第一章 ありふれたヒモの日常 ⑨
ここで「バカめ、お前らにもう用はない」と赤い舌を出してとどめを刺すのがきっと正しい選択なのだろう。だが、俺にはためらわれた。
俺はナイフで腰にしばっているロープを切った。重い音がして、ニールが床に倒れ込んだ。血を流しすぎたせいだろう。血の池でのたうち回っている。
「こりゃあもう死ぬな」
粘ったのが裏目に出たようだ。立ち上がる気力もなく、今更ながらに傷口をしばろうとするが、手が
「ネ、ネイサン」
ニールが床を
「そうそう、忘れてた」
俺はシーツを引っぺがした。小男が白目をむいて死んでいた。首にはロープでできたアザが刻まれている。
「ちょっと加減が分からなくってね。アンタにやったみたいに絞めたらどうも首の骨が折れちゃったみたいだ。まあ、苦しまずに
ニールの真っ白な顔が絶望に染まる。
「じ、じごくにおちろ」
「あっそ」俺は窓を開けてズボンから取り出した鈴を鳴らす。
「それじゃあ先に行って待っててよ。俺も後から行くからさ。多分、百年くらい?」
しばらく待っていると、扉が小刻みにノックされた。俺は扉を開けた。
現れたのはつばの広い帽子をかぶった、黒ずくめの男だった。
「やあ、待ってたよ。ブラッドリー」
俺は真っ黒な手袋の上に銀貨を六枚載せる。ブラッドリーは無言でうなずくと、白く細長い布をネイサンの横に広げる。ネイサンの死体をその上に移動させると、ぐるぐる巻きにしてからロープで巻いていく。
もちろんカタギではない。本業は
捨てられた死体はいつの間にか服だけ残してかき消える。『
だから
需要も多い。この街にはやくざ者が多く、毎日のように不都合な死体が量産されている。そのおかげで付いたあだ名が『
ネイサンを詰め終えると、今度はニールの横に布を広げる。赤く染まる布に構わず、両脇を抱えて移動させようとすると、うめき声が聞こえた。ニールはまだ生きていた。
ブラッドリーは片手を離すと、背中に手を回し、取り出したナイフでニールの心臓を二度突いた。完全に動かなくなったのを確認すると、恨みがましい目で俺を見つめた。
「あーはいはい。追加料金ね」
銀貨二枚を手渡すとこくりとうなずき、粛々と作業に戻った。仕事に徹した姿勢が彼の長所であり短所だ。
作業を済ませると、ブラッドリーは両肩に遺体を
「問題はあっちか」
こいつらは所詮使いっ走りの捨て駒だ。失敗したとわかれば第二第三の刺客を送り込んでくるだろう。だから、その前にこちらから打って出る。
そのためにも軍資金は必要だ。幸い、たった今善意の第三者から資金提供を受けたばかりなので問題ない。彼ら自身の葬儀代を支払ってもまだおつりが来る。空になった二つの財布が血だまりに落ちて赤黒く染まっていくのを見ながら扉を閉めた。
翌日の夕暮れ、俺は『晩鐘亭』でエールを飲んでいた。さしてうまくもない安酒ばかりの店だが、いい点が一つだけある。『迷宮』の門がここからならよく見える。冒険者ギルドからでもよく見えるが先日の騒ぎもある。悪目立ちはしたくなかった。
俺はここで姫騎士様たちが出てくるのを待っていた。別に出迎えて祝福のキスをするためじゃない。やってもいいが、目的は別にある。予定ではそろそろ出てくる頃だ。
二杯目がそろそろ空になろうかという頃、『迷宮』の門が半分開き、姫騎士様たちが出てきた。欠けたメンバーはいないようだ。いずれも三日ぶりの太陽に目を細めながら無事地上に出てきた幸運を喜んでいるように見える。
通常なら一度ギルドに戻り、帰還の報告をした後で解散。各自自由行動の流れだが、今日はちょいとばかし違った。
書いたのは俺だからな。
口にすれば一言なのに、文字にするのは苦労したぜ。もうちょい字の勉強した方がいいかな。
ニールから名前は聞いていたが、それがいまわの際のデマカセって線もある。確認のために手間の掛かることをしたのだが、一瞬だけ見せたこの世の終わりのような顔は、あいつがクロだと雄弁に告げていた。さっきまでほっとしたような顔が真っ青だ。
アルウィンたちと二言三言、会話をするとあいつはゆっくりとした足取りでパーティから離れた。おそらく今後の対策を練るためだろう。さて、こうしてはいられない。俺も準備をしないと、と立ち上がると背中に何かがぶつかった。
「おい、痛えじゃねえか」
ジョッキを片手に
謝って通り過ぎようとしたが、酔っ払いは俺の胸ぐらをつかんできた。
「ちょっと面貸せよ、色男。お前にはちょっと頼みたいことがあるんだ」
どうやら偶然や事故ではなく、わざとぶつかって因縁をふっかけてきたらしい。俺が姫騎士様のヒモだというのもご存じのようだ。
「やめておけよ」
俺は心の底から親切心で忠告する。
「アンタじゃ、ウチの姫騎士様の相手は務まらない。まだ日も高いんだ。水でも飲んで落ち着いたらどうだ?」
「ふざけるなよ、オラ」
酔っ払いは憤慨した様子で俺を引きずるようにして外へ連れ出す。
やってきたのは店の裏にある裏道だ。大人二人が並ぶのもやっとという、狭い路地だ。西からの日差しが
「気を悪くしたのなら謝るよ。でもさ、アンタも『迷宮』に入るんだろ? ここで
「
酔っ払いはせせら笑いながら俺の頭をつかみ、ムリヤリ頭を下げさせる。
「テメエみたいな腰抜け相手にどう
俺がなだめようとしたから、
「いいからお前は、あの女とやらせればいいんだよ。どうせあの女も淫乱のスキモノなんだろ? しばらく前まで、『夜光
「そうかい」
俺は空いた腕で酔っ払いの首をつかんだ。
「アンタ、一言多かったな」
鈍い音がした。
つかんだ首が急に重くなった。酔っ払いの体から力が抜けている。俺が手を放すと、酔っ払いはひざをつき、そのまま崩れ落ちた。首の骨が折れているのはいいのだが、筋肉で盛り上がった首回りが手形でへこんじまっている。完全に死んでいるのを確かめると、急いでその場を離れた。またブラッドリーへの払いが増えちまった。参ったね。
路地を抜ける瞬間、夕暮れの光が膨れあがり、