第一章 ありふれたヒモの日常 ⑧

「ここのところ『迷宮』にも入ってねえはずなのに、金回りは悪くねえ。筋者と付き合いがあるって話もあるからテメエの首もぎ取ろうって以外にも色々手を出しているんだろうな」

「そこまで分かってて捕まえなかったのか?」

「証拠がねえ」


 デズは大儀そうに首を振った。


「強盗騒ぎはここのところ起こってねえし、故買屋もいくつか回ってみたが、それらしいやつは来なかったってよ。だとしたら殺しの方だろうが、この街でいきなり姿を消すやつは珍しくもねえ。借金抱えて夜逃げしたか、バラされて『迷宮』に捨てられたかもわからねえ。めている金があったと言われればそれまでだ」


 ひげもじゃにしては色々調べたようだ。短い足を引きずりながらあちこち駆けずり回ったのだろう。大した給金ももらってないのに。りちやつだ。


「オーケー、ご苦労さん。ご協力感謝する」


 俺は立ち上がった。


「連中のねぐらは?」

「『双子の金羊亭』だ」


 冒険者相手の安宿だ。小汚くって隙間風も吹きすさぶ。ギルドのある大通りから裏筋に入って入り組んだ道を二百歩も歩けば着く。


「ありがとうよ」


 俺は財布から取り出した銀貨を指ではじいた。ごつい手のひらに収まるのを見届けてから俺は言った。


「ついでといっちゃあ何だが、もし連中が顔を出したら、どちらか一人を適当に引き留めておいてくれ。理由は何でもいい。時間さえ稼いでくれたら構わない。じゃあな」

「おい、俺は引き受けるとは」


 最後まで聞かずに俺は部屋を出た。どうせ引き受けるに決まっている。デズはそういうやつだ。



『双子の金羊亭』は一階が食堂兼酒場で、二階の六部屋が宿になっている。亭主はもう七十を越えた老人だ。髪もすっかり灰色に変わり、背中も牛のケツのように丸い。耳も遠く、多少の物音では反応すらせず、いつもカウンターの中で船をこいでいる。おかげで宿帳をのぞき見るのに不自由はしない。

 ニールとネイサンの部屋は二階の端にある。都合のいいことに二人部屋だった。今は昼間だけあって、閑散としている。夜になれば『せんねんびやく』から戻ってきた冒険者でやかましくなる。亭主の耳が遠くなったのもそのせいだろう。

 部屋には鍵が掛かっていた。俺はふところから針金を二本取り出し、鍵穴に突っ込む。昔、知り合いの盗賊から教わった鍵開けの術だ。熟練とは言いがたいが、安宿の鍵なら俺程度の腕前でも何とかなる。

 部屋の中にはベッド二つと、木製のテーブルと椅子が二脚だけの質素な造りだ。天井には大きなはりがむき出しになっている。

 連中の荷物らしき麻袋が二つ。中身はランタンやロープ、ナイフ、火打ち石といった冒険用の小道具だ。金目のものはなかった。こんな安宿に預けておくほど、不用心ではなかったようだ。心の中で舌打ちをしながら準備を整える。

 ロープを拝借すると、片方に大きな輪っかを作り、そちらを上に放り投げてはりに通す。もう片方は長さを調節しながら俺の腰の辺りに通し、ほどけないようにきつく結ぶ。あとはイスを扉の真横に移動させるとその上に乗った。あとは帰ってくるのを待つだけだ。


 日も傾き、ぽつぽつ『迷宮』から冒険者たちも戻って来ようかという頃、『双子の金羊亭』の階段を上る足音がした。扉の隙間からのぞくと、無精ひげの男が不機嫌そうな顔で階段にツバを吐きかけていた。間違いない。昨日俺を襲ってきたやつだ。名前は確かニールだったか。


