第一章 ありふれたヒモの日常 ②

「ふざけてなんかないさ。俺もアンタもうるわしき姫騎士様のためにできることやっている。おたくは日々『迷宮』で剣を振り、俺はベッドで腰を振る。俺たちの仕事は等価値だ」


 あっという間に俺の頰に拳がめり込んだ。ぐらりと頭が揺れて床に倒れ込む。起き上がろうとしたところにラルフ坊やが、腹や腰を何度も踏みつける。


「貴様のようなゲスな男が! この、このっ!」

「その辺にしておけ」


 止めたのは同じく『戦女神の盾イージス』のメンバーであるラトヴィッジだ。白銀色のプレートメイルを着込んでいる。白髪にしわの深い顔立ち。侍従長でも似合いそうなおじさまだ。元々は、マクタロード王国に仕えていた騎士だそうだ。


「これから『迷宮』へ潜るというのに、いらぬ力を使うな。貴様もだ、マシュー。ごとも大概にしろ」

「へいへい悪かったよ」


 足跡だらけの体を払いながら立ち上がる。ラルフ坊やの拳も蹴りもさほど痛くない。頑丈さは、俺の数少ない取り柄だ。多少の蹴りや拳なんぞ、でられたようなものだ。


「からかって悪かったよ。あめ玉なめるか? 俺のお手製だ」

「いらん!」


 しいのに。

 マシュー、とアルウィンが倒れている俺に手を差しのばす。


「私はもう行かねばならん。これ以上、ワガママを言うな」

「はいよ」


 その手を取って立ち上がる。その勢いを利用して、おおかぶさるように彼女の耳元に唇を近づける。


はまだ大丈夫? 耐えられそう?」

「……問題ない」

「欲しくなったらいつでも戻ってきていいんだよ。我慢しすぎて、集中力が乱れちゃったら元も子もないからね」

「心配ない。私なら平気だ」


 ぷい、と顔を背けると、ラルフ坊やたちを押しのけるように外へ出てしまった。意地張っちゃって、まあ。


「ご武運を」


 ハンカチ片手に手を振るとラルフが露骨に舌打ちして戸を閉めた。五十ほど数えてから手の中を見る。

 期待通りの金貨の輝きにほくそ笑みながら緑色のあめ玉を頰張る。

 どうやら今夜は二番館でしようを抱けるらしい。


 この街の名前は『灰色の隣人グレイ・ネイバー』という。大陸の西、亡霊荒野の真ん中にある城塞都市だ。世間では『迷宮都市』と呼ばれている。

 理由は簡単。街のど真ん中に大迷宮『せんねんびやく』への入り口があるからだ。正確に言えば、『せんねんびやく』への入り口を中心にこの街は作られ、広がっていった。

 大昔には『迷宮』が山ほどあって、ここみたいな『迷宮都市』が世界中にいくつも作られたらしい。ところが年月がつにつれて一つ、また一つと攻略されていき、役目を終えた『迷宮都市』は廃れていった。ここが世界最後の『迷宮都市』だそうだ。


せんねんびやく』を踏破するために毎日、冒険者という名前のアリンコが群がり、巣穴に入っていく。そうなると冒険者相手の商売も増えていく。雑貨屋には非常食やロープ、ナイフ、ランタンといった冒険者の必需品が並ぶようになり、宿屋をはじめ武器屋、防具屋、鍛冶屋、そして酒場にしようかんが軒を連ねるようになった。

 冒険者なんて毎日死と隣り合わせの商売だ。景気よく金を落とし、運のないやつは命も落とす。それでも名声と報酬を手にするため、自ら危険に飛び込んでいく。

 かくいう俺も昔はその一人だった。

 今では姫騎士様のヒモだ。


 事を済ませてベッドに寝転がっていると、裸の女がだるそうにしなだれかかってきた。しようのシンシアだ。みのしようがふさがっていたので、お願いしたのだが、なかなか相性がいい。水差しから水をくんで渡してくれる気遣いも悪くない。


