第一章 ありふれたヒモの日常 ⑦

 その瞬間、ビルの体は宙を舞った。ごうおんとともに頭から天井に突き刺さった。再びギルドが静寂に包まれる。

 舞い落ちる天井の破片を手で払い落としながらは不機嫌そうな顔で言った。


「血抜きもしてねえケダモノを中に持ち込むんじゃねえ」


 短足で背丈も俺のみぞおちほどまでしかない。袖のないシャツに革のベスト、茶色いズボン。顔の半分は黒く長いひげで覆われている。ドワーフの特徴そのままだ。


「またテメエか」


 ドワーフのデズは心底嫌そうに言った。


「だからここには来るなと言っただろうが。来るたびにもめ事ばっかり起こしやがって」


 俺は伸ばされた手をつかみながら立ち上がる。


「逆だよ。もめ事の方が俺にすり寄ってくるんだ。盛りの付いた犬みたいにな」

「寝言はいい。何の用だ」

「お前さんに聞きたいことがあったんだよ。時間いいか?」


 デズがちらりと床に伸びたダーク・グリズリーの死体を見た。


「上で待ってろ。こいつを解体に回してから俺も行く」


 デズは自分の身長の三倍もあるような魔物をダンゴムシのように丸めると、ひょいとかつげる。冒険者たちが息をのむ。このドワーフのおちびちゃんが、自分たちを小指でひねり殺せるってことをようやく思い出したらしい。

 冒険者ギルドはその支部ごとに専属の冒険者を雇っている。

 冒険者という荒くれ者を統括・監督するためには、暴力装置が必要になる。規則違反するバカ、命令に従わないバカはどこにでもいる。腕っぷしに自信のある冒険者ならなおさらだ。そんなバカどもを従わせるのだから、専属にはそれなりの実力が求められる。

 デズはそのための雇われた男だ。表向きはギルド職員という扱いだが、いざという時には冒険者の捕縛や制裁に加え、『迷宮』に潜って行方不明者の捜索に当たる。

 特にデズの実力は桁外れだ。一人で火龍を仕留めたり、ゾンビの大群と夜通し戦ったりと、その手の話題には事欠かない。まさに生きる伝説だ。デズがいなかったら俺もとっくに冥界に旅立っていただろう。

 俺もデズの後ろについて外へと向かう。


「おい、そこの」


 扉から出るところでデズが振り返った。話しかけた相手は、ビルの仲間だ。


「は、はい!」びくつきながら背筋を伸ばす。


「こいつはバラしておく。金は後で受け取りに来い」

「わかりました!」

「それと、そこの床拭いとけ」


 こくこくとうなずくと、床につんいになりながらテメエのマントやら服の裾でダーク・グリズリーの血痕を拭き取っていく。


「あ、俺からも伝言頼むわ」


 天井に突き刺さったままのビル君を見ながら言った。


「テメエの母ちゃんはもうお前のお粗末なシロモノじゃ満足できないってよ。残念だったな」

「とっとと来い」


 デズにスネを蹴られながら俺も外に出た。



「それで、聞きたいことってのは何だ?」


 いつものぶつちようづらでデズが言った。

 俺たちがいるのはギルド職員の待機室だ。石造りの部屋にそっけのないイスとテーブル、季節外れの暖炉、明かり取りの窓があるだけで、味も素っ気もない。用事のない時、デズはここに待機することになっている。といってもこの無愛想で不器用なデズには友人もいない。仕方なく俺がたまに話し相手になってやっている。

 家はギルドから南にある『かなづち通り』沿いある。小さな二階建てに妻と子供の三人で暮らしている。


「昨日ちょっち厄介事に巻き込まれてな」


 俺が二度も襲撃を受けた件を伝えると、デズの眉毛がかすかに動いた。


「お前さんに心当たりがないかと思ってな。あいつらは冒険者だ」

「根拠は?」

「記憶を探ったが、あいつらとは初対面だ。かといって暗殺者って柄じゃない。足音立てながら不意打ち仕掛けるような騒がしい連中だ。けれどそこいらのごろつきでもない。武器の使い方もサマになっていたし、俺をだまし討ちしようって知恵もある。荒事に慣れすぎている」


