいめいけつしよう』だ。過去には砂漠を一瞬で緑の大地に変えたり、死んだ人間すらよみがえらせたという。


「何より君は勘違いをしている」

「何をだ」

「男のプライド、ってものをだよ。俺一人ならこれでもいいだろう。でも、そうじゃない。今日は飲みに行く約束があってだね」

「行けばいいだろう」


 下らない、とその表情が雄弁に物語っている。


「けれど、ほら。男には付き合いが大事だからさ。酒だけちびちび飲むってわけにもいかない」

「ならば問おう」


 アルウィンの目が鋭く細められる。


「どうして、お前がよその女のところに転がり込む金を出さなくてはならない。この私が、だ」


 俺の仕事は世間ではヒモと呼ばれている。ほかにもだんしよう、ジゴロ、つばめ、スケコマシ、色事師、プレイボーイ、男のクズ、クズの男。呼び方は色々あるが、要するに女に働かせて日がな一日働きもせず、退屈や退廃と戦う。時には酒を飲み、博打ばくちを打つ。よその女に手を出す御仁もいる。軽蔑されつつも羨ましがられる。そんなだ。


「しないよ。本当に酒を飲みに行くだけだって」


 なだめすかすような声音で取り繕う。我ながら苦み走った色男だ。短くきりそろえた焦茶色の髪に、茶褐色の瞳も昔はご婦人方を夢中にさせたものだ。まあ、今ではすべてを姫騎士様にささげているが。

 今着ている紺色のチュニックにゆったりした黒の長ズボンもアルウィンの金で買ったものだ。


「ウソをつくな。私が何も知らないと思ったら大間違いだぞ」

「そんな怒らないでよ」

「甘えたってダメだ」


 肩に伸ばした手をぴしゃりと払われる。ここでめげるようじゃお相手は務まらない。もう一度手を伸ばそうとするがやはり拒否される。


「本当に?」


 その隙に反対の手で髪の毛をでる。傷つけたり抜いてしまわないよう、丁寧に優しく。上質の絹糸でも触っているみたいで心地よい。日頃戦いの中にいる割には、色艶もいい。生まれなのか、育ちなのか。高貴な方々は蜂蜜と薬草と香料を混ぜた汁で洗うって聞いたことがあるけれど、アルウィンのは、もう少しいい材料を使っていたのかも。お姫様だったからな。


「あ、おい」


 弱々しい抗議を無視して、赤くなった耳元をかすめて首筋を通って背中まで、ぐしで赤い髪をいていく。なだらかな腰から小さなお尻のあたりまで通り抜けると、今度はお尻の方から背中へと逆にいていく。同時に、反対の手で同じように髪の毛をいてあげる。こっちはつむじから広がるように指先でなぞるように。いつも頑張っているからな。いい子いい子。


「おい、よせ」

「好きでしょ、こういうの」


 耳元でささやくように言う。


「んっ」


 頰を赤らめ、気持ちよさそうな声を上げる。我慢しちゃってまあ。

 顔がいいだけではヒモはやっていけない。当然、あちらの技術も必要になる。けれど、カラダだけでは長続きもしない。女に飽きられ、捨てられればそれでおしまいだ。ご機嫌取りの話術やそれなりの気遣いもいる。ある時はなだめすかし、ある時は泣きつき、甘える。タチが悪いのになると暴力を振るってムリヤリ金を奪い取るようなのもいるが、俺はゴメンだ。何より、アルウィンとまともに戦って勝てるとは思えない。


「やめ、ろ」


 アルウィンは俺の両手首をつかんで体を離す。


「見え透いた手を、ごまかされないぞ、私は」


 熱い息を吐きながら自分で髪を整え、恨めしげに俺をにらむ。

 失敗か。やはりそう何度も同じ手は通用しないようだ。どうしたものかね、と次の策を練っていると家の扉がたたかれる。


「姫様、そろそろ向かいませんと日が昇ってしまいます、姫様」


 戦士のラルフだ。『戦女神の盾イージス』のメンバーで、まだ二十歳かそこらの若造だが、アルウィンに心酔している。甘ったれた声出しやがってあの腰巾着。


「ほら見ろ。お前がつまらないことで粘るからもう迎えが来てしまったではないか」

「そうだ。もう時間がない」


 俺は意を決し、彼女の手を握りながら言った。


「だから決めようじゃないか。君が金貨一枚払うか、俺が連れにも酒をおごれないみじめな男になるか」

「姫様」


 扉が開いた。金髪の坊やがあっという間に顔を赤くする。


「貴様何をしている」


 俺の胸ぐらにつかみかかる。本当ならおっかないって身震いする場面なんだろうが、俺ときたらガタイだけは良くってラルフ坊やよりも頭一つ分も高い。そのせいで、サルがエサつかみたくって歯をむいているようにしか見えないのが困るな。


「何もしちゃいないさ」


 俺は首を振った。


「昨日はちょいと激しすぎたからね。キスマークが残っていないか確かめていたところだよ」


 口笛が聞こえた。振り向くと四人の男女がぞろぞろと入ってくる。いずれもアルウィンのパーティメンバーだ。それからラルフ坊やを加えた六人で毎日のように『迷宮』に潜っている。


「ふざけるな、貴様」

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