「アンタってつくづく変わり者ね」

「どうしてだい?」

「あんなステキな姫騎士様がいるっていうのにこんなところに来ちゃって。怒らないかな」

「君だってステキだよ」


 長い黒髪も吸い付くような肌も乳房も素晴らしかった。


「寛大なお方だからね。色々好きにやらせてもらっているよ」


 アルウィンなら今頃は『迷宮』の中だ。ミノタウロスやらオーガやら相手に剣を振り回していらっしゃるのだろう。


「姫騎士様だけじゃあ足りないってわけ?」

「そんなことはないさ。ウチの姫騎士様は世界一だ」


 彼女の名誉のためにもきっちりと否定しておく。


「あんまり素晴らしすぎてね。俺なんかじゃ歯が立たない。だから常に訓練は欠かせない。そばづかえのたしなみさ」

「あら、わたしは練習台ってわけ?」

「否定はしない」

「憎らしい」


 俺の脇腹をつねる。反射的に痛い、と言うとシンシアは小声で謝りながら自分のつねった場所をでさすった。


「姫騎士様ってあっちの方もすごいんだ。ねえ、どうして付き合うようになったの?」


 一緒に暮らすようになって以来、その手の話をよく聞かれる。本当によく聞かれる。どうやってものにしたのだとか、あっちの具合はどうなのか、とか。だが、その件に関しては口止めもされている。話すつもりもない。だから俺はこう答えることにしている。


「何も特別な事なんてないさ。彼女だって人間だよ。泣きもすればおなかも空く。周りが勝手に特別視しているだけさ」

「口説いたらくいったって感じ?」

「まあ、そんなところ」

「へえ」シンシアが興味深そうに俺の顔をのぞき込んできた。


「姫騎士様ってアンタみたいなのがタイプなんだ」

「かもね」

「確かにカラダだけはいいよね。顔は好みじゃないけど」


 シンシアの手が今度は俺の腹に伸びる。割れた腹筋の溝を指先でなぞっていく。


「こんなにいい体しているのに。本当にアンタってケンカも出来ない腰抜けなの?」

「この前、十三の女の子に腕相撲で負けたばかりだよ」

「アンタも昔は冒険者だったんでしょ?」

「そうだよ」


 お返しにへそのあたりをなで回す。シンシアはくすぐったそうに身をよじった。


「どうしてやめちゃったの? ケガしたようには見えないけど」

「オーガなんぞみたいなものだったよ。あんまり楽勝過ぎて退屈になっちゃってね。今度はご婦人方とことにしたのさ」

「そっちは今でもすごうでなのね」


 シンシアが含み笑いを漏らす。


「それより、どうする?」


 会話に飽きたのか、シンシアがサイドテーブルに載った皿を見た。赤紫色の香草がくすぶっている。しようかんによって時間の計り方は違うが、ここでは香草に火を付けている。こいつが灰になるまでがお楽しみの時間だ。ついでに言うと、この香草には気分をたかぶらせる効果もあるらしい。燃え残りから察するに、まだ半分くらいといったところか。

 あと一回くらいはいけそうだ、とシンシアの肩を抱いた時、窓の外から奇声が聞こえた。

 窓の外をのぞいた。店の前で三十過ぎとおぼしき男が頭を抱えながら声を上げていた。いや、違う。あれは悲鳴だ。


「あれ、アランね」シンシアが隣に肩を並べて言った。


「知り合い?」

「半年くらい前まで通ってくれてたの。冒険者。結構羽振りも良かったのよ」

「そうは見えないな」


 裾や肘の辺りがすり切れ、遠目にもわかるほど薄汚れている。少なくとも荒事をこなす冒険者のそれではない。よく見れば、首筋や手首に黒い斑点が見える。


「しばらく前に大けがをしたの。命だけは助かったんだけど、それ以来『迷宮』にも潜らずに街の中をああしてうろついているって」

「『迷宮病』か」


 冒険者は死と隣り合わせの商売だ。一歩間違えれば冥界行き。

 特に『せんねんびやく』のような『迷宮』の中は最悪だ。暗黒の中で突然現れる魔物、仕掛けられたワナ、ほかの冒険者からの妨害や仲間割れもある。死は母親より身近だ。死線をさまよい、生き残ったとしても全てが元通りになるわけではない。地獄に片足突っ込んだ恐怖は心に強く残り続ける。そうなればもう『迷宮』には潜れない。それどころか、体を張った命がけの荒事が何もこなせなくなる。しまいには常に恐怖にさいなまれ、日常生活すら送れなくなっちまう。それが『迷宮病』だ。冒険者の宿しゆくといってもいい。


「それにしちゃあ、あの暴れ方は普通じゃあないな」

「『クスリ』でも切れたんじゃない?」

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