第一章 ありふれたヒモの日常 ⑥

「そうさ。このギルドで一番背が高くて足が長くてやせっぽちでお肌がつるっつるのデズさ。珍しいものが見られると思うよ。君は知らないだろうけどやっこさん、俺が来るとうれしくって、いつも大慌てで飛んできて俺のほっぺにキスするんだ」

「デズさんなら外の解体場だよ。いいところなんだからジャマしないで」


 俺の話を無視して、外を指さすとまた手紙を読み出す。


「呼んできてくれないか。俺、血なまぐさいのダメなんだよ」

「待っていたらそのうち来るよ」


 そっけなく言ってカウンターの奥にある仕切りの向こうに消えていった。奥で手紙を読むことにしたようだ。あいもへったくれもない。じいさまの教育が悪いんだな。


「仕方ねえな」


 俺の方から出向いてやるか。そう思い、カウンターから離れようとした時、俺の後ろで重たいものが落ちる音がした。振り返ると、目の前に黒いハゲが立っていた。言い間違えじゃない。ハゲ頭で色黒の男が立っていたのだ。


「よう、マシュー。珍しいじゃねえか」


 名前は確かビル、だったか。俺より少し背は低いが、体格のいい男だ。腰には肉厚の剣を提げている。黒く塗ったよろいは傷だらけで、塗料もまだらに剝がれている。胸には冒険者ギルドの組合証をぶら下げている。四つ星だ。

 冒険者の星の格上げには取り決めがある。詳しい条件は忘れちまったが、四つ星以上に行こうとすると、途端に条件が厳しくなる。だからたいていの冒険者は三つ星まで。それ以上は、行く前に死ぬか引退する。四つ星というからには、このおハゲ様もそこそこの腕前なのだろう。

 足下には六本足の黒熊が仰向けに横たわっている。ダーク・グリズリーだ。二ユール(約三・二メートル)はあるだろう。『せんねんびやく』の八階か九階によく現れる。初心者ではまず食われておしまい、の厄介なやつだ。まだ死んでそう時間はっていないのか、背中から赤黒いシミがギルドの床に広がる。こいつは毛皮が高く売れる。

 わざわざこんなデカブツの死体を運んできたとは思えないから、『運び屋』にでも運ばせたのだろう。『迷宮』に入るのは冒険者だけじゃない。魔物の死体を運ぶ『運び屋』や、傷薬やランタンといった消耗品を『迷宮』の中で売りさばく『潜り屋』もいる。どれも冒険者ギルドの一員だ。


「ここはペットの持ち込みは禁止じゃなかったっけ?」

「相変わらずの『減らず口ワイズクラツク』だな。ええ、おい」


 ビルが俺の胸ぐらをつかみ上げると、今度は優越感に満ちた笑みを浮かべる。


「冒険者でもねえのにつらだししやがって。ゴミあさりにでも来たか? ウジ虫野郎が」

「お下品な口は控えた方がいいね」


 俺は心底親切で注意してやる。


「ここにはうら若き乙女も出入りしているんだ。変な口調でも移ったらおっかないじいさまに舌切られちまうぜ」

「けっ、じじいが怖くて『迷宮』に潜れるかってんだよ」


 ベロベロ、と俺の鼻先で赤い舌をちらつかせる。


「どうでもいいけど、お口くさいよ」


 拳が飛んできた。かわそうと思ったが、距離が近すぎた。拳が俺の頰に突き刺さった。疾風のように動いたつもりが、泥の中に潜っているかのようにのろのろとしか動かないんだから、イヤになる。


「なめた口きくんじゃねえぞ。ヒモ野郎」


 仰向けに倒れた俺の腹にブーツがのし掛かる。体重をかけているので呼吸がしづらい。


「テメエなんぞあの姫騎士がいなけりゃただのゴミじゃねえか。残念だったな、あの女は今頃『迷宮』の中だ」

「知っているよ」


 俺は鼻をつまんだ。


「アンタの足が洗ってないいぬの臭いがするってことはたった今知ったばかりだけどね」


 持ち上げたブーツのつま先が今度はみぞおちに入った。息が詰まった。

 周囲には冒険者はたくさんいるが、誰も止めようとはしない。

 気性の荒い連中にとってケンカなんぞ当たり前だ。万が一死んだとしても、死体は『せんねんびやく』に放り込めばいい。ギルドも冒険者同士のもめ事には関わらない。一人二人死んだとしても、代わりなんぞいくらもいる。反対に冒険者が街で起こしたトラブルには敏感だ。冒険者ギルドは魔物退治や用心棒といった荒事を引き受け、冒険者に紹介する仲介業者でもある。依頼人と冒険者、両方から手数料を二重取りしてふところをぬくぬくさせているのだから実に腹立たしい。だからこそカタギからの評判には人一倍、気を使う。難癖付けて武器屋の店員を殴りつけたとか、金払い惜しさにしようかんから裸で逃げ出したとか、そういうバカには厳しい処罰が下る。最悪、首が飛ぶ。もちろん二重の意味で、だ。