「あのちびドワーフ、つまらねえことでグチグチ言いやがって」


 やはりデズは約束通り足止めをしてくれていたようだ。ありがとうよ、親友。

 俺は首を引っ込め、息を殺しながらやって来るのを待つ。

 扉のノブに手を掛ける気配がした。


「おい。ネイサン、今日は飲もうぜ。あいつらも呼んで」


 扉が開き、ニールが入ってくる。

 足が止まった。部屋の真ん中に銀貨が落ちている。俺が置いた、だ。


「なんだ?」


 ニールが身をかがめながら腕を伸ばす。俺はその首にロープを引っかける。きちんと首に掛かったのを横目で見ながらイスから飛び降りた。くぐもった音がした。

 振り返ると、ニールが宙づりになって浮いていた。成功だ。

 腕力は虫けら同然でも、俺にはこの人並みより少しばかりでかいずうたいと体重がある。正確な重さは知らないが、多分姫騎士様の倍はある。

 今、ニールの首には俺の全体重が掛かっている。人間を絞め殺すには十分だ。

 ニールが言葉にならないうめき声を上げる。ロープと首の隙間に指を引っかけながら、足場を求めてもがいている。俺はその声を聞きながら扉を足で閉めた。


「やあ、どうも。勝手に入って悪かったね」


 俺が話しかけるとニールの目が血走っていくのが見えた。


「デメェッ!」


 ニールの蹴りが飛んでくる。俺はとっさに仰向けに倒れ込む。

 俺の体が沈んだ分、ニールの体がわずかに浮き上がる。再び悲鳴が上がる。


「時間がない。用件を手短に話そう」


 俺は蹴り飛ばされないように警戒しながらニールの背後に回り込むと、腰のさやからナイフを引き抜く。


「俺を襲うように命令したのは誰だ?」

「なんのことだ?」

「おとぼけはなしにしようか」


 俺は背後からニールの右ふとももにナイフで切りつける。きちんと研いであるから俺程度の腕力でも服の上から傷を付けられた。

 赤黒い血が吹き出す。さして深い傷ではなかったはずだか、太い血管を傷つけたからか、血は止まる気配もなくズボンをつたって床に斑点を作る。


「助けてくれ! 誰か」

「ムダだよ」


 この宿には人がいないのは確認済みだ。耳の遠いじいさま以外はな。

 それにこの街では冒険者同士の争いは日常茶飯事だ。金にもならない厄介事に関わろうなんてお節介は、ウチの姫騎士様くらいだ。


「このままだと首が絞まるか、出血多量で死ぬかのどちらかだ。腹を割って話そうじゃないか。アンタも死にたくはないだろ?」


 後ろからのぞき込めば、ニールの顔が赤黒く染まる。怒りのためか呼吸困難のためか。


「決まっているだろ」


 ニールはにやりと笑った。


「あの姫騎士様だよ。テメエがジャマになったんで、始末してくれって頼まれたんだよ」

「そうか」俺はあわれっぽく言った。「残念だよ」


 今度は左のふとももを切りつけた。先程のような勢いはないものの、血はズボンをまだらに染めていく。


「これでアンタの寿命がますます短くなった」

「殺してやる!」

「見ろよ。アンタが正直に答えないせいで床がれちまった。でもこれはまだマシな方なんだ。このままだとアンタは窒息死してここでお漏らしすることになる。知っている? あれ結構掃除するの大変なんだぜ」

「ころし、て、や」


 ニールはもがき続けている。抵抗はしなくなったが、命乞いすらする気配はない。どうやら依頼人の名前を冥界まで持っていくおつもりのようだ。依頼人への義理立てというよりは俺への嫌がらせだろう。いい度胸だ。


「あんまりガマンはよくないぜ。ほら」


 俺が指さすと、ニールの顔がはっとなる。二つあるベッドのうち、シーツが膨らんでいることに気づいたらしい。枕の辺りには小さな後ろ頭が見える。


「ネ、ネイサン?」

「お前さんが来る前にね。薬で眠ってもらったのさ。言わないってんならお兄ちゃんに聞かないといけなくなる」


 血の付いたナイフをぐさりと突き立てるマネをする。


「この、悪魔め」

「自己紹介ならまた今度にしてくれ」


 金もらって見ず知らずの男を殺そうってやつとどちらがマシだろうね。ニールは目を充血させながら歯を食いしばる。まだ話す気配はない。ここでしゃべったところで俺が約束を守るはずがない、と疑っているのだろう。


「迷っている時間はないぜ」


 流れ出た血がニールの足下で水たまりみたいになっている。この分だとあと千も数え終わらない間に失血死だろう。


「……」

「心配ないよ。アンタがしゃべってくれれば俺はこのまま部屋を出て行く。そこのお兄ちゃんに傷一つ付けやしないよ。もちろん、仲間はいないから俺以外の誰かがやってきてアンタらを始末するなんてイヤらしいマネはしないさ」


 俺の真剣かつ丁寧な説得に心動かされたのだろう。

 ニールがようやく重い口を開いた。


「やっぱりか」


 案の定、予想通りの名前が出てきた。


「ご苦労さん」

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