 人を殺した経験もあるだろう。ある程度は修羅場をくぐっていると見た。


「おまけに色白。体つきは鍛えてあるのに日焼けしていない。この街で日焼けもせずに荒事をこなす連中といったらまず冒険者だろう? 少なくとも真っ先に疑うべきだ」

「『裏紙』に手を出した連中がいるってことか」


 冒険者ギルドは無頼漢の集まりではあるが、建前上はカタギの商売だ。窃盗や暗殺といった犯罪行為は受注しない。だが、金さえもらえば多少危ない橋でも渡ろうかってバカが多いのも事実だ。ギルドを介さずに冒険者が非合法な仕事を受けることを、ギルドでは『裏紙』と呼んでいる。冒険者ギルドでは依頼を紙に書いた表にして、掲示板に貼り付けている。そこから派生したちようだ。当然、ばれれば処罰される。最悪は、退会からの『処刑』もあり得る。


「俺の見た風体で、そういう依頼に首突っ込みそうなやつを知らないかと思ってね。アンタなら心当たりはあるだろう」

「もしそれが本当なら、お前の出る幕はねえ。上に報告して、俺がカタをつける」

『裏紙』に手を出したバカどもをとっ捕まえて二度と手を出させないようにする。デズなら簡単にやってのけるだろう。


「そう言うと思ったよ。だから今日直接ここに来たんだ」


 俺は言った。


「この件は俺に任せて欲しい」

「なんだと?」


 デズが目をむいた。


「何のために?」

「表沙汰にはしたくなくってね」


 俺の予感が確かならアルウィンの名誉に関わる。


「ろくに戦えもしねえお前が、どうやってカタをつけるつもりだ?」


 デズは俺のを知っている。冒険者としても、戦士としてもポンコツなことも。


「一応、考えはある。剣が持てなくっても何とかなる」

「引っ込んでろ」

「なあ、頼むよ」


 俺は身を乗り出し、デズのあごひげをなで回す。


「ギルドの安い給金で命張るのか? いいじゃねえか、俺とお前の仲だろ」

「やめろ!」


 デズが俺の手を払いのけと、ちみっこい指を伸ばして俺の鼻先に突きつけた。


「いいか。テメエには二つほど言っておきたいことがある。一つはな、『俺のひげにさわるんじゃねえ』だ。そして、あともう一つはな、『俺のひげにさわるんじゃねえ、ボケ』だ!」

「わかった、悪かったよ」


 俺は両手を上げた。


「実を言うと俺、アンタにヤキモチ焼いてたんだよ。いくらひげを伸ばしてもさ。アンタみたいにもじゃにならない」


 デズの怒りは収まる様子はなく、肩をいからせたまま拳を固めている。

 勘弁して欲しい。今、本気でデズに殴られたら絶対に死ぬ。


「お願いだよ、デズ」


 俺は方針を変えることにした。


「お前さんが、美人の嫁さんと子供といられるのは誰のおかげだ? 毎朝、ギルドに出かける前にキスしてもらえるのは? あったかいパンが毎朝食えるのは? 家に帰ってきてかわいい子供をだっこできるのは?」


 デズときたら昔から腕も度胸も抜群だが、女にはてんでダメだった。れた女がいてもろくに話しかけることも出来ない。ただその子の勤めている金物屋に毎日のように通って、使いもしない鍋やら包丁やら鎌やら買い込む。不器用なおバカさんだった。

 このままでは百年っても進展しない、と見かねた俺が仲を取り持ってやったのだ。

 デズの顔に血の気が差した。怒っているのではなく、照れ屋さんなのだ。殴るに殴れず、拳を解くとでかい手のひらにテメエのあごを乗せる。


「古い話をねちねちと」

「そのセリフは別れてから言えよ」


 別れる気は更々ないだろうが。

 デズは舌打ちすると、イスを座り直した。足が床まで届かずに子供のようにぶらぶらさせている。


「アストン兄弟だ」


 言葉の意味を理解するのに少々時間がかかった。


「俺を襲ってきた連中か?」

「お前の話が確かならな」


 デズは不愉快な心を落ち着かせるように自分のひげをなでさする。


「いつも兄弟だけで連れ立っている。ちびの方が長男のネイサン、不精ひげが次男のニールだ」


 ちっこい方が兄貴なのか。


「ギルドでも評判が悪い連中だ。しょっちゅうほかの冒険者にからんでいやがる。やれ、俺の獲物を横取りしただの、生意気な態度だのってな。あいつらに潰された新入りもいる。性格はクソだが、腕はそれなりに立つ。全員三つ星だ」


 三つ星ってことは冒険者としては一人前、というところか。

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