 だから冒険者は基本、街中で暴力沙汰は起こさないようにしているし、カタギに因縁をつけることもない。

 ただし俺は例外だ。

 俺は冒険者ギルドからはめちゃくちゃ嫌われている。

 理由は単純。ギルドの花形スターであらせられるところの姫騎士様が「ビッチ」だの「淫乱」だのと陰口たたかれるのは、俺のせいだと思っているからだ。

 冒険者にからまれていてもせせら笑うだけで、何もしやしない。カウンターの奥でちらちらと横目で見るだけだ。

 俺はカタギとは言いがたいし、バックに金持ちや権力者もいない。姫騎士様の手前、表だって攻撃はしないが、助けてもくれない。まったく、情に満ちた組織であらせられる。


「ほら、立てよ。威勢がいいのは口だけか」


 ビルが俺の頭をわしづかみにして持ち上げる。ついでにツバも吐きかけてくれた。

 目の上辺りに当たって、まぶたの上をしたたり落ちていく。


「あなた、何をしているの」


 奥から駆け寄ってきたのはエイプリルだ。ギルド以外にも養護施設ホームで身寄りのない子供たちの世話をしたり、勉強を教えたりもしている。優しい子なのだ。


「ケンカはダメっておじい様に言われているでしょ。弱い者いじめなんて、最低よ。あなた、それでも冒険者なの?」


 ビルがためらう。手を出せばどうなるか、判断する程度の知恵はあるようだ。


「ダメです、危険ですよ」

「マシューに関わってはいけないといつも言っているでしょう」

「ささ、奥に」


 厄介事に巻き込まれるとまずいと判断したのだろう。ギルド職員どもが総出でエイプリルを抱え、奥に運んでいった。


「ちょっと、待って。このままだとマシューさんが……」


 エイプリルの声はむなしく遠ざかっていった。援軍は撤退。これでマシュー軍は孤立無援と相成ったわけか。


「残念だったなあ」


 ビルがにたりと笑う。


「命乞いでもしてみろよ。靴の裏でもなめてみるか」


 それとも、とビルはそこでにたりと笑った。


「俺にもあの姫騎士とやらせろよ」


 それがダーツやダンスの意味でないってことはすぐに分かった。


「どんな風に鳴くんだ? 何回くらいやったんだよ」

「大したことはないよ」


 俺は言った。


「アンタが母ちゃんとやったのと同じくらいさ」


 衝撃が来た。今度は鼻っ柱を殴られた。鼻の奥がつん、と痛くなる。そう感じると今度は俺の頭をギルドの床にたたけた。まりのように何度も弾ませる。さすがにめまいがしてきたところでビルは俺の顔を踏みつけた。


「寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ、テメエ!」


 ビルがげきこうした様子でえると体重をこめる。


「もういっぺん言ってみろ、コラ」

「違うんだよ」


 俺は両手を振った。


「誤解なんだ。ちょっち言葉が足りなかった。反省している。許してくれ、頼むよ」


 ギルド中から爆笑が巻き起こる。ビルの足が浮いた。

 俺は座り込みながら顔の汚れを払い落とす。


「本当はこう言いたかったんだ」


 俺はビルの顔を見つめた。


「今頃テメエの母ちゃんは、オークやゴブリン相手に乱交パーティの真っ最中だ。連中のアソコをくわえながら腰振っているだろうぜ。さっさと帰ってお前も交ざってきたらどうだ? 角を生やした弟か妹が出迎えてくれるぜ、お兄ちゃん」


 不意にギルドが静まりかえった。どうやら俺の冗談は見事に滑っちまったらしい。ちらりとカウンターの奥を見たらエイプリルは目をぱちくりさせていた。女性のギルド職員がその後ろから耳をふさいでいる。いい仕事するね。

 唯一俺の冗談を理解してくれたビルが顔を赤黒く染めた。言葉を詰まらせながら腰の剣に手を掛ける。

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